ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

ふるさとへ その1

2019-03-17 | 11~12歳

妙なアングルの写真・・・駅が整備されてました


2007年の駅舎。味があるなぁ


もう自由に空も駆けられるアリエスは、とっくに犬舎にも顔を出しているだろうけど、最初の親であるブリーダーさん一家には、私たちも報告とあいさつをしたいと思っていました。3月になって、アリエスの壷、ガラスのアリエスとともに伺いました。

列車がだんだん「実家」の駅に近づくにつれ、アリエスが生まれる前にも見た緩やかな山並みが現れます。あの時は犬舎の見学をしてお母さん犬に会い、予約待ちの順番に入れてもらったのでした。大人げないほどのワクワクと、希望しかなかったな。今回はほっくりと丸い山を目にして、涙が出てしかたがなかった。一緒にふるさとに帰ってきたよ、アリエス。

犬舎では例によってたくさんのホワイトシェパードたちにあっという間に囲まれて、チェックと歓迎を受けました。なんとも言えない感覚で、到着していきなり号泣という失態。ブリーダーさん一家はそっとしておいてくれたのでありがたかったです。
それからはずっとアリエスのこと、犬舎の犬たちのことを終電近くまでたくさん話しました。アリエスが1歳と3-4歳の頃、ブリーダーさんとお会いしていますが、その頃とはずいぶん私が変わったと言われました。昔は分からないことだらけで右往左往していたけれど、アリエスと一緒に成長して揺るぎない親の目になった。ガラスのアリエスも、よい顔になったと喜んでもらいました。前に会った時は心もとなく落ち着かなかったのに、見違えるほど自立した男の目になった。アリエス、おまえは本当に幸せだったんだなぁと語りかけてくれるブリーダーさんを見て、心の底から嬉しかった。父ちゃん、アリ子母、アリエスはこんなに喜んでもらったよ。あなたたちのお蔭だ。

犬舎には闘病中の子たちもいるし、最近は大黒柱が旅立ったりで大変な状態でした。重病の子にかかっていてほかの子の手当が遅れそうになることもあるし、天へ還す日がくるとなかなか立ち直れない。ブリーダーとは、本当に厳しい仕事だと思いました。反省ばかりだったと私が言うと、ブリーダーさんは、こんなにたくさんの子と長いあいだ一緒に暮らしている自分もそうだと、語っていました。これから仔犬がたくさん生まれるように計画中とのことでしたが、きっと仔犬を譲るのすらつらいのではないかな。どうかこの子をお願いします、幸せに育てて下さいと、祈るような気持ちで送り出すのだと思います。そうしてやってきたアリエスを引き継いで、私がたったひとつ言えることは、11年間できるすべてで育てました、ということだけです。全身全霊をこめて、アリエスを大切にしました。それがアリエスを預かった私からの、天への返答です。未熟な親であったかもしれないが、全力を尽くした。

真心のこもった物 その2

2019-03-16 | 11~12歳
さて、3つ目はペンダントに入らない分のしまい場所として、ガラスの小壷です。

純白の毛皮、ピンと立った耳、というアリエスの姿にぴったりのを探しました。手で包んで撫でるのにちょうどいいです。これも名を出さない職人さんたちが手作りしてくれているようでした。




この時期、私はこうしてイレギュラーな買い物をよくしました。
それまで超高エンゲル係数の11年。自分でほしい物はほとんどなくて、食べるものを中心に、アリエスの、アリエスの、・・・とアリエスの物ばかり探していました。ヒトはいろいろなことに散財するけど、自分が働くことでアリエスに今日も食べさせてやれる、仕事は狩りだ!みたいな純粋な喜びが、そこにあったのです。そうした実感がなくなり、どう過ごしたらいいか分からない中で、やっぱりアリエスの物を手に入れることに戻っていたのだと思います。

そうして集めた物。「物より思い出!」とかコマーシャルでも叫ばれていたように、物はただの物品として軽んじられることも多々あります。そう考えたくもなる適当に作られた物も少なくはありません。けれど、今回届けられた物はみな、名も知らぬどなたかが、心をこめて作ってくれました。喪失の大きさに倒れている人たちを、自分の仕事を通じて癒そうとしてくれている。物を手に取って泣いた時、アリエスを思うことももちろんですが、そういった人々の真心が伝わって心打たれたのでした。間に立ついわゆる営業の人々も、自分たちの仕事が喜ばれたことを喜び、どうか少しでも心が軽くなるようにと祈ってくれました。

自分が崩壊して、必死の思いで出勤していた私は、「仕事」というものの尊さを、人の手仕事を通して思い出したのでした。準備のできてない人間は職場の敷居をまたぐべきでない。自分にそう言い聞かせつつなんとかやっていましたが、本来必要な心根というものを、人の手の温かさとともに思い出すことができた。アリエスの新居に置かれているこれらの物を、とても大切にしています。

真心のこもった物 その1

2019-03-16 | 11~12歳
これまでに、アリエスに関して3つの物を求めて手元に置いています。

1つ目は、ガラスのオーナメント。

リビングには写真を飾っているけど、日が当たって色があせたり劣化してしまいます。元データがあるのでいいようなものですが、できればそうならないほうがよかった。手頃な大きさのガラスに3Dで彫ってくれる会社を見つけたので、写真と好みの模様のデザインを入稿して、作ってもらいました。





箱を開けて、感動して泣きました。写真では再現できていませんが、目の光も毛並みも、まるで掌の中にアリエスがいるようで、心打たれました。見やすい黒のパッドの上に置いて、いつもつくづくと覗き込んでいます。


2つ目は、メモリアルペンダント。

カロートペンダントや遺骨ジュエリーなどとも呼ばれていますね。もともとはアリエスが視界に入らないことに不安を感じてはいても、アリエスの分身と一緒にいないと落ち着かない、という気持ちはあまりありませんでした。それでも、アリエスが昔遊んでいたよく似てるミニぬいぐるみは、チビアリと名付けてカバンに入れて歩いていたりしました。

また、わが家には互いに口に出さないが線引きされている不文律があって、それはアリエスの、何も足さない何も引かない、というものです。ウイスキーの宣伝文句だけど。それは体についても適用されて、火葬の前に係の方が毛を切るハサミを手渡そうとしてくれましたが、断りました。遺骨も遺灰も、分けた分はありません。すべてあなたのもの。全部持って天に還りな、という心持ちです。(以前にも述べたとおり、考え方は様々でいいのだし、他のなにひとつ否定するものではありません。)

そうはいっても、アリエスが積極的に脱いだものはありがたく戴いています。拾った乳歯と、拾った毛です。拾いものゆえ、毛は集めて洗濯しましたけど(笑)。乳歯は今の1/10くらいでないかというほど小さく、本当にかわいいです。さてこれを保管するのだけど、何か特別な入れものないかなあ。

そうして、身に着ける方法があることを知ったのです。保管にもなる。ぬいぐるみの時もそうでしたけど、心の中のアリエスに話しかけるにしても、対象があると実感がわいて快適で、想像していたよりもすんなりこの方法になじんでいます。アリ男は何にもいらない人で、やっぱりこれも「アリは心の中にいるからいい」と断りました。丈夫な物とはいっても、失くすリスクも嫌みたいです。

いろいろな会社があって、迷うほどの製品があります。私はアクセサリーというより、兵士の認識票のようなイメージがよかった。アリエスの母ちゃんとしてタグをつけると思って、うれしかったのです。たった数人で切り盛りする小さな会社で、並々ならぬ情熱で作っているところにお願いしました。あれこれ試行錯誤し、防水試験も自分でやって、やっと世に出したようでした。後追いで真似て作り、試験も外注すれば簡単でしょうけど、パイオニアの心意気というものは、すばらしいと思います。


好きな言葉や名前が刻印できます










それぞれの祈りの日々を

2019-03-15 | 11~12歳
アリエスが闘病した様子はこれで終わりです。
アリエスの姿が見える日々も終わりですが、アリエスを大切にする日々に終わりはなく、これからも同じ毎日を過ごします。

ブログを閉じるつもりで書き始めましたけれども、書き残していることが多い気がして、もう少し続けてみることにしました。闘病の便利グッズや、なんとかして過ごしてきた日々。私自身がそうして探してきたように、どなたかの求める情報などが、ひとつでもあったらいいなと思うからです。また、過去の日記に自分が力づけられるというアホなオチもついていたので、2度目の自分サプライズもちょっとだけ期待。

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明るく晴れ渡った朝、皆で空へ見送りました。もう体が傷むことを心配しなくてよくなり、落ち着いて家で暮らすことができます。

しばらくすると、アリエスの“着物”が気になってきました。骨袋ですね。施設で決まっているものの中からいちおう白を選んだんだけど、どうもお代官様風の図柄でキラキラしすぎている。本当は故郷の土で焼いた壷にでもおさめてやりたいが、アリエス自身を動かすのは難しい。じつはその近所で焼き物をしている人に連絡してみたのですが、数年先まで個人依頼が受けられないほどの状況とのことで、あきらめました。
では“着物”だ。父ちゃんは何でも否定しない人なので、「気に入ってるよ。上の綴じるとこが、アリの耳みたい」といたって前向きな評価。うーーーん。なんかアリエスらしくないんだよなあ。

あれも、仏教の考え方とか世界観とか日本の文化とか、意味があってのことだとは思う。また、供養のしかたそのものも納骨、分骨、散骨、手元供養、いろいろな様式があります。そんなことをしては成仏できないとか悪いものに憑りつかれてしまうとか、伝統と違うとか、相互理解が難しいほど考え方も様々です。私は、ほかへ迷惑をかけなければ(法の範囲で)好きにすればいいと思っています。死と向き合い、考える。心から納得できなければ、その違和感こそが、よからぬものにつけ入られる隙になるからです。

私にとっては、どうしたらアリエスが気持ちよく過ごせるか、家族がいつもアリエスのことを楽しく思い出して暮らせるか。ただそれだけが大事。骨を大地に還さないことについても、自分たちがいなくなるせいぜい50年の話です。悠久の大地の50年なんて、天の世界の50年なんて、一瞬みたいなものだと思って、思う存分わが家で過ごしてもらうことにしました。母ちゃんと一緒に還ればいいよ。化けて出るというならいくらでも出てきてよい。

というわけで、アリエスの“着物”は気になります。身軽に涼やかに過ごすアリエスのイメージじゃないのです。例によってネットで探しまくりましたが、どれも違う。なら作ろう。
前の骨袋の時、父ちゃんが折り返しの部分をアリエスの耳みたいでいいと言っていました。それで、アリエスの大きな耳を思い起こすようなデザインにしようと考えました。袋で包んで、上から耳付きカチューシャにしようか。いやポップすぎだろ。ジッパーをつけて着脱するか。そんなもの作る技術なし。・・・ということで、底面はそのままにして、上からかぶってもらうことにしました。真っ白では寂しいので、白の花柄生地に。何度も大きさを測り試行錯誤しながら、やっと出来上がりました。↓↓


イメージわかない完成品

左右非対称なのはご愛嬌。柔らかな綿生地でも、アリエスの壷に着せると周囲ぴったりで、耳がピーンと立つ絶妙なサイズ感で仕上がりました。ぶきっちょ母ちゃん、奇跡起こす。一生分の裁縫力を使い果たしたのではないかと思います。不謹慎な感じにならないといいがという心配もしましたが、本当にアリエスらしくて、悼む思いも損なわれず、大丈夫なのでこれで行くことにしました。姿の変わったアリエスを、残念な気持ちでなく受け入れることができたように思います。アリエスに向かって話しかける時、必ずにっこりせずにはいられない。この姿もかわいいよ。

動き回るアリエスが見えなくなっても、アリエスのことをしているのがいちばん楽しく幸せな時間です。このあとアリエスの環境整備に関してどんどんやりたいことが出てきて、今に至るまで結局全部やりました。気の済むようにさせてもらえて、ありがたい限りです。


12月26日

2019-03-11 | 11~12歳
朝から状態が思わしくなく、午前中の仕事を終えてから点滴を再開しました。この日、アリ子母もいつもとは違うと感じていたようで、様子を知らせる連絡をくれていました。「点滴をするよ」と父ちゃんに電話で伝えると、ただ一言、わかったと答えました。きっとその時、はっきりと肚をくくったのだと思います。

夕方近くにアリエスが東の出窓をしきりに見つめました。向きを変えても体をずらしても、そっちを見る。誰か迎えに来たな、と思いました。私はアリエスの視界に入るように椅子を持ってきて窓の両端に盛り塩をして外に向かい(もう何でもありだったですね)、絶対にそれはさせないと気合を入れて陣取りました。アリエスは問いかけるようなまんまるな目をして、私の顔を覗き込むようにしました。今思えば、「僕呼ばれてる。行かなきゃならないけど母ちゃんは大丈夫?」と尋ねていたのかもしれない。でも私は、水?水ほしいのかな?久しぶりに飲めるかな?と、いそいそと水を汲んで運んだのです。アリエスはがっかりしたような表情で、いらないと言いました。渾身の問いかけも通じなかったと感じたのではないかと、このことは今でも悔いています。落ち着いてそこにとどまって、アリエスの言いたいことを聞き取ろうとすべきだったと。

その後はなかなかおしっこが出ず、血管内脱水か血圧が下がっているかという状況でしたが、それでも穏やかに時間が流れました。戸締りをしたり隣に寝る準備をしたりしながら、父ちゃんの帰りを待っていました。父ちゃんを本当に待っていたのは、アリエスでした。23時すこし前、急にアリエスが身動きしたので行ってみると、大量のおしっこをしています。やった!よく出た!それまで手足が冷えるので湯たんぽしたり靴下を履かせたりしていたけど、体もものすごく温かくなっていました。よし、これから反撃するんだ。
アリエスを褒めまくりトイレシートを替えようとして、努力呼吸になっているのに気づきました。急変なのか。喜んだのに、これは急変なんだ。その瞬間に車庫が開いて、父ちゃんが戻ったことが分かりました。あわてて呼びに行き、アリ子母も呼ぶ。母はただ静かに涙を流し、えらかったねとアリエスに語りかけ、父ちゃんはありがとうありがとうと、伝えるべきことをちゃんと話して送り出しました。私だけが、どうしようどうしようとおいおい泣くばかりでした。

アリエスは皆がそろうのを待って、そこまで頑張って時間をくれて、去りました。アリエスにとって1日が7日なら、いったい何日を耐えたのか。たぶん午後に旅立つはずだったのを、父ちゃんに会うからと断ったのではないかと思います。前にも2回、呼ばれたのに帰ってきたのだから、3回も私たちのために神様にお詫びしたのではないかな。

医学的には、父ちゃんが近づいたのを察知して体が動き排尿し、量が多かったのもあって血圧が低下してショック状態となった、ということだと思います。そしてそれを引き起こす原因の連続についても、それぞれ説明できるはずです。しかし科学は、「なぜ」という原点にして最大の疑問について、納得のいく答えを教えてくれることは少ない。なぜ生命が存在するのかということも、なぜアリエスがそういう最期であったかということも、これからも説明はできないでしょう。そして科学は、証明できない事柄を否定も肯定もしない。そういうわけで、私はアリエスについて、自分の感じる通り信じています。はじめから全部が夢のようにありがたい奇跡だったと、心からそう思います。

驚くことはもうひとつあって、翌日のことでした。直後に体をきれいにし周りをきれいにしましたが、翌朝もまた、同じように体を拭いてあげました。すると、左耳がまっすぐになっていたのです。あれ、曲がってたのあっちだっけ?いやこっちが左だ。

アリエスは耳血腫のため、左耳が半分くらいのところで外側に折れ曲がっていました。多少は伸ばし動かすことはできていましたが。大きな美しい耳が折れてしまったのを惜しんでくれる人も多かったですが、それはそれでかわいかったものです。アリエスの耳血腫は穿刺してみると内容は血性ではなく、獣医さんの想定通り免疫性の浸出液と考えられました。ステロイドを注入して炎症をおさめたものの、治癒機転のために癒着した。体が治ろうとしていろいろな物質を分泌し、やがて線維成分でくっつき固まった状態です。

線維というからには物理的なものなので、アリエスの耳がまっすぐに戻るなどということは考えられません。私たちは不思議すぎて、目が点になってしまいました。これもどうにかして医学的説明がつけられるかもしれませんが、素直にアリエスからのメッセージと受け取ることにしました。無事、天に着いたよ。ほら、全部よくなったよ。父ちゃんはなぜか、あちらの世界で生みのお母さんに会って治してもらったに違いないと言い張ります。そうかもしれないね。父ちゃんもアリエスも、息子ってマザコンだもんなぁ。