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「舞-乙HiME」と学芸会アニメ

2007年05月12日 22時04分18秒 | アニメ・コミック・ゲーム
AT-Xで放映された「舞-乙HiME」を見たので簡単に感想を。ちなみに「舞-HiME」やその他マルチメディア展開されている作品は全く見ていない。

前半は楽しめたが、後半はつまらなくなってしまった。葛藤やカタルシスの作り方がチャチに感じるのが原因だ。心の動きにリアリティが無い、人間性が薄っぺら、抑圧に対する開放の落差に乏しい、行った事とそれに対する報いのバランスが悪い。
サンライズ繋がりという訳でもないが、以前「ガンダムSEED」を見ていたとき(途中までしか見ていないが)同じように感じたことがあった。このように感じる大きな要因は、大人の不在にある。この場合の大人は、もちろん年齢的なものではなく精神的な点で大人であるキャラクターという意味だ。
比較として「鋼の錬金術師」を挙げると分かりやすいが、主人公たちは未熟な少年少女でもそれを支える大人たちが存在していることで作品に厚みを生んでいる。

「舞-乙HiME」ではそれが顕著で、本来大人の役を務めるべきセルゲイ・ウォンの造形のまずさは作品全体に悪影響を及ぼしている。主人公アリカが恋し、ニナが自分の全てを賭けて救おうとする人物なのだから、見る者を納得させる魅力ある人物に描かなければ説得力が出てこない。しかし、実際は子供と言っていいような薄っぺらなキャラクターだった。

大人不在は他の作品でも目に付く。「涼宮ハルヒの憂鬱」「桜蘭高校ホスト部」「Fate/stay night」といった最近のヒット作も同様だ。それが欠点とならないような作りにはなっているが。今期のアニメでも「ひとひら」「らき☆すた」などがそうだ。
明らかに現実社会の中で子供の成長に対する大人の存在感が薄れていることの表れと言うべきなのだろう。まあキャラクターさえ受ければヒットする現在の市場のあり方の影響でもあるが。

で、このような作品、特にアニメに目立っているので『学芸会アニメ』と勝手に名づけてしまおう。特徴としては、未熟であることが許容される、縦の関係が希薄、行った事への責任がうやむやになる、何事も大げさに捉えられがちなどがある。もちろん、アニメはもともと子供向けでそういった側面はどのアニメにも昔からあったが、小さな世界(日常)だけでなく大きな世界の命運まで同じレベルで語っているあたりに違いが感じられる。

『学芸会アニメ』であっても面白ければそれで構わない。ただこうした作品が生まれる背景に、作り手の未熟さがあるのなら危機感を感じてしまう。

現在AT-Xで「吉永さん家のガーゴイル」を見ているが、主人公の少女・双葉にダメな事はダメとはっきり言える大人が不在で、なんだかなあと思ってしまう。『学芸会アニメ』の許容の線引きは、そのあたりの感じ方にあるのかもしれないが。