この常山紀談には、3番目の新左衛門の頓智として、次のような話が載っています。誰もが一度は耳にしたことのあるお話ですが、書いておきます。
「或る日のことなりしが、新左衛門太閤の機嫌を取り、頗る其功ありける程に太閤申しけるに
「何なりと汝の望めるものを賜らせん」
と。新左衛門は云うへるやう。
「臣敢て大なる望み此れなく。唯乾袋二個程米を賜はりたし」
「こは甚々(いといと)易きことなり。余り寡欲(よくすくな)の至りならずや」
たった乾袋に二杯分の米をくれと言うのです。常識的に考えれば、乾袋一つには、一升か二升ぐらいしか入りません。だから、あんまり欲が少な過ぎるのではないかと、太閤は考えたのです。
「これにて沢山でござります」と新左衛門。
それから数日が過ぎて、新左衛門は2個の乾袋を張抜き数十百人を雇ひ来りて、太閤の御前に出て、
「前日の御約束の米、これに賜りたし」
と云って、米倉二戸に持ってきた乾袋を蓋ってしまいます。流石に、これには太閤も呆然として、<暫し言句も無かける>。
此の湯浅常山の「常山紀談」の話が、元になって、後の曾呂利新左衛門の頓智話が作られたのか、それとも、当時、もう相当有名になっていたのを聞いて書きとったかは分かりません。
もし、此の話が、常山の発掘した新しいお話であるならば、彼の歴史的評価ももっと高かったのではないかと思いますが。
「或る日のことなりしが、新左衛門太閤の機嫌を取り、頗る其功ありける程に太閤申しけるに
「何なりと汝の望めるものを賜らせん」
と。新左衛門は云うへるやう。
「臣敢て大なる望み此れなく。唯乾袋二個程米を賜はりたし」
「こは甚々(いといと)易きことなり。余り寡欲(よくすくな)の至りならずや」
たった乾袋に二杯分の米をくれと言うのです。常識的に考えれば、乾袋一つには、一升か二升ぐらいしか入りません。だから、あんまり欲が少な過ぎるのではないかと、太閤は考えたのです。
「これにて沢山でござります」と新左衛門。
それから数日が過ぎて、新左衛門は2個の乾袋を張抜き数十百人を雇ひ来りて、太閤の御前に出て、
「前日の御約束の米、これに賜りたし」
と云って、米倉二戸に持ってきた乾袋を蓋ってしまいます。流石に、これには太閤も呆然として、<暫し言句も無かける>。
此の湯浅常山の「常山紀談」の話が、元になって、後の曾呂利新左衛門の頓智話が作られたのか、それとも、当時、もう相当有名になっていたのを聞いて書きとったかは分かりません。
もし、此の話が、常山の発掘した新しいお話であるならば、彼の歴史的評価ももっと高かったのではないかと思いますが。