私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

後楽園の写真を写しに

2009-10-24 17:12:03 | Weblog
 後楽園にある岡山県立博物館で、今、「土と火のオブジェ」展が開かれています。今日、その一環として、国学院大学名誉教授小林先生の講演会があるというので、早めに出かけ、ついでにと言っては何ですが、「十勝」の写真も撮ってきました。

     
 
 入場口をはいると、まず、鶴鳴館が目につきます。その正面玄関です。
 
 今日は、ここで一組の結婚式が執り行われていました。新郎新婦のおばに当たる方でしょうか、
 「もう一度、ここで結婚式を挙げてみたいよね」
と、今日の結婚式に満足なさっているような、さも睦つましそうな初老のご夫婦のひそやかな会話が聞こえてきます。平和な大きな後楽園での絵になるような小さな風景です。

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 もうこれで何代目かは不明ですが、例の村主「平四郎の松」は、冬支度も、すっかり済まして、裏玄関横に見え、ご丁寧なる説明板までが、そこにしつらえてありました。
 という事は、この松は、津田永忠の深い思い(心)ではなくて、藩主綱政自らの思いであったほうが強いのではないか。その為に、特別に言い伝えとして残って、現在まで続いるのではないかと。
 そんな思いをえがきつつ、庭園内に入ります。
 
 まず、目についたのが、園内の松の木、総てに、もう早々と冬支度が施されていました。
 曲水の流れと松と菰がちょっとした後楽園の冬の初めの風物詩を画きだしていましたので、ちょこっとカメラを向けてみました。

 
 
 その冬支度の整った松の下を流れて曲水は、すぐに延養亭へと誘ってくれます。艸葺と柿葺が交って、園内の正堂としての威容を誇らしげに現わします。
      

 なお、この延養亭の鶴を詠った詩も沢山ありますが、その内の一首

    一従鸞輿過 恩光溢草塘 如今池水静 仙鶴一声長    西川春峰  

 鸞輿は天子の乗り物、恩光はのどやかでいつくしみのある陽光、草塘は青々とっした草に囲まれた堤、仙は美しいというぐらいの意味になると思います。

 詩全体の意味について、詳しくは、例の漢文の先生に尋ねたいこと山々なのですが、彼もよる年波には勝てず、近頃、床に伏せっている時間が多いとのことで、少々訪ねて行くのを遠慮しています。だから、はっきりとした意味は、今は分かりかねますが、いずれ、また、彼の健康が回復した暁にはと思っています。