酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

新聞の品格

2008-05-01 04:57:00 | Weblog
 本来、新聞をはじめとするメディアに品格など求める筋合いではないのかもしれない。基本は野次馬精神であり、そこから「もっと知りたい」が生まれ、「真相は何か」にたどり着く。

 新聞に今求められているのは品格など忘れて、硬直化した社会にぶつかっていくことだろう。

 ここで考えてみたいのは、もっと卑近な品格(?)、つまり紙面の体裁である。

 毎日が先行し、読売と朝日が火をつけて「文字拡大ごっこ」が始まった。小さい活字を使っているのは、一人勝ちとも言われる日経だけである。

 大手紙も地方紙も読みにくい。紙面から流動性が失われたせいだろう。朝日は完全なブロック編集に切り替えた。同じブロックに違う種類の短い記事を交ぜて平然としている。

 文字を大きくするのは視力が衰えだした高齢者のためだ。各紙が一斉に文字を大きくしたということは、それだけ新聞の高齢者依存が進んでいるということだろう。年金や医療保険「改正」に絡んだ論調が、政府に厳しいのは当然だ。

 だが、新聞の読者に老人が多いのは昔からの話だ。文字を大きくして情報量を減らす。記事の味わいが薄れ、言葉の省略がいっそう乱暴になった。「正しい日本語」が泣いている。
 
 若者向けの記事はと見ると、芸能だのスポーツだのと相変わらずだ。サブカルチャーにはいまも冷淡である。読んでくれない相手に媚びることもないが、読んでもらおうという気がないのはどうも…。

 それよりもひどいと思うのは、各面の記事の中に広告が埋め込まれているのが目立つことだ。2、3㌢四方の小さなものから、結構ごつい広告までにぎやかだ。

 紙面は記事と広告で構成されているわけだから、広告があるのは当たり前だ。しかし、記事の中に割り込んでくるスタイルは、いかがなものか。

 民放の報道番組が深刻なテーマを解説している最中に、ぶった切ってオチャラケたCFを流すようなものだ。そこでテーマは「よそ事」に切り替わり、視聴者は単なる傍観者になる。新聞の場合はやや違うが、記事に広告を挟むとは基本的にそういうことだろう。

 F1ドライバーのレーシングスーツにはやたらスポンサーのロゴが目立つ。あちこちに広告を貼り付けているきょう日の新聞と似ている。各地の野球独立リーグのユニホームもそんな格好だ。チーム名を捜すのが難しいほどだ。

 これも、まだいい。目に余るのが独りよがりの主張の押し付けだ。読売と朝日が提言合戦をしている。読売に至っては自社の主張に対する評価まで記事化して喜んでいる。

 主張はあって当然だ。だがメディアが提言するにはそれなりの尺度と見識が求められる。手前勝手な理屈を並べ立てて、力みかえるのでは現実の政治とかみ合わない。メディアは世論のアンテナだが、先走りの提灯ではあるまい。

 このままではまた、「ハメルーンの笛吹き新聞」になってしまうぞ。
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