おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

ニリンソウを愛でる  野木神社境内

2015年04月25日 00時00分00秒 | 植物
写真1

写真2

写真3


写真1~写真3は野木神社のニリンソウ(一部)
境内の西側に掘られた小さな池の周りに群生
自生か植栽か、筆者には不明
写真1の1輪だけ開花の株は、今後、花茎の下部、葉のあたりから次の花茎が伸びて開花し2輪となる
2015/04/12 栃木県下都賀郡野木町


写真4

カントウタンポポとヒメオドリコソウに目がとまる。於:野木神社に向かう渡良瀬川左岸堤防
2015/04/12 栃木県古河市


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 春告花の一つニリンソウを愛でる(写真1~写真3)
 処は栃木県下都賀郡野木町大字野木に鎮座する野木神社の境内(注1)
 時は2015年04月12日、神楽奉納祭の日

 同日、埼玉県加須市(旧北川辺町)柏戸の田植を見聞撮(弊ブログ2015年04月13日
 その後、渡良瀬川を渡り、同川左岸を遡る
 柏戸を発って約1時間、ニリンソウに歩き着く

 ちなみに、柏戸は大相撲・初代柏戸の生誕地
 生家に石碑あり

 注1 当社は「野木神社概要」などによると次のとおり
  御祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)をはじめ6祭神
  当社は、7世紀はじめ、大和朝廷から任命された下野国造奈良別命(しもつけのくにのみやつこならわけのみこと)が赴任する際
  菟道稚郎子命の遺骨を下野国笠懸野台手函(しもつけのくにかさがけのだいてばこ)の地に斎奉ったことに由来
  菟道稚郎子命は応神天皇の皇太子で、仁徳天皇に皇位を譲った
  800年頃、延暦年間、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東北地方鎮撫の帰途、その報賽として現在地に社殿を造り遷座
  明治期、同名の乃木大将は度々参詣して軍刀や家宝を奉納

 引用・参考文献等:弊ブログ2014年04月19日
 執筆・文責・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記








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サシバ  平地林に逃げ込みキョロキョロ

2015年04月24日 00時00分00秒 | 野鳥





上の写真5枚 カラスに追われて平地林に逃げ込んだサシバ 杉の枯れ枝でキョロキョロ

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 カラスに追われて平地林に逃げ込んだサシバ(弊ブログ2015年04月22日
 見晴らしの良い杉枯れ枝に止まり直す
 ピッ、ピュー、ピッ、ピュー、ピッ、ピュー
 周りをキョロキョロ、警戒(上の写真)
 筆者に気づき平地林の中へ

 引用・参考文献等:弊ブログ2015年04月17日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年04月18日 撮影地:栃木県下野市



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なに なさってんですか162  土壌被覆ビニールの機械巻き上げ

2015年04月23日 00時00分00秒 | 農業

写真1 トラクターが後進しつつビニールを剥ぎ取っている。初見の農作業


写真2 トラクター後部に装着する剥ぎ巻取り機にビニールを紐で繋ぐ。既知のAさん担当


写真3 ビニールを繋ぎ終え、剥ぎ巻き取り開始。Aさんの奥様が畑に入る


写真4 トラクターは後進しつつビニールを剥ぎ、巻き取る。見守るAさん


写真5 剥ぎ巻き取ったビニールを剥ぎ巻取り機から出す。
     Aさんとショウガ組合の仲間(トラクター運転者)が担当。見守る奥様


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 畑の中に平地林散在の下野(しもつけ)市域
 サシバを探して貸自転車を押し歩く

 数百メートル先、サシバでなく畑の作業、初見
 後進トラクターの後方にビニールシートがつながっている(写真1)
 想起したのはダイコン用マルチシートの人力剥ぎ取り(弊ブログ2014年12月30日

 ペダルを強く踏み、現場に着く
 なんと、既知のAさん夫妻(弊ブログ2015年04月08日写真1・写真2
 畑脇の奥様に、なに、なさってんですか
   なんでしょうねー、私も初めて
 Aさんは仕事をしながら一言二言、次のよう
 土壌消毒被覆ビニールの剥ぎ巻取り機を使っている
   今年、ショウガ組合で購入
   ショウガ栽培用に土壌を消毒してビニールを被せていた
   
 なるほど、省力化、効率化のために導入した剥ぎ巻取り機・トラクターアタッチメント
 定年前の業務経験を活かしてショウガ生産をリードするAさんを見聞撮

 執筆・文責・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2014年04月18日 撮影地:栃木県下野市

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サシバ  平地林の内外でカラスに追われる

2015年04月22日 00時00分00秒 | 野鳥

写真1 サシバ、平地林の中、しばし安息


Ⅰ サシバ、カラスに平地林から追い出され、逃げ、戻る
写真1 写真2

写真1 カラスに平地林から追い出されたサシバ(白○、以下同じ)

写真3 写真4

写真3 周りのカラスも加わり攻撃

写真5 写真6


写真7 写真8

写真8 平地林へ逃げ込むサシバ

Ⅱ サシバ、平地林に逃げ込む(Ⅰと違う個体)
写真1 写真2

写真1 カラスに追われるサシバ

写真3 写真4


写真5 写真6

写真5 周りのカラスも加わり攻撃  写真6 平地林の杉に逃げ込むサシバ 枯れ枝に止まる余裕なく、杉に突っ込む

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 ピッ、ピュー、ピッ、ピュー
 平地林からサシバ鳴く
 春なのに、もの悲しい音色
 高くて中太の音階

 ピッ、ピュー、ピッ、ピュー
 サシバがカラスに平地林から追い出され上空へ
 後を追うカラス
 周りのカラスが集まり集団攻撃
 たまらず平地林へ逃げ込む
 ピッ、ピュー、ピッ、ピュー
 助けを求める声?

 引用・参考文献等:弊ブログ2015年04月17日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年04月18日 撮影地:栃木県下野市





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なに なさってんですか161 草を抜いてます

2015年04月21日 00時00分00秒 | 農業

写真1 麦畑①に女性、Aさん-白円の中-


写真2 引抜いた草を後ろ手に持つAさん(仮称)。写真1・②の麦畑


写真3 引抜いた草が並ぶ、写真1・①の麦畑


写真4 2015年01月25日の麦畑。①は写真1の①、②は写真1の②


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 麦間裸地のユウガオ植付け予定地を撮っていると、隣り麦畑に女性(写真1)
 現場に着き、なに、なさってんですか、次のよう

   草を抜いている
   勤務休日に農作業する長男に少しでも役立ちたい
   “やってやんないと倅がかわいそう”
   長男は同居し、イエ・家と農業を継いでいる
   
   農家のなかには売れる田畑は売り、売れない田畑は草茫々にして迷惑かけている
   先祖が一生懸命残してくれた田畑なのに

   草を抜いている麦はビール麦
   畑の砂埃、作土嵐(弊ブログ2013年03月12日)を防ぐため
   今年は雨が多く、埃・作土嵐は少なかった
   麦は販売せず、トラクターで作土の中に混ぜ込む(弊ブログ2013年06月06日

   草抜きの女性Aさん(仮称)は1933年(昭和08)生まれ82歳
   80歳を超えたとは思えない、身も心もお元気
   当地に暮らして82年
   “こんなになるなんて夢にも思わなかった”
   まず、ヤマ・平地の開発、宅地化
   ヤマの中には、低くていつもベチャベチャの所があった
   そのヤッチャベも住宅地になった
   ヤマではキノハサライをやり、草を刈った
   草は牛の餌にもした
   次に、麦はカネにならない、手間賃も出ない
   反って赤字、収入無いのに固定資産税を払わねばならない
   さらに、働きは楽になった
   若い頃の農具は鍬と万能、犂、大変だった
   次第に耕耘機とカルチベーターが入り、今はトラクター
   

   かつて、当地の60~70戸の農家はすべてユウガオを栽培し干瓢を造っていた
   ヒゼニ・日銭が入り、その日のオカズを買えた、農家は息をつけた
   子どもがいっぱいいて、親はヒゼニ確保に、暮らしに大変だった
   天気の良い日、商売人が買いに来て、その場で現金払い
   5貫目、10貫目と小分けして売った
   まとめて大量に売る際はガンガン・ブリキ製容器に入れた
   今、ユウガオ栽培・干瓢農家は1戸だけ

   20~30年前まで、とーちゃんたちは、今80歳代の男性は、冬場、東京へ出稼ぎ
   朝1番電車に乗り、夜8時頃帰宅
   かーちゃんたちは5時起きで弁当作った
   製袋工場ができて冬の俵編み、筵造りが無くなったので出稼ぎ
   夏は干瓢造りで出稼ぎどころではなかった
   当時の作物は米、ユウガオ・干瓢、ビール麦・小麦、甘藷、サトイモなど

   当地にも開発の波が押し寄せ、出稼ぎは無くなった
   “大きい百姓”はイチゴ栽培に転換
   開発は小金井電車区開設、宇都宮大学総合農場・平地林⇒日本住宅公団等による住宅団地造成
   県蚕糸試験場・畜産試験場⇒自治医大開校など
   左官、大工、土木の仕事で働けた
   宇大農場がある頃、学生さんがカランコロン、カランコロン、下駄で実習に来た
   
   子ども世代は学校を卒業すると、多くは会社勤め、出稼ぎはない
   自分の長男・後継者(1957年生まれ)は、2~3年後に定年を迎える

 執筆・文責・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真1~写真3;2015年04月18日
 撮影地:栃木県下野市
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