2012年10月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2018ページ
ナイス数:77ナイス
GJ部(9) (ガガガ文庫)の感想
卒業だけど、らしい終わり方。部長(前部長かw)はこの最終巻読めないね(笑)(☆☆☆☆☆)
読了日:10月3日 著者:新木 伸
アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者3 (講談社ラノベ文庫)の感想
相変わらず、手堅い面白さをキープしている。ネタの広がり具合もいい感じ。新ヒロイン登場の伏線かと思わせておいて、そう落とすかと思わず唸った展開も○。(☆☆☆☆☆)
読了日:10月5日 著者:榊 一郎
きょうも料理―お料理番組と主婦 葛藤の歴史の感想
タイトルと着眼は秀逸だが、牽強付会の印象が強く残った。修士号を取っていてコレとはと思ってしまう。良妻賢母にせよ社会システムからの圧力は確かにあるが、一方で女性自身がそれを望んだという面もあった。個々の事例についてつぶさに検証していかないと、すべて社会が悪いで終わってしまう。家事への意欲が低くても経済力のある男性の方がその逆よりも、社会的にも女性の側からも遥かに求められている現状があり、そこに風穴を開けないと大きな変化は望めない。もう少しそうした点に示唆を富む内容であればよかったのに。(☆☆☆)
読了日:10月11日 著者:山尾 美香
ケルベロスの肖像の感想
ミステリではなく因縁劇。それは構わないのだけれど、シリーズのみならず桜宮サーガを数多く読んでいてもなお、描こうとした「業」についていけず、どうにも浅薄な内容に感じられてしまった。シリーズ完結ということで、オールキャストで盛り上げたが、物語自体は盛り上がることもなくあっさりとした終わり方となった。海堂尊って、当たればデカいけど、空振りも多い作家って印象だね(笑)。(☆☆☆)
読了日:10月19日 著者:海堂 尊
戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢の感想
戦後日本の歴史研究に軍事的な視点が不足していることについては同感で、社会的な空気に左右される部分が非常に色濃い歴史学らしいと思う。論理展開もしっかりしていて非常に興味深かった。もっと軍事学的観点から照射して欲しい。また、あとがきにある本書に書かれなかった点についても読んでみたい。(☆☆☆☆☆☆)
読了日:10月22日 著者:西股 総生
舟を編むの感想
初、三浦しをん。本屋大賞受賞作ということもあり、期待値が高すぎたせいか、物足りず。辞書作りが題材なので本好きの評価が甘くなったのか。これなら欠点も多かったけれど、同じ出版社が舞台の『プリティが多すぎる』の方が印象的だったかもしれない。主人公の造型がハーレム系ラブコメの安直さよりもひどく感じてしまったしなあ・・・。(☆☆☆)
読了日:10月27日 著者:三浦 しをん
サエズリ図書館のワルツさん 1 (星海社FICTIONS)の感想
滅亡しつつある世界観は悪くない。ストーリー、キャラクター、文体などもよく描かれている。ただ、「紙の本」であることがテーマにしっかりと結びついているのはコトウさんの話くらいで、物足りなさも感じた。私自身、本に埋もれて暮らしているが、それほど「紙の本」にこだわりを持っていないせいかもしれない。もう少し、その辺りを強く印象付けるものが欲しい。(☆☆☆☆)
読了日:10月31日 著者:紅玉 いづき
読書メーター
先月に引き続き7冊。残り2ヶ月をこのペースで読むと年間80冊と酷い数字になってしまう。なんとかしたいけれど、なんとも難しいところ。
核戦争後の世界というと、ひとむかし前は『北斗の拳』や『AKIRA』など生命力溢れた作品が印象的だったが、『サエズリ図書館のワルツさん』の描く世界は、滅びを受け入れる黄昏的な世界観が味わい深い。『人類は衰退しました』も明るさはあるものの基本的には似た路線だろう。社会の空気の反映でもあるが、たとえ滅びるにしてもしみったれたものではなく、顔を上げて生きようとする姿勢が心地よく感じる。決して肩肘張ろうとはしないけど。
本屋大賞は第6回まではノミネート作のうち読んだのが1~3冊。第7回第8回は10冊のうちの半数の5冊。そして、今年の第9回は受賞作の『舟を編む』で4冊目。2位以下に大差をつけての受賞ということもあり、かなり期待していただけに非常に残念だった。
三浦しをんは読書メーターでも非常に人気の作家で、以前から読みたいと思っていた。辞書作りをテーマとした作品ということもあり、『舟を編む』は初めて読む良いきっかけになるはずだったのだが。
感想にも少し触れたが、キャラクターに魅力がなかったことが楽しめなかった最大の要因だった。例えば、主人公。コミュニケーション不全なのに、簡単にヒロインに惚れられる。どこにそんな魅力があるのか、さっぱり伝わってこない。ヒロインも外見以外に魅力を感じられなかったが。
ライトノベルに限らず、サブカル系の作品ではキャラクターの魅力をどう伝えるかに多大な熱意が注がれている。その進化の果てに、重層的に記号化されたキャラクター像が生み出され、理解するためのリテラシーが必要とされるまでになってしまった一面もある。
そんな文化を知っていると余計に、ただ真面目なだけのキャラクター像に魅力を感じなくなってしまう。『神様のカルテ』も似たような印象だが。
ハーレム系ラブコメの主人公で、家事、特に料理が普通に出来るキャラクターといえば、柾木天地や衛宮士郎が思い浮かぶが、こうした主人公の魅力を引き出すひとつのスキルとして料理ができることが使われている。
『きょうも料理』は主に明治以降の主婦業について書かれたものだが、終盤にあった「男の料理」に対する考察はそれをメインに著してもらいたいと思わせるものだった。料理人の料理やいかにも男っぽい男の料理ではない、家事としての男の料理の意識の変遷とその背景は興味深い。もちろん、それに対する女性の視線が変化したのかどうかも気になるところだ。
感想に書いたように、「家事への意欲が低くても経済力のある男性の方がその逆よりも、社会的にも女性の側からも遥かに求められている現状」に将来変化が訪れるのかどうか。今の日本では難しそうに思うが、現在のライフスタイルが今後も成り立っていけるのかもまた難しいと感じる。
社会とは基本的にどこかにシワ寄せをすることで成立しているものだが、いつかはそれが破綻し、急激な変化をもたらす。地球的規模でのシワ寄せを思えば、その破綻は滅びにも繋がりかねない。滅びつつある中をそれでもなんとか生きていくという認識が今の日本に広がっているのかもしれない。
『戦国の軍隊』は良書。この観点での研究をもっと読んでみたい。
2012年9月に読んだ本
2012年8月に読んだ本
2012年7月に読んだ本
2012年6月に読んだ本
2012年5月に読んだ本
2012年4月に読んだ本
2012年3月に読んだ本
2012年2月に読んだ本
2012年1月に読んだ本
2011年に読んだ本
2012年10月に読んだコミック
『下町鉄工所奮闘記ナッちゃん東京編』3巻(たなかじゅん)
『グラゼニ』6巻(アダチ ケイジ)
『ラストイニング』34巻(中原 裕 神尾 龍)
『あさひなぐ』6巻(こざき 亜衣)
『はじめの一歩』101巻(森川 ジョージ)
『ダイヤのA』33巻(寺嶋 裕二)
『銀の匙 Silver Spoon』5巻(荒川 弘)
『昭和元禄落語心中』1-3巻(雲田 はるこ)
『おおきく振りかぶって』20巻(ひぐち アサ)
『MIX』1巻(あだち 充)
今月は特にスポーツものばかりって感じに。『MIX』は始まったばかりでまだなんとも言えない感じ。
『銀の匙 Silver Spoon』は序盤の勢いが影を潜め、少しトーンダウン。北海道ネタ・農業ネタが薄まると、ラブコメとしてはちょっと辛い感じかな。
落語はひとりで何役もこなす話芸。噺家は男が大半だが、落語には当然女も出て来る。そういうところでの「色気」が際立っている『昭和元禄落語心中』。雲田はるこはBL系ということもあり、さすがといったところ。2巻途中から回想編となり、長々と続く様は『ベルセルク』かよ!とツッコんでしまうが、本編主人公が全く登場しない(生まれる前の話だしねえw)という意味ではその上を行くような展開。今後に期待。
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2018ページ
ナイス数:77ナイス
GJ部(9) (ガガガ文庫)の感想
卒業だけど、らしい終わり方。部長(前部長かw)はこの最終巻読めないね(笑)(☆☆☆☆☆)
読了日:10月3日 著者:新木 伸
アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者3 (講談社ラノベ文庫)の感想
相変わらず、手堅い面白さをキープしている。ネタの広がり具合もいい感じ。新ヒロイン登場の伏線かと思わせておいて、そう落とすかと思わず唸った展開も○。(☆☆☆☆☆)
読了日:10月5日 著者:榊 一郎
きょうも料理―お料理番組と主婦 葛藤の歴史の感想
タイトルと着眼は秀逸だが、牽強付会の印象が強く残った。修士号を取っていてコレとはと思ってしまう。良妻賢母にせよ社会システムからの圧力は確かにあるが、一方で女性自身がそれを望んだという面もあった。個々の事例についてつぶさに検証していかないと、すべて社会が悪いで終わってしまう。家事への意欲が低くても経済力のある男性の方がその逆よりも、社会的にも女性の側からも遥かに求められている現状があり、そこに風穴を開けないと大きな変化は望めない。もう少しそうした点に示唆を富む内容であればよかったのに。(☆☆☆)
読了日:10月11日 著者:山尾 美香
ケルベロスの肖像の感想
ミステリではなく因縁劇。それは構わないのだけれど、シリーズのみならず桜宮サーガを数多く読んでいてもなお、描こうとした「業」についていけず、どうにも浅薄な内容に感じられてしまった。シリーズ完結ということで、オールキャストで盛り上げたが、物語自体は盛り上がることもなくあっさりとした終わり方となった。海堂尊って、当たればデカいけど、空振りも多い作家って印象だね(笑)。(☆☆☆)
読了日:10月19日 著者:海堂 尊
戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢の感想
戦後日本の歴史研究に軍事的な視点が不足していることについては同感で、社会的な空気に左右される部分が非常に色濃い歴史学らしいと思う。論理展開もしっかりしていて非常に興味深かった。もっと軍事学的観点から照射して欲しい。また、あとがきにある本書に書かれなかった点についても読んでみたい。(☆☆☆☆☆☆)
読了日:10月22日 著者:西股 総生
舟を編むの感想
初、三浦しをん。本屋大賞受賞作ということもあり、期待値が高すぎたせいか、物足りず。辞書作りが題材なので本好きの評価が甘くなったのか。これなら欠点も多かったけれど、同じ出版社が舞台の『プリティが多すぎる』の方が印象的だったかもしれない。主人公の造型がハーレム系ラブコメの安直さよりもひどく感じてしまったしなあ・・・。(☆☆☆)
読了日:10月27日 著者:三浦 しをん
サエズリ図書館のワルツさん 1 (星海社FICTIONS)の感想
滅亡しつつある世界観は悪くない。ストーリー、キャラクター、文体などもよく描かれている。ただ、「紙の本」であることがテーマにしっかりと結びついているのはコトウさんの話くらいで、物足りなさも感じた。私自身、本に埋もれて暮らしているが、それほど「紙の本」にこだわりを持っていないせいかもしれない。もう少し、その辺りを強く印象付けるものが欲しい。(☆☆☆☆)
読了日:10月31日 著者:紅玉 いづき
読書メーター
先月に引き続き7冊。残り2ヶ月をこのペースで読むと年間80冊と酷い数字になってしまう。なんとかしたいけれど、なんとも難しいところ。
核戦争後の世界というと、ひとむかし前は『北斗の拳』や『AKIRA』など生命力溢れた作品が印象的だったが、『サエズリ図書館のワルツさん』の描く世界は、滅びを受け入れる黄昏的な世界観が味わい深い。『人類は衰退しました』も明るさはあるものの基本的には似た路線だろう。社会の空気の反映でもあるが、たとえ滅びるにしてもしみったれたものではなく、顔を上げて生きようとする姿勢が心地よく感じる。決して肩肘張ろうとはしないけど。
本屋大賞は第6回まではノミネート作のうち読んだのが1~3冊。第7回第8回は10冊のうちの半数の5冊。そして、今年の第9回は受賞作の『舟を編む』で4冊目。2位以下に大差をつけての受賞ということもあり、かなり期待していただけに非常に残念だった。
三浦しをんは読書メーターでも非常に人気の作家で、以前から読みたいと思っていた。辞書作りをテーマとした作品ということもあり、『舟を編む』は初めて読む良いきっかけになるはずだったのだが。
感想にも少し触れたが、キャラクターに魅力がなかったことが楽しめなかった最大の要因だった。例えば、主人公。コミュニケーション不全なのに、簡単にヒロインに惚れられる。どこにそんな魅力があるのか、さっぱり伝わってこない。ヒロインも外見以外に魅力を感じられなかったが。
ライトノベルに限らず、サブカル系の作品ではキャラクターの魅力をどう伝えるかに多大な熱意が注がれている。その進化の果てに、重層的に記号化されたキャラクター像が生み出され、理解するためのリテラシーが必要とされるまでになってしまった一面もある。
そんな文化を知っていると余計に、ただ真面目なだけのキャラクター像に魅力を感じなくなってしまう。『神様のカルテ』も似たような印象だが。
ハーレム系ラブコメの主人公で、家事、特に料理が普通に出来るキャラクターといえば、柾木天地や衛宮士郎が思い浮かぶが、こうした主人公の魅力を引き出すひとつのスキルとして料理ができることが使われている。
『きょうも料理』は主に明治以降の主婦業について書かれたものだが、終盤にあった「男の料理」に対する考察はそれをメインに著してもらいたいと思わせるものだった。料理人の料理やいかにも男っぽい男の料理ではない、家事としての男の料理の意識の変遷とその背景は興味深い。もちろん、それに対する女性の視線が変化したのかどうかも気になるところだ。
感想に書いたように、「家事への意欲が低くても経済力のある男性の方がその逆よりも、社会的にも女性の側からも遥かに求められている現状」に将来変化が訪れるのかどうか。今の日本では難しそうに思うが、現在のライフスタイルが今後も成り立っていけるのかもまた難しいと感じる。
社会とは基本的にどこかにシワ寄せをすることで成立しているものだが、いつかはそれが破綻し、急激な変化をもたらす。地球的規模でのシワ寄せを思えば、その破綻は滅びにも繋がりかねない。滅びつつある中をそれでもなんとか生きていくという認識が今の日本に広がっているのかもしれない。
『戦国の軍隊』は良書。この観点での研究をもっと読んでみたい。
2012年9月に読んだ本
2012年8月に読んだ本
2012年7月に読んだ本
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2011年に読んだ本
2012年10月に読んだコミック
『下町鉄工所奮闘記ナッちゃん東京編』3巻(たなかじゅん)
『グラゼニ』6巻(アダチ ケイジ)
『ラストイニング』34巻(中原 裕 神尾 龍)
『あさひなぐ』6巻(こざき 亜衣)
『はじめの一歩』101巻(森川 ジョージ)
『ダイヤのA』33巻(寺嶋 裕二)
『銀の匙 Silver Spoon』5巻(荒川 弘)
『昭和元禄落語心中』1-3巻(雲田 はるこ)
『おおきく振りかぶって』20巻(ひぐち アサ)
『MIX』1巻(あだち 充)
今月は特にスポーツものばかりって感じに。『MIX』は始まったばかりでまだなんとも言えない感じ。
『銀の匙 Silver Spoon』は序盤の勢いが影を潜め、少しトーンダウン。北海道ネタ・農業ネタが薄まると、ラブコメとしてはちょっと辛い感じかな。
落語はひとりで何役もこなす話芸。噺家は男が大半だが、落語には当然女も出て来る。そういうところでの「色気」が際立っている『昭和元禄落語心中』。雲田はるこはBL系ということもあり、さすがといったところ。2巻途中から回想編となり、長々と続く様は『ベルセルク』かよ!とツッコんでしまうが、本編主人公が全く登場しない(生まれる前の話だしねえw)という意味ではその上を行くような展開。今後に期待。
その世界でさえ、というのを書くと「レギオス」みたいなラノベへの落とし方もあるみたいです(あんまり好みの作品じゃないですけど)。
というか、三浦をしんがあのレーベルから出してるのに驚きました。
あと落語の話は、そういえば最近アニメだか漫画だかでもあったんだよなあ、と、少しビックリしたりw
>キャラ
記号の集積からキャラ性を通して、自分の中に「人格」を投影する、みたいなスタイルかもしれませんね。WEBの二次創作とか見ると、ですが。
極端な世界観に耐えられるキャラ性としては記号化が手っ取り早いですし(ギャップを狙ってリアルにするのも有りでしょうけど)、その方が構成としては便利というのもあるかもしれませんね。
キャラの相関関係、背後関係、というのを予め多層的に織り込んでおいて、その構図から世界や、テーマを読ませるというのがこうしたキャラ優位作品の特徴というか強みなのかな、と。
衛宮士郎というと、丁度Fateがこんな作品なのかなあとか。
と言っても、Fateはよっぽど成功した例ですし、そう簡単にキャラから物語全体に接続するような魅力を確保できる作品は(特にああした大容量のゲーム以外で)ないような気もしますけど。
コミュニティそのものの消費が主流の現在と言っても、「最初に消費されうるコンテンツ」を作る技量は図抜けていなければいけないわけで、その必要条件にキャラの魅力は確実にあるような気がしています。
>戦国の軍隊
Twitterでベタボメ気味に(?)書かれてたので気になってました。
史実全体像の訂正とかに繋がる、とかじゃないにせよ、知っていると面白そうなお話ですし、早速チェックしてみようかとw
世界観にせよ、ドラマ性にせよ、それに見合うキャラクターの強度が必要だと思いますが、実際にはそれを気にしない読者も多いのかもしれません。ライトノベルなどはお約束の記号化によって補っているという仕掛けが分かりやすいわけですが、「分かりやすい良い話」なんて仕掛けでも補強されるみたいです。
そういう意味では、オタクが「萌え」を求めるように、一般人(もちろん全てではないでしょうが)は安っぽい「感動」を求めているのかなあと。似たような気色悪さを感じてしまいますがw
キャラクターを重視する考え方はコミック的(特に週刊連載漫画的)だと思っていますが、絵の持つ情報量に対して文章だけでそれをカバーするのは非常に困難です。ライトノベルの成功にイラストの比重が高いのは必然ですし、ゲームやアニメ発であればそうした手法は容易です。
一般小説の場合、映像化が成功すれば描きやすくなるでしょうが、それに頼らずにキャラクターを中心に展開することは容易ではなく、どうしてもドラマ性など他の要素が中心になります。海堂尊は映像化もされましたが、それに頼らずに上手くキャラクターを生かしていると感じています(映像化されたものをほとんど見ていない私の印象ですが)。
有川浩などは比較的記号性の残るキャラクター像だと感じていますが、エンターテイメントに徹したストーリーにおいて個人の複雑な感情や独自性はむしろ邪魔になるため、成功していると思います。
一方、『舟を編む』や『神様のカルテ』で感じるのは、ストーリーのために作られたキャラクター像で、合理性ではなくストーリーの要請によってのみ成立するキャラクター関係などに鼻白んでしまいます。
繰り返しになりますが、そうした作品が高い評価を受けている現状を鑑みますと、それもまた「記号」として受け入れられているのでしょう。TVメディアを中心に、近年、「感動」の安売り・押し売りが横行している印象ですが、その余波が生み出した現象だと思います。近年と言っても、もう10年以上は経つかもしれませんが。
>戦国の軍隊
長篠の合戦の見直し(鉄砲の三段撃ちが武田騎馬隊を倒したといったそれまでの常識を覆した)などの系譜を受けて書かれたもので、軍事の視点を中心に戦国期の歴史認識に対して疑義を呈しています。文系の書物にしては論理性が高く、楽しく読めました。
ただ東国に対して織豊政権の軍事的優位性についての見解はやや物足りなさを感じるものでした。もちろん正解が用意されている問題ではありませんが。
携帯小説や一昔前の「泣ける話」系統にあった、微妙に人を選ぶ空気なんかも、これと類似しているように思います。
まあ、ラノベにしろ携帯小説にしろ、外部の人間から見ればそうした面は多々あるでしょうけどw
キャラの厚みとなると、記号化されていても感じるのはやはり語彙の選び方や反応の端々に見える人間の奥行きなんかになるのでしょうね。
どれだけテンプレートでも小説は文字でしか構成されないわけで、その厚みを担保する流れが構成されているかどうかが重要なんだろうなと。
このキャラはこんな風に考えないだろう、とか、このキャラはあの背景でどうしてこう短絡するのか、みたいになると、それはやはり「薄い」と感じてしまうでしょうし、後はそれが物語上、どれだけの比重で描かれるかがこの辺りのバランスになってるようにも感じます。
今はもう記号化のレベルすら構成の対象、と言えるのかもしれませんね。
奈須きのこだったか、インタビューでそれほど記号化に意識はしていないと発言していたのを見たのですが、BOXの作品なんかを読むと、充分に「記号的」ではあるけど、「このキャラはこう反応する」反応はあれど、それが現在主流のラノベほど極端かと言えば、これはそうでもないように思いました。
記号化したから落差を設けられる、と言った段階は過ぎていて、記号化されているからコミカルにも、その逆の方面にも振り切れるというのが現在かなと。
「ありきたりな感動」は構造の段階での「わかりやすさ」ですけど、記号化されたキャラとその結び付きは普通にやるとあまりにも安易ですし、だからではないのでしょうけど、こうしたわかりやすさやわかりにくさの構造と、記号化されたキャラの多様性は、同一のレイヤー上であれこれと要素の組み合わせを行なうのが主流なのかもしれませんね。
それらが悪いかとなると、これがスタンダードに食い込んできている、と考えた方がわかりやすいのでしょうね。
一般エンタメ小説のキャラ小説的なアプローチは数年前からかなり大きくなっていますし、万城目先生の作品なんかも、程度こそ違えど有川先生と同じような空気を感じたりします。
その上でどう面白いか、というのは、それこそ物語が持つ厚みと比較してのバランスなんだろうなと。純文的な内面を描くことが邪魔にしかならない構成もありますしね。
>戦国の軍隊
たぶん、今日辺り届いていると思うので、楽しみですねw
一つの視点から切り口を広げる本は、全体像はともかくある一点から見た広がりが大きくなるので、考証の兼ね合わせが大変な場合もありますけど、どうなってるかなあと。
戦国時代はあんまり強くないので、まずは補完になればいいな、くらいで読ませて頂きたいですねw
しかし、現実には多くのキャラクターが記号としての「天才」を付与されていたりします。志熊理科が天才なのは、そう設定されているからというだけに過ぎません。IQが高いだとか、凄い発明をしているといった記号性によって補強はされていても、具体的な天才振りが作中に描かれることはありません。
『僕は友達が少ない』において登場キャラクターが本当に天才かどうかはさして問題ではありません。一方、『ジェノサイド』においては、幾人かの主要キャラクターの知能の高さはストーリー上重要になります。しかし、残念ながらこの作品で天才であるべきキャラクターが具体的に天才振りを発揮することはありませんでした。その点で物足りなさを感じましたが、ストーリー的には記号としての「天才」でなんとか押し通すことをやってのけたわけです。
『舟を編む』では、主人公の真面目さや言語感覚についてエピソードで語られています。単なる記号性に頼らず、しっかりと肉付けしようとしている点は良いと思うのですが、それがストーリーと整合していない印象が強く残りました。
書き手が美徳として挙げている魅力が、美徳と感じないという点がおそらくその要因になっていると思います。
奈須きのこも記号性に頼らず、エピソードを丹念に描いてキャラクターを造型するタイプの作家だと思います。ただそうして形作られたキャラクターに感情移入できないということが難点だったりしますが(笑)。
>感動主義
昔から感動できる話はありましたが、人情噺や生病老死に関するものがほとんどだったと思います。最近の傾向として、努力して何かを成し遂げる系のものが多いように感じています。
いわゆる「プロジェクトX」系と言いますか、その手の話が増えているように思います。『舟を編む』なんて本当にそのまんまですし。
こうした努力が報われる物語は、現代においてはファンタジーとも呼べるもので、昭和的ノスタルジックな感覚の上に乗っているように感じています。それが「気色悪さ」の正体なのかと。
「努力すれば成功する」が真ならば、その対偶である「成功しないのは努力していないから」もまた真となります。現実はそんな単純なものではないわけですが、そうしたシンプルな考え方が好まれているようでもあります。
ノスタルジックな感覚、回帰主義は過去の成功体験という甘美な経験ゆえに好まれていると思います。しかし、成功は数々の幸運の上に成り立つものであって、同じ方法を繰り返しても成功に至ることはないと言ってもいいでしょう。成功体験の克服こそがいま最も求められていることなのに、それを口にする人の少なさに呆然としてしまいますが・・・。
これまでは漠然とでしたが、こうした回帰主義的な「感動主義」に対して拒絶反応があったのだと思います。そうでない感動話は普通に受け入れていますし。まあ「泣ける話」を高く評価することはまずありませんけどw
今だともうデフォルト属性で「優等生」、「天才」と、頻出ですし。
天才ぶりを発揮したエピソードを書く、とか、論文をでっち上げて語らせるとか、手法は色々ありますけど、極端な世界でしか通用しない、というデメリットはあるんですよね。
めだかBOXなら「そういう世界」の「そういう理屈」を書けばいいですけど、これが一般小説だったりすると、天才の内面は奇抜さでしか書きようがありませんし、その懊悩を書く、という事も困難であるように感じます。
真賀多博士もかなりエピソードを書くことと奇抜な論理(常人と違う理屈)で裏付けされたキャラだったように感じてますけど、あれがレギュラーキャラだと、書く必要のある事柄が増えてきて、かなり使い辛いことになっていたように思います(それはそれで見てみたいですがw)。真賀多短編シリーズも、その点でちょっとなあ、と思った面があったので。
で、そうでなければ、いっそ「何も書かないこと」で、天才の行動だけを観念的に羅列する方が、まだしもそれに近いかな、と。
京極堂シリーズの榎木津探偵がシリーズを通してほぼ一人称主体から外れている(京極堂本人も)のも、そうした理由からではないかなと思ってます。
「常人を超越している」人間を書くことで、逆に普通たらしてめてしまう危険性を孕んでるキャラ、というのが天才かなと。
というか、天才が天才たるゆえんの思考の流れを(恐らくは普通の人間が)書いてどうにかなるものではないでしょうし、まして大勢の読者がそれをどう感じるかというと、具体性のある行動「のみ」に着目してしまうでしょうしね。
ジェノサイドの超越知性にしても、ああしたキャラで、世界の趨勢=行動みたいな極端な構造に閉じ込めたからこそ超越者であり続けたんだろうなとは感じます。まあ、イーガンやレムのあれこれでもっと極端な話に慣れっこで、これについてはなんだかなあと感じましたけど(苦笑)。
ミステリだとこうした問題(作者の知識を登場人物が超えられない)はトリックと結び付いてますけど、説得力の問題は、読んでいる際の「話の奥行き」を否応無しに意識させる位相だなと。
後は単純に、世界観と、そこで生きる人間の厚みを補完する知識がセンテンスに織り込まれていて、登場人物がそれを意識しているか、なんかもそうですね。
奈須きのこは、人間それ自体が記号か現象(反応のカタマリ)で、個々人の感情がどうにもならない流れの中で振り回されていくのが特徴かなと思ってます。
空の境界にしてもDDDにしても、これは同様の感想でした。虚淵玄のFate/zeroはそれに対して、奈須きのこが描かない「内面のどうにもならなさ」を書いているように感じて、これは「多くの人間が使えるキャラの強さ」だなあとか。
感情移入に関しては、そうした話だけに特に必要ないかな、とは思ったりしますねw 西尾維新の戯言シリーズより、もっと振り切れて「そういう人間達の話」として読んでました。
>「成功しないのは努力していないから」
これは凄くありますねw というか、ドラマとかでしょっちゅう感じます。「じゃあ、主人公達のように考えられない人間は悪いのか」ですね。捻くれてるかなと思うことはありますけど、現実問題、どうにもならなさ、という中で何かを見付ける、という話さえも受け入れられてきている時流は、そこに理由があると感じてます。
努力しないから悪い、と言っても、どこまで努力すればいいのか、その努力が報われないのは本当に「足りて」いないからなのか、そこまで努力できる環境下にあるか、というのは様々ですしね。
それをひとくたに「しなかったから悪い」と否定してしまうなら、それは問題でしかないでしょうから。
ただまあ、それでも、啓発書のコーナーの棚が狭まらないのを見るに、ロールモデルとしての成功者(と、そのロールモデルを翌年辺りに否定するロールモデル)の話は好まれ続けるのかなとは思いますが。
今はメディアが乱立しているので、「やりゃあできる、お前もやれ」が正しいかどうかではなく、無数の作品の中から「自分に合った話」を選び取れる時代でもあるのでしょうけど、こればかりは宣伝媒体のゾーニング効果でしょうね。
「強いからやれる」スーパーマン系の話は幻想の仮託として処理できますけど、ある種の「正しさ」として提示される話が物語内部で肯定されることへの違和感、みたいなものでしょうか。
成功物語も過程自体は同じようなものではあるのですけど、色々な要素が噛み合って「成功する」という段階を飛ばして結論で感動を得てしまうと、どうしてもこうなってしまう気がします。提示されたオチが強すぎて、「こうあるべき」が結論化してしまうので。
小説は様々なテーマを複数の思想(多くは同列)から切り込んで、色々な解答を同時に提示して、読者に考えさせることができる媒体だと思いますが(キャラのそれぞれに「正しさ」を持たせたりして)、映像よりも地の文が強い分、そこが余計に強調されているようにも思います。まあ、映画でも酷いプロパガンダ映画とかあるわけで、文章だからそうなる、とかじゃないですけどw
「仲間が大事!」とかだとワンピースで、あの作品だとルフィの仲間意識だけが取り上げられる事が多いですけど、あの世界で孤独を選んだキャラにも、それなりのポリシーと理念があるのは間違いないよなあ、とか思ったりしますね。って、実際、かなり多面的に描かれてる作品だと思うんですけどね(最新まで追っていませんが)。
ノンポリか否か、みたいな話に帰着しちゃいそうですが(ノンポリというポリシーの肯定になりかねませんが(苦笑))、ここらへんは本当に自分に合うか合わないか、後はマス的な市場と作者がどう感性を合わせてるか、になりそうだなとか思っています。