東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

がま池

2010年10月29日 | 散策

一本松坂上を進み、この道路が左にちょっと折れ曲がるところで右折してしばらく歩くと、下り階段がある。そこを下りると、マンションの前にがま池の説明パネルが立っているが、字が薄くなってなかなか読むことができない。

それで諦め、ここを背にして進むと、右の写真のように、前方の樹々の緑の中に港区教育委員会の説明板が立っている。以前もこのあたりに来ているが、そのときは気がつかなかった。それには次の説明がある。

『がま池  「がま池」のあるこの土地は、江戸時代には五千石の旗本、山崎主税助治正の屋敷であった。言い伝えによると、同家の家来が屋敷内の夜回りに出た時、大がまのために殺された。そこで、治正はがま退治を決意して寝たその夜、がまが白衣の老人となって夢枕に立ち、その罪を深くわび、今後当家の防災に尽くすことを誓った。その後、文政のころ、高台下の古川岸に火災が起こり、この付近まで延焼してきた時大がまが現われ、池の水を吹きつけて火を防いでくれたといわれている。怪奇な伝説が生まれたこの池も、今ではなかば以上が埋めたてられたが、昔の面影はわずかに残っている。 昭和五十年十二月』

上記の説明パネルのあるあたりは窪地で、そのむかしは、池の一部であったと思われる。現在残っている池は、マンションや住宅に囲まれて一部からしか見えない。

左の写真は、上記の説明パネルを背にして坂下から撮ったものである。この左側の建物の後ろが池の位置である。坂道を上り左折し、時間貸し駐車場のところからかすかにみえる。

この池は、以前の記事で紹介したが、あらためて江戸切絵図をみると、一本松坂の道を南に進み、左にちょっと折れ曲がるところ(この道筋は現在も同じである)に山崎主税助の屋敷がある。一本松坂の道からがま池のあるあたりまで広がる大きな屋敷であったようである。屋敷内の池であるためか、切絵図にはでていない。なぜかはわからないが明治地図にもこの池はでていない。しかし、戦前の昭和地図にはちゃんとのっている。

この池は涸れずに大地の底からまだ水が湧いている。力強い生命体のようである。中沢新一は「アースダイバー」で、この池には巨大な蝦蟇の精が棲んでいると昔の人は信じていた。土地に精霊が宿っているという考えはばかばかしい迷信のようだが、そうではなく、大地の中を動いている見えない力の流れと、その近くに住む人間の深層の心とは深いレベルでつながっている。人の心は深層で自然につながっているとする。

人の心と自然との関係については、昔の人の方が自然を前にして感覚的にその本質をより深く捉えていたのかもしれない。それが伝説となって残っているのかもしれない。
(続く)

参考文献
廣田稔明「東京の自然水124」(けやき出版)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)

コメント
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