ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

惜別千代の富士

2016年08月02日 07時56分59秒 | 雑記
千代の富士が亡くなった。大鵬や北の湖がなくなったときはさほど思うところもなかったが、千代の富士はわたしが小さい頃に相撲をみはじめたときの大横綱だったから、ちょっとしんみりするものがある。

もともと一番力をもったもの、もっとも強いものに生来嫌悪感をかんじる傾向のあるわたしは、小さい頃から巨人と自民党と千代の富士が大嫌いだった。今となっては野球に関心がなくなったので巨人はどうでもいい。自民党にかんしては今でも、世界で一番嫌いな人間が安倍晋三で二番目が高村正彦で三番目が麻生太郎というぐらい大嫌いな組織で、自民党の独裁傾向、および自民党の独裁傾向にさして抵抗を示すことなく流されゆく人々の腰砕け的傾向にたいしては、私なりのやり方で(誰にも気づかれないやり方で)別の価値観を提示したいと思っている(冒険とはじつはきわめて政治的営為なのだ)。しかし千代の富士は個人でつよくなった人物だけに(昔から八百長疑惑を囁かれた力士ではあったが、それもふくめて)巨人と自民党とはまったく別の敬意をおぼえる。

わたしが相撲をみはじめたのはたしか小学校一、二年で、そのときは北の湖がすでに晩年にはいっておりほとんど優勝争いに絡むことがなくなっていた。二代目若乃花の記憶はない。千代の富士はちょうど横綱にかけあがりこれから全盛期という時期で、彼に真っ向勝負で勝てるのは横綱隆の里(稀勢の里の師匠)だけだった。ウルフとよばれた千代の富士とポパイとよばれた隆の里ががっぷりよつに組み、怪力でまさる隆の里がつりあげて土俵の外にはこびだす姿をみて、幼いながら権力をうちやぶるのにちかい爽快感にひたったものだった。

かんがえてみると北の湖もいないし、隆の里もすでに鬼籍にはいっている。あの頃、大関で私が応援していた北天佑もだいぶ前になくなったし、生き残っているのは琴風と若島津と朝潮だけか。そのあと、双羽黒(プロレスラーになった北尾)や北勝海(千代の富士の弟弟子で現理事長の八角親方)や大乃国(ガチンコとスイーツ好きで知られる力士)が横綱になり、小錦が大関になり、旭富士や霧島がつづくのだが、あの頃の相撲は今とちがって動きがはげしくて本当に面白かった。今の相撲はデブとデブがぶつかり合って転びあうスポーツにしかみえなくなった。

力士は寿命が短い。酒の飲みすぎだろうか。
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