ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

それぞれの祈りの日々を

2019-03-15 | 11~12歳
アリエスが闘病した様子はこれで終わりです。
アリエスの姿が見える日々も終わりですが、アリエスを大切にする日々に終わりはなく、これからも同じ毎日を過ごします。

ブログを閉じるつもりで書き始めましたけれども、書き残していることが多い気がして、もう少し続けてみることにしました。闘病の便利グッズや、なんとかして過ごしてきた日々。私自身がそうして探してきたように、どなたかの求める情報などが、ひとつでもあったらいいなと思うからです。また、過去の日記に自分が力づけられるというアホなオチもついていたので、2度目の自分サプライズもちょっとだけ期待。

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明るく晴れ渡った朝、皆で空へ見送りました。もう体が傷むことを心配しなくてよくなり、落ち着いて家で暮らすことができます。

しばらくすると、アリエスの“着物”が気になってきました。骨袋ですね。施設で決まっているものの中からいちおう白を選んだんだけど、どうもお代官様風の図柄でキラキラしすぎている。本当は故郷の土で焼いた壷にでもおさめてやりたいが、アリエス自身を動かすのは難しい。じつはその近所で焼き物をしている人に連絡してみたのですが、数年先まで個人依頼が受けられないほどの状況とのことで、あきらめました。
では“着物”だ。父ちゃんは何でも否定しない人なので、「気に入ってるよ。上の綴じるとこが、アリの耳みたい」といたって前向きな評価。うーーーん。なんかアリエスらしくないんだよなあ。

あれも、仏教の考え方とか世界観とか日本の文化とか、意味があってのことだとは思う。また、供養のしかたそのものも納骨、分骨、散骨、手元供養、いろいろな様式があります。そんなことをしては成仏できないとか悪いものに憑りつかれてしまうとか、伝統と違うとか、相互理解が難しいほど考え方も様々です。私は、ほかへ迷惑をかけなければ(法の範囲で)好きにすればいいと思っています。死と向き合い、考える。心から納得できなければ、その違和感こそが、よからぬものにつけ入られる隙になるからです。

私にとっては、どうしたらアリエスが気持ちよく過ごせるか、家族がいつもアリエスのことを楽しく思い出して暮らせるか。ただそれだけが大事。骨を大地に還さないことについても、自分たちがいなくなるせいぜい50年の話です。悠久の大地の50年なんて、天の世界の50年なんて、一瞬みたいなものだと思って、思う存分わが家で過ごしてもらうことにしました。母ちゃんと一緒に還ればいいよ。化けて出るというならいくらでも出てきてよい。

というわけで、アリエスの“着物”は気になります。身軽に涼やかに過ごすアリエスのイメージじゃないのです。例によってネットで探しまくりましたが、どれも違う。なら作ろう。
前の骨袋の時、父ちゃんが折り返しの部分をアリエスの耳みたいでいいと言っていました。それで、アリエスの大きな耳を思い起こすようなデザインにしようと考えました。袋で包んで、上から耳付きカチューシャにしようか。いやポップすぎだろ。ジッパーをつけて着脱するか。そんなもの作る技術なし。・・・ということで、底面はそのままにして、上からかぶってもらうことにしました。真っ白では寂しいので、白の花柄生地に。何度も大きさを測り試行錯誤しながら、やっと出来上がりました。↓↓


イメージわかない完成品

左右非対称なのはご愛嬌。柔らかな綿生地でも、アリエスの壷に着せると周囲ぴったりで、耳がピーンと立つ絶妙なサイズ感で仕上がりました。ぶきっちょ母ちゃん、奇跡起こす。一生分の裁縫力を使い果たしたのではないかと思います。不謹慎な感じにならないといいがという心配もしましたが、本当にアリエスらしくて、悼む思いも損なわれず、大丈夫なのでこれで行くことにしました。姿の変わったアリエスを、残念な気持ちでなく受け入れることができたように思います。アリエスに向かって話しかける時、必ずにっこりせずにはいられない。この姿もかわいいよ。

動き回るアリエスが見えなくなっても、アリエスのことをしているのがいちばん楽しく幸せな時間です。このあとアリエスの環境整備に関してどんどんやりたいことが出てきて、今に至るまで結局全部やりました。気の済むようにさせてもらえて、ありがたい限りです。


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