酔眼独語 

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「靖国」上映中止の社説を読む

2008-04-03 06:02:47 | Weblog
 日本在住の中国人監督が製作した映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が相次いでいる。嫌な時代だとつくづく思う。

 テレビはこの問題に冷淡だが、さすがに新聞各社は揃って社説やコラムに取り上げていた。すべてが「上映中止はよろしくない」という論調だ。当然だろう。

 だが、仔細に点検すると、各紙各様、モノは言いようという感じで面白い。

 最も注目していたのは、産経新聞である。国家主義的主張が目立つ産経だが、メディア絡みや言論問題についての発言は他紙より積極的とも思える。しかし、今回はテーマがテーマだけに、苦しさが目に付いた。

 事実関係を述べた後主張子はまず、上映中止を決めた映画館をしかる。「映画館側にも事情があろうが、抗議電話くらいで上映を中止するというのは、あまりにも情けないではないか」

 いきなりこれはないだろう。高輪プリンスのケースとは事情が異なる。どうも産経は事の重大さを理解していないようだ。それは次の一節ではっきりする。

 映画演劇労働組合連合会も「表現の自由が踏みにじられた」などとする抗議声明を出した。憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか。

 憲法の理念が脅かされたからこそ「主張」のテーマとして取り上げたのではないのだろうか。稲田朋美衆院議員らが「試写」を求めたことについても「国会議員として当然の行為」と擁護している。

 NHKの番組に自民党が文句を言えば、理事や局長が頭を垂れて「ご進講」に及ぶのが現状だ。国会議員が束になって、「問題がある。事前に見せろ」と要求すれば、配給側へは相当の圧力となるのは間違いない。街宣車などを繰り出している諸君には大きな援軍となる。

 まあ、産経の主張をざっくりまとめれば、「とりあえず書いておきました。この映画は騒がれる理由もあります」ということだ。

 朝日と毎日は論点は同じだ。ただ、両紙とも「警察の取締りが甘い」などと述べるくだりは、「現状認識が甘い」と指摘しておかねばならない。警察はいつからそんな立派な機関になったのだろう。試写会についても評価も手ぬるい。「映画が政治性や思想性を持つのは当たり前だ」という程度の主張はほしかった。

 読売も稲田氏らに好意的だ。「稲田議員も『私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない』」としている」。

 本当に稲田氏がそう考えているとしたら、政治家とは思えないナイーブさだ。政治家の言説や行動の重みを全く分かっていない。参院内閣委員会で文科省の小役人に噛み付いていた有村氏といい、女性国会議員の質が問われかねない。

 各紙とも上映中止はよろしくない、と述べている。それなら各社のホールで上映会を開いたらどうか。映画館に発破をかけるのもいいが、まずは先鞭をつけるのが大事だ。そうしてこそ、新聞は言論の自由の守り手であり、文化の担い手といえる。
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