私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

大山巌とダンス

2009-10-04 17:30:47 | Weblog
 吉備の国とは全然関係はないのですが、鳩山春子の鹿鳴館にまつわるお話を探していますと色々と面白い裏話が見つかります。その一つを付け加えておきます。

 明治20年の鹿鳴館時代に、大川捨松が脚光を浴びたのですが、その夫も、また、別な意味で一時鹿鳴館の噂に上りました。
 そのダンスがうまかったのか下手だったのかは分からないのですが、ある時、ここで奇妙な一組のダンサーが踊りに興じていました。一人は力士のような大男とこれに引きかへ一方は人一倍痩せ細ったヒョロ男が一生懸命に踊っています。その組み合わせがとてつもなく滑稽だったので、そこにいた総ての人が、この奇妙な組合せのダンサーのダンスに、踊るのをやめて注視したのだそうです。
 この大男こそ、時の陸軍大臣、大山巌だったのです。あの捨松の夫だったのです。
 もう一人の痩せこけた男は東京府知事の松田道之と言う人だったそうです。

 こんなたわいもない事もして、参加した人たちは、本来の日本の欧米化を知らしめるという国家目的から外れて、ダンスそのもの自体も大いに楽しんでいたのです。それも決まって毎週月曜日にです。
 鹿鳴館には、こんな裏話もついて回っています。
 
 また、これも、記録にはあらわれてはいないことなのですが、当時、まだ政府高官たちの女性たちはダンスを十分に知らない人が多く、その為、出席だけはしても踊ることができなかったのだそうです。その為、女性の踊り手が絶対的に不足します。そこで、急きょ芸者にダンスを教えて、参加した男性諸君のお相手を務めたのだそうです。その為のトラブルもあったように聞いています。中には、それがきっかけとなって、良家の奥方に納まったちゃっかり者の芸者もいたと、云う噂もありました。

 

 これは、フランス人の漫画家ビゴーが書いた、鹿鳴館に集まった俄かダンサーにしつらえられた芸者の絵です。お行儀の悪いことこの上ありません。当時の日本人は、こんな漫画がフランスの新聞に載ったことなど少しも知りませんでした。

 こんな歴史の裏話も、この鹿鳴館の時代にも沢山生まれています。歴史とは、まあ、面白いものですね。