あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

海外旅行と引き換えに

2007-07-17 00:40:25 | Weblog
登山で思い出したので、もうひとつお話を

僕の卒業した大学では日本アルプスのある山の山小屋の向かいに診療所を持っており、毎年シーズンである夏の間だけ開いている。
基本的に外科系の医者1人とナース2人が2-3日交代で勤務することになっていて、毎年希望者を募り運営しているが、日程が埋まらない場合は(大体半分以上埋まらないのだが)医局長から研修医に、お前、休みをやるからいって来いというぐあいで任命される。基本的に研修医は休みに餓えているので、仕事といえども数日間を山で過ごせるのは夏の楽しみの一つでもあった。
ただ、右も左もわからない研修医には設備もなく指導医もいない、限られた薬のみで、不安な数日でもある。
しかし、同行している看護婦さんは若いといっても研修医より臨床経験は豊富なものであり心強い見方である。
また、いざとなれば、大学病院の医師と連絡を取って支持を仰ぐこともできる。
診療所といっても、ボランティアであり診察料は無料である。
ちなみに、われわれの給料は1日4千円ぐらいで、交通費を差し引くとマイナス?であったと記憶している。
訪れる患者さんのほとんどは、高山病や脱水、またはかすり傷程度のもので、若い外科医でも十分に対応のできるものであるが、1人だけ忘れられない患者さんがいる。
医者になって3年目の夏、基本的な救急処置はできるようになっており、2年前とは違い、診療所生活を満喫していたときの話である。
40代の女性で、診療所の前で転倒し、右肩を強打したという方が来院。
右腕がだらーんとしており、診察してみると、どうも右肩関節の脱臼を起こしているもよう。
外科3年目とはいえ専門外の分野である。
これが下界であれば、診断がつけば、すぐに整形外科を紹介することもできるが、山の上ではそうはいかない。
はて、困ったと思い頼りのナースに相談するも、2人とも肩の脱臼は初めて遭遇するとのこと。
ここで見栄を張ってもしょうがないので、とりあえず患者さんに、自分は整形の専門ではなく、肩の脱臼に遭遇するのは初めてであることを正直に説明し、大学病院の整形の当直に電話、ちょうど、顔見知りの先輩であり、支持を仰ぐと、できるだけ早くに整復しろとのこと、だめなら大学病院に送ってよとのこと。
大学に送ってよって、あんた、人の話し聞いてないのかって、だからここは標高3000mmの山の上だっていっているのに、送れるもんなら送ってるよー。

とりあえず、患者さんの了承の上、診療所に眠っているほこりのかぶった古い教科書をひっくり返して、学生の時に習った知識で、何通りかの整復を試みるも、断念。
日は暮れてロープウェイは止まってるし、いくらなんでも、この状態で徒歩で下山させるわけにはいかなく、一晩診療所で頬っておくわけにも行かないので、仕方なしに最後の手段として、ヘリコプターを要請したところ、県をまたぐとか何とかの、救急車みたいな理由で県営のヘリは出動させられないとのこと。
残るは民間のヘリであるが、これは数十万かかるとのことであるが、この際背に腹は変えられないとのことで、民間ヘリ要請。
数十分後、真っ暗な空の向こうからバッ、バッ、バッ、バッとヘリの音が聞こえ、ヘリコプター登場するも、困ったことに足場が悪くて着陸できないと連絡が入り、その直後、ヘリから何か網みたいなものが落下、どうやらこれに患者さんをくるんで引き上げる作戦らしく、早速、患者さんを網の中にくるんで、GOサインをだした。
網で患者さんをヘリまで引き上げるかと思いきや、そのまま宙ぶらりんの状態で、ヘリは真っ暗な暗闇の中へ消えていった。
翌日、搬送先の病院から連絡があり、レントゲンで右肩関節の脱臼と骨折が確認されたとのこと。
教科書的には骨折を伴った脱臼の場合、整復時に骨折片が関節内に入り込んでしまうことがあるので、盲目的な整復は危険とのこと。
結果的には無理に整復しなくて良かったのである。
後日、その患者さんからお礼の手紙が届き、その内容は確か、、、
登山の後、娘と海外旅行に行く予定で貯金していたお金をヘリコプター代に当てて事なきを得ました。どっちにしても怪我で海外旅行はキャンセルせざるをえなかったので、あの時の判断に感謝しています。

若かったです。

駒ヶ岳

2007-07-16 23:29:40 | Weblog
今日は職場の方と、その友人ら(とはいってもみんな60歳)で長野の駒ヶ岳登山に行きました。
当初の予定では、3連休を利用して2泊の予定でったが、台風4号のため最終日に日帰り登山となった。
僕は当日まで行き先を聞いておらず、BB先生からハイキングだからスニーカーとカッパだけでよいとの連絡を受け、標高2900mmの山とは知らずに、ほんとに何も持っていかなかったら、とんでもなかった。
下界は晴れていたがロープウェイを降りたら、ガスってて、しかも雪がまだ残っており、ほぼ垂直な岩壁を這って昇り降りせねばならず、なかなか充実していた。
帰りは、ワイナリーでワインの無料試飲をしまくり、お約束どおり温泉で汗を流した。
そういえば、登り始めて最初の休憩地点の極楽平でのこと、BB先生がなんか揺れてる地震だといいだしたが、みんなは高山病でめまいがしているだよと馬鹿にして、話は流れたが、下山した後のニュースで、ほんとに地震があったことを知った。
時刻はちょっとずれており、はたして真相はいかに?
余震を感じたのかも?

東洋医学

2007-07-15 19:25:56 | Weblog
今後、この長期休暇中に何をしようかいろいろと考えている。
日本の今の医学というのは西洋医学が中心であり、東洋医学は基本的に認められていない。医学部でも一部を除いては西洋医学しか教育していない。
自分もこれまで西洋医学にどっぷりと浸かっていたが、日々の臨床の中で西洋医学のみでは説明のつかないことは多々あり、人間には不思議な力があると実感はしていたが、半信半疑であり、また、日々の生活に追われてじっくりと考える余裕もなかった。
でもどうやらその答えは東洋医学の中にあるのではないかと思っており、興味を持っている。
西洋医学はここ数十年、劇的な進歩を遂げて、外科手術、救急医療、新薬の開発、遺伝子治療などにより、これまで助からなかった命も助かるようにはなったが、体を臓器別に診る西洋医学だけでは、健康を維持するには限界があるように感じている。
東洋医学では体を臓器別に診るのではなく全体としてとらえ、日々の生活から自然との調和、そして気というスピリチュアルなものを重んじている。
自分もこれまで、若いうちは無理が利くと思い体力にも自信があったので、めちゃくちゃな生活を送っていたが、自分が病気になって初めて健康を考えるようになった。そして、今後、健康に生きていくためには何が大事かということを考えたときに、臓器別の西洋医学ではなく予防医学に重きをおいている東洋医学的が大事なのではないかという結論に至った。
最近になって西洋医学のなかでも生活習慣病だとかメタボリックシンドロームという言葉がでできて、生活や食事などに関心がもたれるようになったが、東洋医学では昔から言われているのである。
考えてみれば、西洋医学は生まれてたかだか100年ちょっと、東洋医学は理屈では説明つかないけど数千年の歴史があるのである。
日本でももともと漢方や鍼灸、按摩といった東洋医学的な伝承医学があったが、江戸時代に西洋医学が入ってきて、それらは非科学的という理由から、明治時代には西洋医学を学んだ者にしか医師免許を与えず、医療から排除されてしまっているが、今の時代、再び東洋医学の考え方も必要とされているのではないかと思う。
実際に巷では整体、マッサージ、ツボ、鍼灸、カイロプラティック、ヨガ、気功、免疫療法など健康保険の適応でない、いろいろな代替療法が流行っており、国が医療として認めないだけで、国民には浸透しており、西洋医学で難治性のものも治療効果をあげているものもあるようである。
まー、なかには怪しいものもたくさんあり、信じるか信じないかも大きいと思うが、基本的には肯定である。

台湾のライバル

2007-07-12 18:27:34 | Weblog
以前、チャレンジャーズライブの予選で知り合った仲間のひとりが、今年の春から台湾へ留学している。欧米と変わらぬ最先端の治療を行っている施設で、症例数も年間何千とあるすごいところだが、彼は自分でこぎつけて、臨床医として手術に参加し奮闘している。
すごいやつである、てぇーしたもんだよ蛙のしょんべん、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしってやつである。
そんな彼から最近、連絡が来て、なんでも今度のOFFCAB研究会で、その台湾の病院からボスの手術をライブ放映するらしい。
小生、残念ながら見に行きませんが、うまくいくことを祈るのである。
OFFCAB研究会もついに国際化したわけです。
元気になったら、一度彼がいる間に台湾に遊びに行きたいところである。

認知療法

2007-07-12 18:04:44 | Weblog
うつ病の回復期の治療や再燃予防として認知療法というものがある。
うつの人はとにかく、ネガティブ思考で物事を悪いほう悪いほうへと考えてしまう。思考回路がどこかでおかしくなってしまうのである。
認知療法とはその間違った考えを正しいほうへと修正する治療方法である。
具体的には、日常の行動や考えを書き出して、その中でゆがんでしまっている考えを、客観的に医師やカウンセラーとともに正しい考えへと修正していくのである。

今思えば、こうして小生がブログを書いていたことが、ストレスの発散となり、また、自分の考えを客観的に見ることで認知療法の役目を果たし、うつ病の予防になっていたのではないかと思う。
しかし、このブログが時のボスに見られていることがわかり、昨年の末ぐらいから仕事や上司の愚痴を書けなくなってしまったことも、発病した背景にはあると思う。

こだわりを捨てる

2007-07-12 17:32:33 | Weblog
2月にうつ病と診断された時に、群馬の山寺にしばらくこもり、連日、お経ばかり唱えさせられた。古くからアジアに根付いている般若心経というお経があるが、般若心経の意味は一言で言えば「こだわりを捨てなさい」という意味だと住職に言われた。
そのときは、何のことやらまったく意味がわからなかったが、もう一度、般若心経について自分なりに勉強していき、今の自分と重なり合わせてみたところ、最近になりようやく、意味が理解でき、確かに、このお経はすべての者を極楽へと導いてくれる者だと思った。
人は物事に執着してこだわるから苦しむのである。
こだわりを捨てられれば楽になるのである。
ただ、物事にこだわるからこそ人間であるとも言える。
こだわりが無ければ、苦しみも無い代わりに楽しみも無いのであろうし、文明も社会もここまで発展はしなかっただろう。
まあ、表があれば裏があるのでる。
しかし、なんとも、深い意味であり、まさに物事の真髄とついている。
お釈迦様はすげー、何千年も前にこれを悟っていたのである。
つまりは、ドンだけ文明が発達しようも、人間の心の中は今も昔も変わらないということである。
小生も、それがわかったとたん、すっと苦しみが消え、楽になりました。
つまり、こだわりを捨てればよいのです。

思えば昔は型にはまらず、物事にはあんまりこだわらずに、結構適当に生きていた。いつのころからか、こうなってしまったのは。

ここ数年間の間、ずーと、一流の心臓外科になることばかり考えて、それには一流の外科医に従事して手術を経験することが近道だと信じ、大学を離れ、アウトローの道に入り、手術数の多い施設を転々とし、昼も夜もない、友人の結婚式すら出れない、家族の誕生日すら忘れ、おかしな生活をしていた。
そのことにこだわりすぎて、いつの間にか自分の限界を超えていたのである。
結果的にそれが自分を苦しめていたと、わかってしまった。
単純である。
ただ、逆を言えば、執着したからこそ、ここまで頑張ってこれたし、今の自分があることも事実である。
とりあえずは、一度、心臓外科を捨ててみようと思う。
貯金の許す限り、1,2年ぐらい、臨床からはなれて好きなことをやってみようかと思う。
考えてみれば、同年代も留学や大学院などで1,2年は臨床から離れる時期である。
この先、あと20年30年ある医者生活の中で、1年や2年ぐらい休んでもどうってこと無いだろうと思えるようになった。
一度しかない自分の人生である。
どうなるかわからないが、しばらくの間は、昔に戻って、すこし緩めてすごしてみようと思うのである。

34歳のオーバーホール

2007-07-12 16:02:03 | Weblog
2ヶ月ぶりの登場となりました。
5月に古巣に戻りましたが、小生、うつ病を甘く見ていたようで、いきなりフルで仕事し始めたら、またまた再発。
やはり、もう環境を変えるぐらいではだめなようで、かなりペースを落とす必要があったと思われる。
今回は、かなり精神的にきつく、生きていることが辛いと思うところまでいってしまった。
とりあえず休職して、先のことは考えずに1ヶ月ほど引きこもり、ようやく日常生活が遅れるまで回復。
一筋縄では行かないことがわかり、まず、うつ病について体験談などを読み漁り勉強。うつ病になるような人はやはり、まじめでがんばりやの人が多いのか、あせって仕事に復帰しようとして1度や2度は再発を繰り返しているようだ。
そうこうしているうちに、だんだんと病気との付き合い方がわかってくるようで、あせらず無理をしないようになって、病気を克服していくらしい。
つまり今までと同じような考え方では駄目だということだ。
思えば自分も、いつの日からか限界ぎりぎりまで、いや、限界を超えるまで自分を追い込む生活をしていた。
自分はまだまだやれる、がんばれるといつもケツを引っ叩いて走っていたが、完全にオーバーヒートである。
34歳、そろそろ一度オーバーホールする時期なのだろう。
いい機会である。