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東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

鉄砲坂

2010年10月01日 | 坂道

闇坂上を右折し進み、前回の戒行寺坂を下る。商店街の通りを右折し、次のスーパーの角を左折すると、ほぼまっすぐな細い坂が緩やかに上っている。ここが鉄砲坂である。

右の写真は坂下から撮ったものである。坂の途中、左手に標柱が立っているが、それには次の説明がある。

「江戸時代、この辺りに御持筒組屋敷があり、屋敷内に鉄砲稽古場があったため、鉄砲坂と呼ばれるようになった。また以前は、この地に赤坂の鈴降稲荷があったため、稲荷坂とも呼ばれていた(『御府内備考』)。」

尾張屋版江戸切絵図をみると、テツホウサカ、とあり、その周囲の何カ所かに、御持組、がある。近江屋版には、鉄炮坂、とあり、坂を示す三角印がある。坂下は、鮫ヶ橋谷町である。

左の写真は上右の写真の坂上から撮ったものである。

岡崎は、この坂を旧鮫河橋谷町から入って、東に上る急坂、としているが、疑問である。現在は、そんなに急な坂ではない。この間、工事でもあったのであろうか、不明である。

横関によれば、鉄砲の練習のために、坂の崖下を削って、射的場としたのは当時としてはなかなか頭のよい利用法であったとし、下町とか繁華街を避けて、山の手の人通りの少ない絶好の場所を選んでいるとしている。

鉄砲坂というのは、都内に五カ所あるとのことで、ここ以外に、音羽、麻布、赤坂(九郎九坂)、御殿山(いまはない坂)にあった。

尾張屋版江戸切絵図には、鉄砲坂の坂下側両脇に御持組がみえるが、ここが、坂の崖下を削って射的場としたところかもしれない。横関は、ここの御持組は、御持筒組のことで、戦時には将軍の鉄砲を預かり、与力同心を率いて、旗本を守るという職務を持っていたとしている。

鉄砲坂は上右の写真の突き当たりの坂上で終わりではなく、坂上を右折すると、さらに緩やかな上り坂になっている。

右の写真は、坂上を右折した所から坂上を撮ったものである。坂上にさきほどの坂途中と同じ標柱(写真右側)が立っている。

山野によれば、坂がL字形に屈曲し、標柱の立っている坂上までを鉄砲坂とされている。この坂上を左折すると、さらに上り坂が延びており、直進すると、学習院初等科の方に至るようである。

尾張屋版江戸切絵図をみると、そこを上った先の左右の道が、七マガリ、となっているが、このあたりにも御持組がある。横関は、江戸切絵図に御持組の組屋敷の中を七曲りの道がくねくねと取り巻いているのがみえると書いているが、このあたりを指しているのであろうか。

坂上の標柱を左折してから坂を直進せず、次を右折すると、ここも短いが無名の上り坂となっている。

いわゆる2・26事件の関係で、最近、青山通りの高橋是清記念公園渋谷の慰霊像を記事にしたが、この近くにも事件の重臣襲撃の現場があった。

左の写真は、上記の無名坂を坂下から撮ったものであるが、この坂上の右側に、昭和11年(1936)2月26日早朝、決起将校に襲われて亡くなった斉藤実内大臣の私邸があった。当時は四谷仲町三丁目である。

斉藤邸を襲撃したのは、第一師団歩兵第三連隊第一中隊の坂井直中尉が率いる210名であった。歩兵第三連隊は青山墓地の東隣りにあったが、坂井隊は、ここの営門を午前4時10分に出て、斉藤邸を5時5分頃に襲っている。歩兵第三連隊は、この事件に937名が参加しており、全体の半分以上を占め、事件の主力であった。

この後、坂井隊の高橋、安田両少尉に率いられた約30名はトラックに乗って杉並区上荻窪に向かい、渡辺錠太郎教育総監を襲撃した。

上左の写真の坂を上るが、そんな過去の事件を思い出させるものはなく、大きなマンションがあり、ひっそりとして静かな住宅街である。

ここを直進すると、急に視界が開けてきて、西側がよく見えてくる。

右の写真は突き当たりを左折し、JR中央線の上にかかっている朝日橋の上から西側を撮ったものである。線路の左側は首都高速道路である。

坂巡りをしても、もはや眺めがよい坂上などなく、眺望などを期待する方が間違いと思っているが、ここは、眺めがよく、開放感がありよいところである。なによりも眺望の期待など始めからないから意外感があってよかった。以前も、ここを訪れているが、そのときは反対方向からきたので、余り感じなかったのであろう。

朝日橋を渡ると、下り坂となって、鮫河橋坂の中腹にでる。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
平塚柾緒「2・26事件」(河出文庫)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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