東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

渋谷界隈散策

2010年09月25日 | 散策

渋谷の東急百貨店(本店)にジュンク堂と丸善の書店ができたというのでいってみた。渋谷駅からちょっと歩くところである。この後この界隈をちょっと散策した。

ワンフロアいっぱいに書架がおかれているが、思ったほど広くない。全体としては新宿の紀伊国屋やジュンク堂の方が広いと思う。こういった新しい書店ができると、新刊本でも普通の書店では売り切れの文庫本でも入るのか、よく売れたらしく、岩波文庫が並ぶ本棚には空きができていた。萩原朔太郎作 清岡卓行編「猫町」(岩波文庫)を買う。これはでも最近増刷のものである。

ここをでてから松濤の方に行ってみる。高級住宅街のようで、また、坂も多い。渋谷は、道玄坂や宮益坂が有名であるが、それだけでなく、無名の坂もたくさんある。渋谷駅のハチ公前のあたりが谷底で、その周りが山であったのであろう。どの方面に行っても坂があるようである。

右の写真は鍋島松濤公園の中の池を撮ったものである。水車が回っている。時々水の流れが止まるが、ふたたび流れ出し、水車が回転をはじめる。ここは湧水池であったようである。

公園を出てまわりを見渡すと、四方から坂が下っている。公園の上の方から入ったので気がつかなかったが、ここは谷底であったことがわかる。公園は谷から坂上にかけてつくられている。

この公園は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受けた鍋島家が明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出したところらしい(渋谷区HP区立公園参照)。

ここから神泉駅の方に行ってみる。円山町との境の道を南に歩いていくと、井の頭線踏切の手前左に古いアパートがあるが、ここが東電OL殺人事件の現場である。この事件がおきた当時さほど関心を持たなかったが、その後、佐野眞一の著書(新潮文庫)を読んでその真相(の一部であろうが)を知って驚いた覚えがある。この犯人とされて無期懲役の確定したネパール人はやはり冤罪ではないか。被害者の定期券が犯人のまったく知らない土地(巣鴨)から発見されたが、これは犯人とするにはいかにも不合理な事実である。

近くから円山町の方に行こうとすると階段を上らなければならないことから、先ほどの通りも谷筋にあったことがわかる。円山町の道玄坂地蔵尊をちょっと探すと見つかる。

『江戸名所図会』の「神仙水」には次の説明がある。「八幡の西にあり。相伝ふ、往古空鉢仙人この谷に入りて、不老長生の仙丹を練りたりし霊泉なり。故に神仙谷とも云ふとなり。鉢山といふは、法道仙人の鉢、この所に自ら飛来る故に号とすとなり。」八幡とは金王八幡社で、霊泉は、農民の共同浴場であったともいわれ、神泉弘法の湯として、大正ごろまで市民の遊楽地として栄えたとのこと。

東急百貨店の前の通りにもどり、その北側の井の頭通りに行く。その通りを左折し、東急ハンズのある交差点を右折すると、オルガン坂の坂下である。左の写真は坂上から撮ったものである。短いが坂下側でちょっと勾配がある。

この坂は以前にも坂巡りとしてきた覚えがあるので、山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」で調べたが、オルガン坂そのものが紹介されていない。それで、「東京23区の坂道」をみると、ここにのっていた。はっきり覚えていないが、これを閲覧して以前も訪れたのであろう。

同サイトによると渋谷区ホームページ・タウンガイドに紹介されているとのことで、調べてみると、渋谷区HPの「通りの名前」にのっていた。次の説明がある。

「井の頭通り東急ハンズ前の交差点からパルコ前交差点へ上がる坂道。通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから命名されたようです。東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えるから、という説もあります。」

坂上から、近くにスペイン坂というのがあったことを思い出したので、行ってみる。ちょっと歩くが、坂上から坂下まで下りる。坂下は先ほど通った井の頭通りである。そこから入る小路であるが、入り口に「スペイン通り」の金属板が貼りつけられた大きめの黒い石がおいてある。ここから引き返す。

緩やかに上る狭い道が続くが、右の写真はその途中で撮ったものである。スペイン坂と刻まれた小さな石柱(写真右下)がレストランの入り口に立っている。この先で左に曲がり階段となる。

どこから来てどこに行くのだろうかと思うほど人通りが多い。狭いせいもあるが、それにしてもたくさんの人が通る。写真を撮ろうにもシャッターチャンスがなかなかめぐってこない。上右の写真もようやく途切れたときに撮った。

上記の渋谷区HPの「通りの名前」に次の説明がある。

「パルコパート1裏から井の頭通りへと下る坂道。喫茶「阿羅比花(あらびか)」の店主、内田裕夫氏は、写真で見たスペインの風景に心ひかれ、店の内装をスペイン風に統一していました。昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼されたときには、迷わずこの名をつけたそうです。命名後、近所の人たちも協力して、建物を南欧風にしました。」

渋谷は同じ繁華街でも新宿あたりとはかなり違う印象を受けるが、それは、坂があるせいかもしれないなどと思ってしまう。坂下から坂上に向かうときなにか未知のものを予感させる雰囲気があるからである。

坂上を進み、先ほどのオルガン坂の通りを横断して北に向かう。そうすると、さきほどまでの喧噪とは一転して人通りが少なくなり静かである。ちょっとほっとするが、この急激な変化がおもしろい。渋谷の特徴の一つかもしれない。直進すると、区役所に突き当たるので、右折し、渋谷区役所前の交差点を左折する。

しばらく歩くと、東京法務局渋谷出張所・渋谷税務署が左側にあるが、その西隣の角に、左の写真のように、二・二六事件慰霊像が立っている。

ここは、以前の記事のように、事件の青年将校らが処刑された刑場のあった代々木の陸軍刑務所の一角である。以前も訪れたことがあるが、花がいつも供えられている。ちょうどNHK放送センターと相対している。

この角を左折してすぐの壁面に石板からなる説明板があるが、それには次のようにある。この因縁の地を選び、刑死した20名(永田事件の相澤三郎中佐を含む)、自決2名、さらに重臣、警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を慰めかつ事件の意義を記念するために事件30年記念の日に慰霊像を建立した。その最後に、「昭和四十年二月二十六日 佛心會代表 河野司 誌」とあるが、仏心会とは、事件の遺族会のことで、河野氏は、事件に加わり自決した河野壽大尉の兄である。

中沢新一「アースダイバー」の地図をみると、縄文海進期に、渋谷駅前から宇田川に沿って広く海で、そこから西側に鍋島松濤公園の池のあたりまで、また神泉駅の南側まで延びている。NHKから代々木公園のあたりは洪積台地である。

渋谷区役所前の交差点に戻り、ここを渡って、NHKの前を通り、代々木公園のわきを通って原宿駅へ。

携帯による総歩行距離は9.3km。

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
蜂巣敦・山本真人「殺人現場を歩く」(ちくま文庫)
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(三)」(角川文庫)
河野司 編「二・二六事件 獄中手記・遺書」(河出書房新社)

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