ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

父子の冒険

2010-07-15 | 2~3歳
 恒例の出発前ショット。まだ余裕だけど・・・

 今年もまた、ラフティングの季節がやってきた。どんよりの曇天だったのが、サービスエリアで休憩中に土砂降りの雨に。こんなんで行っちゃっていいのか??と思いながらも、とりあえず現地に到着した。筋肉ムキムキのガイドさんは“あっはっはーこんなのぜんぜん大丈夫!どうせ濡れるんだから!”とまったく意に介していないのだった。

 私達の住む地域ではなんだか降りきらない梅雨であったが、川の源流ではよく降ったようだ。昨年と水量がぜんぜん違う。それに今回は気温が低い。ボートの準備中にとりあえず川に入ってみると・・・グゲーッつつつ冷たぁいっ。ダブルコートとはいえ、いったん全部濡れてしまえば裸ん坊も同然じゃないか。アリエスは大丈夫なんか?おまけに流れが速く、逆らって泳ごうとしても元の位置から数メートル下流にしか戻れない。水泳には自信のある私も、今回はアリエスを曳航して笑顔で戻れるかは分からない。
 アリエスも“こりゃやばいよ母ちゃん・・・”と不安げだ。ためしに水の中から呼んでみると、胸まで入るが進めない。相当冷たいのだろう。岸から離れる私に、まるで危険を知らせるかのように吠えて並走する。うーん、あまり無理させないほうがよさそうだ。

 そんなわけで、昨年より泳げる時間は短かったものの、川下り自体はスリリングでとても楽しかった。白波をはね飛ばしながら、自分達も跳ね飛んで進む。時にはボートの先が水没するので、アリエスも濡れねずみ。途中から怖くなってきたらしく、岸が近い場所に差しかかると逃げようとする。ボートをバランスよく進めるためには、前後左右が力を合わせて漕がねばならない。ガイドさんに激励されながら頑張るわけだが、アリ男はそんな中でもずっとずっとアリエスに声を掛け続け、体を支え、彼の安全に心を配り続けた。私などは“大丈夫、アリエスも自分でなんとかしな”なんてはじめは思っていたが、必死の表情を見るとちょっと痛かった。アリ男は普段から心穏やかで声を荒げることもない。アリエスに対してもちょっと甘いんじゃないのーなんて思うこともあったけれど、このたびは優しく励まし続ける姿に心を打たれた。一生懸命にしゃっちょこばっているアリエスの姿と共に、あやうく涙が出そうになったぞ。ふたりとも、本当によく頑張ったで賞だね。

 帰りは温泉に入り、アリエスはおやつを食べて車内で爆睡。時には気の進まないことも、試練も、この世にはあるのだよ。だけどどんな時も、父ちゃんと母ちゃんがずっと一緒にいるのだよ。遊んだだけでナンだが、これくらいのストレスとその解決は、時には必要なのではないかなと思った。まあ、自分が楽しかったのでアリエスも意外に楽しかったのかもしれないのだが。

 アリエスが寝てから焼肉屋さんにダッシュし、お腹が天井を向くくらい平らげた肉食女子。アリ男ボーゼン。いい休日だったよ、ありがとう!!
 

 

遺伝子の旅・その2

2010-07-07 | 2~3歳
 母ちゃんは、より目に悩殺される!


 アリエスも、お父さんとお母さんから生命そのもの、DNAを引き継いだ。どちらから伝わったか確実なところでは、男子の彼は性染色体はXYで、Xはお母さん、Yはお父さんから。ミトコンドリアDNAについてはお母さんから。常染色体の「配分や混ざり具合」については謎であるし、同腹のきょうだいでも違っているから、互いに似ていたり似ていなかったりする。遺伝子多型の相違のほか彼に特異な変異もあるだろうし、本当の意味で「世界にたったひとり」であるわけだ。

 体質的にも内面的性質としても、弱い点や不都合な点というのはあるかもしれない。だが、私だって、いやいやヒト一般だってそういうものだ。それが遺伝であれ教育のせいであれ環境うんぬんであれ、今ある存在そのものを受け入れて仲良く暮らせればそれでいい。遺伝子的に完璧な生物などどこにもいないし、ある種の変異が、その時代その条件で生き延びるために有利であった可能性だってある。時代が変わって「良くない面」であったり「病気」と認識されたりすることは十分にある。血糖値が上がりやすい体質は、飢餓の時代には有利であったかもしれないのに、飽食の現代においては糖尿病として治療の対象となる。清潔きわまる都市生活の中では、対外的にヒマになった免疫システムは、必要の無いものにまで過敏に反応してアレルギーを引き起こすのかもしれない。

 私達人間は、大抵の場合は、遺伝子検査などせずに結婚したり子孫を増やす。もちろん優生学につながる思想を避ける倫理的な説明もあるが、それが本質的解決ではないと認識しているからという気もする。生命情報の伝達のしくみの精妙さは驚嘆に値するけれども、正確無比なわけではない。みんな、どこかに弱点や落ち度のあるDNAに、ウイルス感染の歴史の刻印を押され、伝達ミスや作成過程のアクシデントや誤作動の危機を乗り越えながら、ある意味柔軟に生きている。タンパク質の塊でなく生命体として生まれ出て、そのうえ生命を維持することの凄さ。

 暗号のような科学の言葉、それだけを見ていてさえ、ちゃんと理解はできなくても、生命やこの世界の神秘に打たれる。ましてやこの白いでっかいウサギ顔が、異種である私を家族と信じ笑いかけてくる、そんな時は、まさに胸を打ち抜かれるわけだ。

遺伝子の旅・その1

2010-07-05 | 2~3歳
 この春、プランターに蒔いたヤグルマギクがとてもきれいに咲いた。青とピンクの2種類の花色があって、ミックスされた種が売られている。それらは当然、同日・同条件の土の上にごちゃごちゃに落ちたわけだが、ほんの1-2日ほど、ピンクの花が先に開いた。ピンクのほうが早く根が生えるのか、養分の吸い上げが良いのか、日照や気温に敏感に開花するのか。赤色の形質の原因となる遺伝子が、そういった生育に関しても影響を与えているのかな。世代から世代へ、静かに伝えられている秘密があるかもしれない。

 ヒトゲノムも解読が終了して、すわ「人間とは何かが分かってしまうのでは」といった期待と恐怖が一部盛り上がったけれど、そんな哲学的深淵にはほど遠いのが現実だろう。科学は科学で、十分に深遠なるものであるとは思うが、そこから浮かび上がる事実に真実の価値を与えるのはまた別のものという気がする。そこに連なる様々なカテゴリーの中でも、これまでの科学でも扱いの難しかった疑問・・・ヒトの能力や内面的性質に遺伝は関係するのか?という壮大な問題に挑む人々もいる。
 
 遺伝学の観点から、ヒトの人生に与える生まれつきの=遺伝子の驚くべき影響力が指摘されている。これに対し、動物行動学や心理学などの観点から、生育環境やまわりの他人からの影響をこそ無視できないとする立場もあり、両者は大体激しく対立する。「遺伝か環境か」というやつだ。激論に加わる専門家以外では、「半々じゃないの?」という直感派が多いのかもしれないが。

 一卵性双生児は親から受け継いだ遺伝情報が完全に一致している。ある研究では、幼い頃に遠く引き離されて天と地の差の環境で育てられた一卵性双生児が、成人して驚くほど似た性質を持った人間になっていたという。「ヒトは育てられたように育つのではなく、遺伝子の命じる環境を選び取り、成長するのだ」と。同様の結論を促す研究も山ほどあるらしい。「環境環境っていうけど、自分の遺伝子のことを棚に上げて、他人からの影響なら許容する考え方ってどうなのだ」という痛烈な批判。このような発表に対しては、倫理面からも攻撃に等しい反論が出る。生まれついた時点で人生が決するという話に対する当然の反感。こちらも反証を山ほど提示する。

 何かの本で見てまったく賛成だと思ったが、「遺伝か環境か」と、二者択一の運命決定論に陥ることが問題なのだ。個体のゲノムが有する特性を知り、それに合った方法で成長を促す・・・究極の理想論だが、昔からお父さんお母さんがたくさんいる兄弟姉妹をそれぞれに育ててきた、そこに集約されるのだろうと思う。ヒトは、神の領域ともいえる遺伝子操作を、自分達にとって好ましい性質の家畜や植物を選んで増やすことで、知恵の領分として以前からおこなってきた。だが現代は、遺伝情報の本態を知り、知りながら確信的に操作したり病気を探したりする。その技術は果たして、最終的にどこに帰結するのか。個々の能力開発、オーダーメイド医療、人類を飢餓や気候変動から救う・・・?

 なんだか大風呂敷になってしまったが、さてアリエスは・・・


 スヤスヤと、われ関せず