東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

天狗坂

2017年04月08日 | 坂道

天狗坂近く 天狗坂近く 天狗坂近く 天狗坂下 天狗坂下




前回南平坂上を左折し、坂を下り、坂下の鉢山交番前の四叉路を左折し、東へ向かう。ここを直進すると、かめやま坂の上りで、そのまま進めば代官山方面にいたる。

ちょっと歩くと、T字路があり、ここを左折すれば、先ほどの鞍部のある四叉路。道なりに歩き、桜丘郵便局前の交差点を越えてさらに進む。この道がこのへんの谷底でないことが、右側に道よりも低いところがときおり見えることでわかる。休日のためか車も人も少なく、静かである。

しばらくすると、右手にまっすぐに下る坂が見えてくるが、ここを下る(現代地図)。一枚目の写真はその坂上から撮ったもので、二枚目は坂下を左折し、ちょっと歩いたところで、右手に小さな公園がある。このへんは渋谷区鶯谷町で、むかしからの地名が残っている。鴬(ウグイス)の鳴いていた谷だったと想像されるが、地名は、直接的にはかつてあった鴬橋に由来するという。

さらに直進し、次を右折し、ちょっと進むと、三枚目のようにかなり緩やかだが上りとなっている。その向こうに四枚目のように通りが見え、その先に食い違っているが、坂下付近が見えてくる。ここが天狗坂である(五枚目)。四、五枚目の坂下の通りは、かめやま坂の坂上の一商前の四叉路を左折してきた道である。

天狗坂下 天狗坂下 天狗坂中腹 天狗坂中腹 天狗坂中腹




天狗坂は、その通りからまっすぐに南へ上る小坂である。渋谷区猿楽町2番と3番との間(現代地図)。勾配も中程度よりも緩やかといった感じで、坂下に車止めが見え、歩行者専用である。かなり短く、30m程度。

以前、初めて訪れたとき、あまりにも単調な上りの小坂で、その意外感からちょっと驚いた覚えがある。もっと風情のある坂でも無名の坂が多いのにと思うが、要するに、それだけで坂名の有無は決まらないということである。

戦前(昭和16年(1941))の昭和地図を見ると、先ほど下った坂から公園わきを通りこの坂上までの道筋があるので、戦前からできていたことがわかる。 

天狗坂上 天狗坂上 天狗坂車止め 天狗坂上 天狗坂標識




坂上近くの車止めにこの坂名が刻まれている(一、三枚目の写真)。坂上右側の塀わきに坂の標識が立っていて、次の説明がある(五枚目の写真)。

『天狗坂  猿楽町5番
 この坂を、天狗坂といいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永二年~大正九年 一八四九~一九二○)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に、紙巻煙草の岩谷天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の一世を風靡しました。
 煙草の製造に家内労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
 明治三八(一九○五)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業を始めるなど、国家的な事業に貢献しました。晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。  渋谷区教育委員会』

坂名は、明治時代に紙巻煙草で有名な岩谷松平(天狗)に由来する。晩年にこの地に住み、その旧居跡を岩谷天狗山とよんだが、この坂の近くなのであろう(明治のたばこ王 岩谷松平)。

坂上はT字路になっていて、そのまま直進すると八幡通りで(ここを右折すれば代官山方面、左折すれば並木橋方面)、すぐに右折したところに庚申塔などの案内標識が立っている。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
竹内誠編「東京の地名由来辞典」(東京堂出版)
「東京地名考 上」(朝日文庫)

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