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東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

文坂~富士見坂

2011年11月17日 | 坂道

前回の雁木坂からお茶の水橋から延びる広い通り(明大通り)にでて左折し、南へ明治大学の方に進み、次の信号を右折し、胸突坂を上ったが、今回は、その後に行った明大通りを南へ下る文坂と、そのわきから下る富士見坂を紹介する。

文坂下 文坂下 文坂上 文坂上 お茶の水駅のお茶の水橋口から明大通りを南へ進み、明大前を通りすぎて靖国通りとの交差点である駿河台下に下る道と、その途中、右折して下る道は、私的には神田古本屋街への道として坂巡りなどをはじめる前から通いなれた道筋である。しかし、今回の本郷通りや池田坂の通りなどは、この明大通りのすぐ近くなのに、坂巡りまでまったく知らない道であった。それまでいかに街歩きなどに興味がなかったかのしるしである。

上記の後者の道が富士見坂で、標柱も立っている。一方、前者も坂道であるが、坂名があるかどうか、今回調べたら、横関、石川、岡崎、山野、千代田区のホームページのいずれにも載っていなかったが、中村雅夫「東京の坂」(晶文社)と「東京23区の坂道」に「文坂」と紹介されていた。

中村はこの坂を、小川町三丁目から北へ駿河台一丁目に上る大通りの坂としている。一、二枚目の写真のように、広い通りが駿河台下の交差点から北へまっすぐに緩やかに上っている。途中の信号のところでちょっと右に曲がってから、もっと緩やかになって甲賀坂上・胸突坂下の交差点に至る。

東京23区の坂道」には、坂名が刻まれた小さな石碑が写真とともに、『坂半ばにある石製の標識。裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 坂内熊治」と彫られている』と紹介されているが、坂名の由来は不明とされている。今回、この石碑を見つけようと探しながら歩いたが、探し方が悪いのかわからないが、発見できなかった。

尾張屋板江戸切絵図(飯田町駿河台小川町絵図/1863年)を見ると、雁木坂(カンキサカ)を西へ進み、次を左折すると、南へ延びる道があるが、現在の明大通りは途中までしかないようである。近江屋板もほぼ同様である。

明治地図(明治四十年)を見ると、現在の明大通りと、靖国通りができているので、この坂は、明治以降にできたものと思われる。坂名の由来を知りたいが、なんとなく、文から書(本)を連想できるので、本と関連して付けられた坂名のような気がしてしまう。ちなみに、駿河台下の交差点近くにある三省堂書店は明治14年(1881)古書店として開業した。

文坂中腹 富士見坂下 富士見坂下 富士見坂中腹 文坂上から右側の歩道を進み、その途中、右折すると、富士見坂の坂上である。坂上が、文坂の中腹から坂下を写した一枚目の写真の右端に見える。まっすぐに緩やかに南西へ下っており、坂下は靖国通りにつながる。レストラン、食堂、喫茶店、商店などが並んでいるためか人通りが多い。

坂上に標柱が立っているが、次の説明がある。

「この坂を富士見坂といいます。『新撰東京名所図会』には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂という名の坂は、千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。」

千代田区のホームページには次の説明がある。

「45.富士見坂(ふじみざか )  靖国通りと錦華通りが合流する交差点から、明大通りに抜ける短い坂道です。昔はここからも富士山がよく眺められたのでしょう。
 同名の坂は、「14.」と「35.」にもあります。」

富士見坂上 富士見坂上 富士見坂上 御江戸大絵図(天保十四年(1843)版)を見ると、胸突坂を下り、右折した道が現在の明大通りに相当し、この道を南に進み突き当たりを左折しすぐ右折する道があるが、ここが富士見坂であるように思われる。この坂を下ると表猿楽町の通りに至る。この道の東側一帯に土屋采女の大きな屋敷がある。

尾張屋板江戸切絵図(1863年)には、雁木坂を西へ進み次を左折し南へ延びる道(明大通りに相当する)が途中、左に少し曲がってから突き当たるが、ここを右折し表猿楽町へ下る道が上記と同様の坂道と思われる。近江屋板(1849年)も同様で坂名も坂マークもないが、坂の東が土屋采女正邸であるのに対し、尾張屋板では御用屋敷になっている。

この坂は、いまは明大通りの裏道のようになっているが、明大通りができるまで駿河台と表猿楽町とを結ぶ道で、駿河台の台地といまの神保町の低地とを上下する坂道であったと思われ、現在から想像しにくいが、その台地から坂を南西に下る方向に富士山が見えたのであろう。

千代田区にある他の同名の坂は、衆参議院議長公邸の北側を赤坂見附の方に下る富士見坂と、靖国神社の裏手の富士見坂である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「東京時代MAP大江戸編」(光村推古書院)
「大江戸地図帳」(人文社)

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