ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

全然だめで

2019-03-24 | 11~12歳
アリエスの姿を見ることができなくなって、3か月。1日離れるのも嫌で仕方なかったのに、3か月耐えた。ただ放心して過ごし、それでも、直後よりはましになった。その頃はまるでリハビリのように、日常生活のあたりまえのことすらひとつひとつ書き出して、やるべきことを思い出さねばならなかった。文字通りカレンダーの日にちを塗りつぶし、カレンダーを塗ることが1日の仕事のようだった。アリエスと散歩に行っていた時間にはいてもたってもいられず、公園や河原を走った。アリエスと楽しんだ北風の月夜。アリエスと待った朝焼け。どうしようもなくて走り回った。

心に穴があく、という。寒々と風が通り抜けるようなのだろうと想像していたけど、穴は足元にあり、寒いどころか落っこちるやつだった。いつもアリエスと一緒に寝ていて、心地よい寝息やあくび、場所を移動して寝なおす音とときどき寝言、暗闇にすら満足が満ちていたので、それのない静寂が恐ろしく、テレビをつけたまま寝るようになった。できるだけ寝ないようにもした。眠って目が覚めた時、アリエスがいないことを思い出すからだ。シャンプーで目をつぶるのさえ怖かった。

まぶしい朝日に泣き、いつものテレビ番組に泣き、窓のそよ風に泣き、寂しいどころでなく、普段通りに進行する何もかもが恐ろしかった。悲しみはほとんど身体的痛みで、こんな時ほんとうに胸が痛くなるのだと初めて知る。内側から刺すような痛みが出口を探して出てくるのが涙。血でないのが不思議な気がした。

11年の間、勤務先から走って帰らなかった日は一度もなかった。駅まで、ホーム、駅から。走れるところは走った。ただただ、1秒でも早く、アリエスに会うために。帰宅してもアリエスが迎えてはくれない今も、追い立てられるような焦燥感があって、急いで家にたどり着こうとしている。早く、早く。帰っても、最愛の子はいないのに。

家族と、毎日アリエスの笑い話をしている。楽しかったかわいかったおもしろかった。もう笑って語れるのに、ひとりではどうしても泣けて、果てしなさに立ち尽くしてしまう。職場ではふつうの社会人として過ごせていると思うけど、アリエスの母ちゃんをできなくなった私は、これまでの私ではない。いま初めて出会う人はこういう人だと思うだろうが、決定的な欠落を補えない不本意な私だ。本当の私には、アリエスがいるんです。これは違うんですと、叫びたくなる。

アリエスに会いたいと言えない。それだと、会ったらいなくなってしまいそうで。別れの時にも、どうしてもありがとうと言えなかった。その言葉を言ったら、完結してしまいそうで。何も終わらず何も始まらず、ただフリーズしている。雑踏の中で立ち止まってしまったみたいに、自分の外側だけ時間がどんどん流れていく。

アリエスは、こういう日々を過ごす私に、がっかりするだろうか。しかたがないと許してくれるだろうか。