朝日新聞の一面、社会面で「今こどもたちは」という連載が始まった。一回目の「つながる」は、子供の読者モデルと、同じく子供であるそのファンとのつながりに焦点を当てている。わたしたちには分からない、現在の子供たちの世界を垣間見られて、非常に面白かった。
不気味だったのは、ファンの子がインターネットの仮想空間で、憧れの読者モデルと対面するシーン。読者モデルの分身「アバター」が登場すると、待ちに待ったファンの分身から歓声があがり、仮想交流が始まる。こういう感覚って、今の子供たちにとっては普通なのだろうか。ヴァーチャル社会が進展し、質感の伴う人間関係や手触り感のある肉的体験には価値がおかれず、今の社会では数字に変換可能な言語で日常を語ることが当たり前になりつつある。おそらく、幼少期から携帯電話、メール、ネットが当たり前の環境で育ってきた子供たちと、わたしたちとの間には、世界の認識の仕方に断絶がある。彼らは携帯メールの件数やブログのアクセス数というデジタルデータで人間の価値を決めるらしい。
こんな人間ばかりが増えたら、将来ろくなことにならないと思うので、誰かにぜひ、アナログ革命を起こして、情報過疎社会を築いてもらいたい。とは思っているものの、こうした意見をブログなどというケシカラン媒体に書いているところが、わたしのダメなところである。昨日はブログのアクセス数が突然減り、ショックを受けた。
さてと、ぼくの本はアマゾンで何位になったかな~♪
不気味だったのは、ファンの子がインターネットの仮想空間で、憧れの読者モデルと対面するシーン。読者モデルの分身「アバター」が登場すると、待ちに待ったファンの分身から歓声があがり、仮想交流が始まる。こういう感覚って、今の子供たちにとっては普通なのだろうか。ヴァーチャル社会が進展し、質感の伴う人間関係や手触り感のある肉的体験には価値がおかれず、今の社会では数字に変換可能な言語で日常を語ることが当たり前になりつつある。おそらく、幼少期から携帯電話、メール、ネットが当たり前の環境で育ってきた子供たちと、わたしたちとの間には、世界の認識の仕方に断絶がある。彼らは携帯メールの件数やブログのアクセス数というデジタルデータで人間の価値を決めるらしい。
こんな人間ばかりが増えたら、将来ろくなことにならないと思うので、誰かにぜひ、アナログ革命を起こして、情報過疎社会を築いてもらいたい。とは思っているものの、こうした意見をブログなどというケシカラン媒体に書いているところが、わたしのダメなところである。昨日はブログのアクセス数が突然減り、ショックを受けた。
さてと、ぼくの本はアマゾンで何位になったかな~♪
集団登・下校が当たり前となり、寄り道という素晴らしい経験が出来ない子供達が可哀想だと、さっき話題にしていたトコロ…
武蔵小山に向かっています♪
腰痛探検家高野氏の
「放っておいても明日は来る」で
取り上げてもらっている者です。
先日3人の息子(15,9,5)を連れて近くの
ジャングル(マレーシア在住)に行ってきました。
連中は生まれたときから、デジタルな機器に
囲まれておりますが、ヒルに攻撃されたり、
沢で転倒したりと、血みどろになりながらも、
結構楽しんでいましたよ。
“放っておいても”、そういう環境があった
時代とは違いますので、親がそういう環境を
与えてやる必要はあるのでしょうね。
デジタルが主流の世の中で、手触りのある
世界観を(も)持つということは、
やっぱりいいことだと思います。
ノスタルジーなのかなー。
ご活躍をお祈り申し上げます。
PS. ご著書、購入いたしました。
これから楽しみです。