東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

代官坂(1)

2016年10月27日 | 坂道

かめやま坂上の都立第一商高前(現代地図)からそのまま、東南へ代官山駅方面に進む。

都立第一商高前の交差点を右折し、西へ歩き、旧山手通りを横断すると、上村坂上で、坂を下れば目黒川方面。左折すると、鴬谷町と猿楽町との間の通りで、後で行く天狗坂下方面。

代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1)




やがて代官山駅入口の交差点にいたる。ここを横断し、左へ進み、八幡通りを北へ歩く。そのまま進めば、山手線を越え、明治通りの並木橋の交差点を渡ると、八幡坂下であるが、そのずっと手前、代官山町11番と12番との間を右折する(現代地図)。

小路がまっすぐに延びている。入り口近くにカフェなどがあるが、中に入ると静かな住宅街で、駅前の喧噪さはない。やがて階段坂の上にいたるが、ここが代官坂で、坂下に見えるのが代官通り。標識は立っていない。

渋谷区代官山町10番と12番との間を西へ上る(現代地図)。

写真を坂下から並べる。

コンクリートのスロープの真ん中にステップができているが、階段坂でときたま見かけるタイプで、ここにはないが手摺りがあるものが多い(たとえば、西片の曙坂や本郷の外記坂や小日向の鼠坂)。中程度の勾配でまっすぐに上っている。

代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1) 代官坂(1)




この坂名は代官山という地名からきているが、この地名は、そのむかしこのあたりは山林地で、その山林が代官所の管轄林であったことに由来する。

石川によれば、代官山と称した地域は中・下渋谷にわたるかなり広範囲だったが、昭和三年(1928)一月、渋谷代官山の一部が代官山とされ、その前年の十月、東横電鉄の渋谷橋~目黒間が開通し、代官山駅ができたこともあって、代官山の名称はこのあたりに限定されてしまった。

石川は、古くからの坂ではなく、昭和初年ごろからいわれはじめたと推測している。ところが、戦前(昭和16年(1941))の昭和地図を見ると、八幡通りから入る小路と、代官通りから上るかなり短い道とが示されているが、その間が途切れている。地図にもない小径があったのか、それともその間に別のものがあったのか、不明である。

坂下の代官通りに出ると、なんとなくなつかしい感じがし、下町のような雰囲気を醸し出している。このすぐ東側を東横線が通っていたが、最近、渋谷駅から代官山駅の手前まで地下化されている。

この坂下のすぐとなりにもう一つ階段坂があるが、これを代官坂とする説もある(山野)ため、今回の坂を代官坂(1)とし、次に代官坂(2)に行く。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
竹内誠編「東京の地名由来辞典」(東京堂出版)

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