私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夕焼け雲 6

2010-09-02 12:16:28 | Weblog
 「ううう」
 元長の目から一筋の涙が流れ落ちます。今までにあった己の気力はいっぺんに吹き飛んで、どう仕様もない空しさだけが体に残ります。そんな思いは、只、此の若い一人の毛利の武将だけが味わった悲哀ではありません。毛利の軍勢総ての者に、多かれ少なかれ、なんだか訳の分からないような空虚な思いに包まれるのでした。その場全体に、振り上げた拳の下ろし所がないような急に力の抜けたやるせなさが立ちこめます。誰もがじっと下を向いたまま身動き一つありません。あたかも死の世界に舞い落ちたような、一面は静寂な世界です。


 夜はとっぷりと暮れています。ついさっきまで懸かっていた福山辺りの夕焼け雲は、その面影は消え、どこかに去ってしまっています。其の夕焼け雲に代わって、そこら辺りは、空も山も里も、一面に一枚の漆黒の闇の屏風を立て懸けたような、人がいてもその人さえも完全に消え去ってしまった無の沈黙の世界です。それこそ、あたかも地獄の底でも漂っているのではないかと思える死の世界です。ただ、日差山の下からは、その闇を通して、どーどーと云う兄部川の流れる激流の音でしょうか不気味な海鳴りに似た音だけが、つい先程と、何も変わらないかのように音を立てています。