東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

大黒坂~一本松坂

2010年10月28日 | 坂道

暗闇坂の坂上は、坂道が集まったところになっている。直進すると、一本松坂、右折して進むと、狸坂の坂上、左折すると、大黒坂の坂上となるからである。

右の写真は大黒坂の坂上から撮ったものである。中程度の勾配でほぼまっすぐに下っている。坂下側で右に緩やかに曲がっている。坂上に立っている標柱には次の説明がある。

「だいこくざか 大国坂とも書く。坂の中腹北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名である。」

坂を下ると、中腹左側に大法寺があり、いまも大黒天がある。門に、榮久山と刻んだ石柱、大黒天と刻んだ石柱が立っている。

尾張屋板江戸切絵図をみると、本法寺、となっているが、大法寺の誤りであろう。この坂は、一本松サカ、となっている。近江屋板では、大黒天 大法寺となっているが、坂名はなく、坂マークの三角印があるだけである。

左の写真は坂下から撮ったものである。中ほど右側に見えるのが大法寺である。坂上を直進すると、標柱が立っている一本松坂である。

今回、この坂下にある七面坂には行かなかった。というのは、大法寺のわきの道と間違えてしまったからである。後で気がついた。いずれまた訪れてみたい。

坂上にもどる。横関の「江戸の坂 東京の坂」に、ちょうどいまの大黒坂上のあたりから坂下を撮った写真がのっているが、これをみてその変わりように驚いた。坂もそうだが、その背景の方である。東京タワーがよく写っているからである。天辺(てっぺん)から下の方のアーチ状に拡がっている部分までみえる。全体がほとんどみえるのである。現在はどうかというと、上右の写真にも写っているが、天辺部分だけがかろうじて見えるだけである。この間、いかに、眺望を失ってしまったかを物語っている。現在は、ここに限らず何処の坂でも、坂上に立っても坂下が見えるだけで、その向こうも、左右両側もビルが見えるだけである。

右の写真は、大黒坂上から撮ったものである。左の歩道わきに一本松坂の標柱が立っている(下左の写真に写っている)。

標柱には、次の説明がある。ただし、かなり古くなっており、判読不能の部分があるので、「東京23区の坂道」を参考にさせていただいた。

「いっぽんまつざか 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来植えつがれている一本松が坂の南側にあるための名である。」

大黒坂と一本松坂は違う坂とされているが、尾張屋板江戸切絵図には、上記のように、現在標柱で大黒坂とされる道筋に一本松坂とある。横関は、大黒坂を一本松坂の別名とし、石川も一本松坂の別名を大黒坂、相生坂とし、岡崎も同様である。相生坂は前回の暗闇坂と同じ理由から別名となっている。

また、「新撰東京名所図会」には「一本松坂、大黒坂、坂下町より一本松町に進み来り、徳正寺門前より上りて長伝寺門前に至る迄を一本松坂と云ひ、町内東の方、横町入口の坂を大黒坂と称せり」とあるという(石川)。

左の写真は、標柱の立っている歩道を撮ったもので、左側が長傳寺である。正面に写っている木が現在の一本松である(上右の写真にも写っている)。

一本松は、明治時代に枯死し、二代目の松が植えられたが、これも戦災で焼け、いまのは戦後に植えられたものらしい(石川)。

この一本松は、「江戸名所図会」にその伝説とともに次のようにのっている。

「同所北の裏通り、一本松町道の傍にあり。一株の松に注連(しめ)を懸け、その下に垣を廻らせり。里諺に云く、六孫王経基この地を過ぐる頃、この松に衣冠を懸け給ひしとて、冠松の名ありとも、その余さまざまの説あれども分明ならず。今この辺を一本松と号して地名となれり。或いは云ふ、小野篁(たかむら)が植ゆる所なりとも。(按ずるに、氷川明神の別当徳乗院より、この松樹の注連をかけかゆる事怠らず。或人いふ、この松は氷川の神木なればなりとぞ、この説是なり。されど昔の松は枯れて今若木を植ゑ置けり。)」

六孫王経基が源経基で、清和天皇第六皇子貞純親王の長子。承平年間武蔵介となって下向、足立郡司武蔵武芝と衝突。平将門の乱などの鎮定につとめた。その冠松とは、平将門の館入りをしての帰途この地に寄り民家に宿し、翌日装束を麻の狩衣に改め、いままでの衣裳を松に懸けたという伝説らしい。

右の写真は、一本松坂の坂上側から撮ったものである。このあたりではもうほとんど平坦な道となっている。右に写っているのが一本松である。以前は、坂上側にも標柱が立っていたらしいが、いまはない。

「江戸名所図会」には、麻布一本松の挿絵がのっており、松の前の道を通る色んな人々が描かれている。左手奥が長傳寺で、その反対側右手の道がいまの狸坂の方に行く道か、または、暗闇坂の方であろうか。眺めていて飽きない絵である。

坂上をちょっと進むと、左側に大きなマンションが建っているが、途中から上が膨らんだ形をしている。以前から、この建物は遠方からみておもしろい形と思っていたが、それとこの一本松坂上で遭遇した。これからは、この建物を遠望するたびにこの坂を思い出すことであろう。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(三)」(角川文庫)

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