私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

熊沢了介の略伝 4

2010-09-25 15:52:12 | Weblog
 熊沢了介は、藩主光政に従って度々江戸に上っていますが、その江戸でも、その良知を慕って、多くの人が教えを請うています。
 紀伊大納言頼宣卿、松平伊豆守信綱、板倉周防守重宗、久世大和守広之、板倉内膳守重矩、松平日向守信之、堀田筑前守正俊など、多くの当時の幕府の中枢にいた人たちが居ました。
 あの第3代将軍家光も、この熊沢了介の人となりを人から伝え聞いて、教えをと思っていたのだそうですが、慶安4年に死去され、謁見が出来なかったのだそうです。

 頼宣など多くの当時の幕閣の中心にいた人たちがこぞって、熊沢了介にその教えを受けていたということは知っていたのですが。将軍家光もと、云うのは此の「常山紀談」で初めて知りました。

 それくらい、この了介は、当時の江戸でも、相当の有名人であったことには違いありません。そのためであるかどうかは分からないのですが、備前藩で、三千石というば破格の録を食み藩士からは垂涎の的になっていたのは確かなことです。
 
 なお、此の紀談には書いてはいませんが、此の三千石という、その破格の待遇が、結局、了介を二十八歳で備前藩政から引退させる原因になったのだと言う学者もいるようですが。