東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

恵比寿の無名坂~ビール坂

2010年10月16日 | 坂道

今回の白金界隈の坂巡りは、白金台地とその周囲の谷とをつなぐ坂であった。最後にきた日東坂下も、上に首都高速の通る道路の近くで谷である。

帰りは日東坂を上り白金台駅に行くのが近いが、坂下での休憩中に、恵比寿方面に行ってみることに決める。ここから比較的近い。恵比寿四丁目にあるビール坂を目指すことにする。

坂下を進み、首都高速の下の道路を横断し、西へと延びる通りを進み、二本目を右折すると、上り坂(恵比寿三丁目34と35の間)がある。この無名の坂を上ると、途中でクランク状に折れ曲がっているところがあり、その上側から撮ったのが右の写真である。

写真手前左側からの道がここで直角に曲がりながら下ってから、すぐにガードレールの下で右に直角に曲がりながらさらに下る。坂でこのようなクランク状の折れ曲りがあるのは珍しい。近くで客を降ろしたタクシーが慎重にカーブを切りながら下っていく。

この先も坂が続き、坂上は、すでに白金台地とは違う台地(山)である。

坂上突き当たりを左折し、何本目かを右折し、突き当たりを左折して進むと、北西角に加計塚小のある交差点に至る。ここを横断し右折し、交番の前を北にちょっと進んだ坂上から撮った写真が左の写真である。

写真のように、まっすぐに下る坂と、左に曲がって下る坂とが二股に分かれている。

山野によれば、ビール坂とは、上記のまっすぐに下る坂と、左に曲がって下る坂との二つの坂をいうとされている。このように、二股に分かれた二つの坂が同じ坂名を持つというのも珍しい。

岡崎は、ここにきたとき、そば屋の老人に二本ある道のどちらがビール坂であるのかたずねたら、不機嫌そうに「どっちもだ」と突っけんどんに答えたことを書いている。

現代地図をみると、交差点の南西側の坂上に相当するところにサッポロビール本社があるが、坂名は、これに因むとのことである(岡崎)。

右の写真は、二つのうち、左に曲がった坂の中途で坂上側を撮ったものである。こちらの坂の方がうねっており、いかにもむかしからの坂らしい感じがする。

この坂は、緩やかに曲がりながら大きな道路を横断してから、渋谷川の恵比寿橋に至るようである。現代地図をよくみたら、その大きな道路とは、白金三光町の商店街の通りから西に延びてきた道で、東側で桜田通りにつながっている。

明治20年(1887)9月に日本麦酒醸造有限会社(いまのサッポロビール)が設立されたが、創立者は桂太郎の弟・桂二郎で、同22年にエビスビールが発売され、そのビールびんに恵比寿様のレッテルを貼った。同36年に専用貨物駅としてできたのが恵比寿駅である。ビール工場は、現在の恵比寿四丁目20番で、現在、サッポロビール本社と恵比寿麦酒記念館がある。

恵比寿という地名も、駅名も、エビスビールからきている。その根底には恵比寿信仰があるといわれる。

左に曲がった坂上にもどり、左折し、まっすぐに下る坂を下る。坂下の信号のところから坂上を撮ったのが左の写真である。

ほぼまっすぐで、勾配は坂上側がちょっときつい程度で、下側は緩やかである。

以前、ビール坂にきたとき、上記のように二つの坂をいうとは知らず、坂上側から左に曲がる坂だけで、こちらの方は下らなかったので、今回、ようやく両方の坂を訪れることができた。

この坂も、白金三光町の商店街の通りからの道路を横断して進むと、渋谷川の新橋に至る。

坂上にもどり、恵比寿駅へ。

今回の携帯による総歩行距離は9.7km。

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
朝日新聞社会部「東京地名考 上」(朝日文庫)

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