酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

オバマ礼賛に思う

2009-08-10 05:58:49 | Weblog
 広島、長崎の原爆忌で一様に強調されたのが「オバマに続け」「オバマと一緒に」である。まるでオバマが核廃絶の伝道者になったようだ。

 広島市長は平和宣言で「オバマジョリティー」なる造語を用いてオバマを支持しなければ、と説いた。結びは「Yes, we can」である。

 長崎でも基調は変わらない。
 
 《長崎は9日、64回目の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(市主催)があり、被爆者や遺族らが犠牲者を悼み、平和を誓った。田上富久市長は平和宣言で「核兵器のない世界を目指す」としたオバマ米大統領のプラハ演説を評価。世界の市民に向け、それぞれの場所や暮らしの中で演説への支持を表明し、核なき世界への道をともに歩もうと呼びかけた》=朝日com=。

 日本の“リベラル”と称される人々は、アメリカ民主党の若手指導者に目がない。ケネディー登場の時の歓呼がその良い?例だ。

 オバマも同様の大歓迎を受けている。その実態が不明であるにもかかわらず…。オバマの核廃棄宣言を「人道的」側面だけから眺めるのは無理がある。むしろ、アメリカが核の脅威に直面して慌てている構図と見たい。

 脅威の源が9・11にあることはいうまでもない。飽くことなく戦争を続けるアメリカだが、国内が戦場と化したのは独立戦争と南北戦争だけだ。それだけに9・11の衝撃は強烈だった。その後の反撃のすさまじさは、受けたショックの大きさに比例しているのだろう。

 イランや北朝鮮の核開発にアメリカが神経を尖らせるのは、そこからテロリストなどに拡散する危険性が高いと見ているからだ。国としてしっかり核を持つならまだしも…、というわけだ。

 通常兵器でのアメリカの軍事的優位は圧倒的だ。中国やロシアは足元にも及ばない。だが、核は一発逆転の最終兵器だ。相手がこんな物騒なものを抱えていては、枕を高くして眠れない。アメリカの指導層はそう考えているに違いない。だから、核廃絶なのだ。

 恐怖から始まるにせよ、核廃絶の機運が高まるのは結構なことだ。しかし、あまり文学的な感情に浸っていては、いま戦われている戦争の悲惨さを見失うことになる。オバマがアフガニスタンで何をするか。まずはそこに注目だ。
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