東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

あひる坂~暗闇坂

2010年10月27日 | 坂道

鳥居坂を下り、坂下の横断歩道を渡り、直進すると、ちょっとした下りになるが、ここがあひる坂のようである。 この坂は、山野と岡崎に紹介されているが、由来は不明とのこと。

右の写真は、麻布十番の通り手前から鳥居坂下側を撮ったものである。この坂は、広い通りから入って麻布十番通りと交差するまでの通り(小路)をいうのであろうか。広い通りからの入り口は急であるが、この小路に入ると、かなり緩やかである。

この交差点に、以前、麻布十番温泉があったが、閉じたようであり、いまはない。

山野には、麻布十番通りを左折しまた左折したところに、すべり坂というのが紹介されているが、ここには行きそびれた。

麻布十番通りを横断し、直進すると、暗闇坂の坂下にいたる。坂下からまっすぐに上っているが、坂上側で左にカーブしている。

ここは上り一方通行のようで、坂上をみていると、後ろからどんどん車がやってくる。

坂下に標柱が立っているが、それには次のようにある。

「くらやみざか 樹木が暗いほどおい茂った坂であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。」

江戸からの坂で、尾張屋板江戸切絵図をみると、鳥居坂から続く道に、クラヤミザカ、とある。近江屋板にも、△クラミザカ、とある。両切絵図で坂下両側が宮下町で、その西側に宮村町がある。

石川に土地の人の談がのっており、それによると、終戦後しばらくはことに寂しい坂道で、追剥や痴漢が出没するために夜分はとても婦女子の通れる坂道ではなかったという。いまでも、坂上側右手は高崖で樹木が生い茂って暗い感じがする。

右の写真は坂上を少しカーブしたあたりから坂下を撮ったものである。地図をみると、右手はオーストリア大使館のようである。

この坂は相生坂ともいった。以前の記事でも引用したが、横関によると、江戸から現代までの相生坂は次の3タイプに分類できるとのこと。

A 坂路が途中でY字型に別れているもの。
B 二つの坂が平行しているもの
C 二つの坂が離れて向き合っているもの

この坂上を直進したところが一本松であるが、そこからの道がこの坂と大黒坂(一本松坂)とに二股に分かれ、Y字型であるので、A型の相生坂である。そういえば、前回の恵比寿のビール坂も二股に分かれて同じ坂名がついているが、ここも、相生坂という坂名がついてもよいのかもしれない。

横関は、A型のもう一つの例として、品川区下大崎五丁目の相生坂を挙げている。品川台町のほうから、雉子神社前で左右に分かれていくY字型の相生坂であるという。ここは、以前に行った(下大崎坂)が、もう一つの坂は確認していない。

左の写真は坂上から撮ったものである。かなりカーブしてから坂上にいたる。ここにも標柱が立っている。

岡崎は、相生坂の坂名に関し、鳥居坂と相対するので相生坂というとしているが、そうすると、C型であるとの説のようである。

暗闇坂(闇坂)という坂は、他にも都内にたくさんあり、以前、新宿愛住町須賀町の同名の坂を訪れた。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)

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