東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

胸突坂~水神社

2010年12月26日 | 坂道

胸突坂上 幽霊坂上を進み、目白通りにもどり右折し、歩道を進む。途中、旧町名案内が立っており、このあたりは、旧高田老松町であったようである。三本目を右折し、南側に進むと、途中、永青文庫の入口がある。

ここは、旧細川家下屋敷内で、南北朝時代からこれまで蒐集された細川家の歴史資料や文化財などを展示しているとのこと。先ほどの新江戸川公園に続く台地にあり、ここからも公園に出入りできるようである。

この前をちょっと進むと、胸突坂の坂上である。真ん中に手すりのある階段で、神田川にかかる駒塚橋のたもとに向けてまっすぐに下っている。その名からわかるように、坂を上る人の胸がつくほどの急坂であった。

この坂については以前の記事でもちょっと書いたが、そのときは、神田川に沿って歩き、今回のような坂巡りではなかった。

胸突坂 説明板 坂下の遊歩道わきに写真のように説明板が立っているが、次のような説明がある。

「胸突坂(むなつきざか)
 文京区関口2-11と目白台1-1の間
 目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永清文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。
 坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。
 ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人びとの苦労がしのばれる。」

写真に見えるように説明板の下に小さな石柱があるが、この坂名が刻んである。右が神田川沿いの遊歩道で、川のフェンスが見える。

尾張屋板江戸切絵図を見ると、坂下の水神社わきから上る坂道があるが、坂マークも坂名もない。近江屋板には、△印の坂マークとともに、ムナツキサカとある。明治地図にも、戦前の昭和地図にもあるが、坂名はない。

胸突坂下 「御府内備考」に「胸突坂は牛込家の屋敷脇なり此坂を下れは上水のはたなり 名付といふあまりに坂のけはしくて胸をつくばかりなれは名付といふ」とある。ここは江戸からの坂である。

写真は坂下から撮ったものである。この左側(西側)に水神社がある。

このあたりを江戸時代に関口村といったが、關口村(関口村)について「御府内備考」に次のようにある。

「關口村は、小石川小日向牛込等にとなれり地名の起りを詳にせす此所より西の方に行は宿坂といへるあり其處はむかし鎌倉街道にて宿坂の關といひて關の有しよしなれは是等によりて斯唱るにや何れ古きよりの名なるへし改選江戸誌 今案に關口の名は恐らくは上水堰出来しより後の唱へなるへし他国にもかかる類の地名多し堰を假借して關と書きしより古關の蹟なといふ説は起りしならむ・・・」

水神社前 その名が宿坂の関からきたとの説に対し、この近くの神田上水につくられた上水堰(関口大洗堰)の「堰」を借りて「関」と書いたのであろうとする。

江戸切絵図に水神社の少し下流に堰があり、ここで神田上水は左右に分流しているが、滝つ瀬になって流れ落ちていた。

神田上水は、井之頭池を水源とし、関口大洗堰で、左右に分れ、左側を上水として水戸藩の江戸上屋敷(現在の小石川後楽園)方面に流し、右側を余水とし江戸川と呼ばれるようになった。関口大洗堰が設置された年代は不明だが、『水戸紀年』によると水戸藩邸に上水が引かれるようになったのが寛永六年(1629)とあるから、それ以前に建設されたとされている(Wikipedia)。

「江戸名所図会」に大洗堰として「目白の崖下にあり。・・・」と説明され、その挿絵に勢いよく流れ落ちる滝が描かれている。

水神社 坂東側に関口芭蕉庵があるが、ここは、水神別当で、境内の竜隠院に藤堂家の家臣の松尾芭蕉が住み、貞享年間(1684~1688)に上水工事の監督をしていたが、そのことを記念する旧跡である。

坂西側に水神社(すいじんじゃ)の鳥居が建っており、その前の説明板によれば、『江戸砂子』に「上水開けてより関口水門の守護神なり。」とあり、上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったという。

「江戸名所図会」に挿絵に芭蕉庵や水神宮の挿絵がのっており、坂は見えないが、対岸に田圃が広がり、田園風景となっている。

写真は石段を上った境内で神社を撮ったものである。石段上わきに立っている二本の大きな銀杏からの落ち葉が周りにいっぱいである。ここは、坂の中腹にあり、右手に胸突坂の階段が見える。

水神社から南西方向 ふり返って南西方向を見ると、銀杏の古木に冬の午後の日差しがあたり、まだ残っている葉がやわらかな黄色になって弱々しいがきらきらしている。

神社のわきから坂の階段にもどり、坂上から目白通りにもどる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
菅原健二「川の地図辞典」(之潮)
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(四)」(角川文庫)

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