2月にうつ病と診断された時に、群馬の山寺にしばらくこもり、連日、お経ばかり唱えさせられた。古くからアジアに根付いている般若心経というお経があるが、般若心経の意味は一言で言えば「こだわりを捨てなさい」という意味だと住職に言われた。
そのときは、何のことやらまったく意味がわからなかったが、もう一度、般若心経について自分なりに勉強していき、今の自分と重なり合わせてみたところ、最近になりようやく、意味が理解でき、確かに、このお経はすべての者を極楽へと導いてくれる者だと思った。
人は物事に執着してこだわるから苦しむのである。
こだわりを捨てられれば楽になるのである。
ただ、物事にこだわるからこそ人間であるとも言える。
こだわりが無ければ、苦しみも無い代わりに楽しみも無いのであろうし、文明も社会もここまで発展はしなかっただろう。
まあ、表があれば裏があるのでる。
しかし、なんとも、深い意味であり、まさに物事の真髄とついている。
お釈迦様はすげー、何千年も前にこれを悟っていたのである。
つまりは、ドンだけ文明が発達しようも、人間の心の中は今も昔も変わらないということである。
小生も、それがわかったとたん、すっと苦しみが消え、楽になりました。
つまり、こだわりを捨てればよいのです。
思えば昔は型にはまらず、物事にはあんまりこだわらずに、結構適当に生きていた。いつのころからか、こうなってしまったのは。
ここ数年間の間、ずーと、一流の心臓外科になることばかり考えて、それには一流の外科医に従事して手術を経験することが近道だと信じ、大学を離れ、アウトローの道に入り、手術数の多い施設を転々とし、昼も夜もない、友人の結婚式すら出れない、家族の誕生日すら忘れ、おかしな生活をしていた。
そのことにこだわりすぎて、いつの間にか自分の限界を超えていたのである。
結果的にそれが自分を苦しめていたと、わかってしまった。
単純である。
ただ、逆を言えば、執着したからこそ、ここまで頑張ってこれたし、今の自分があることも事実である。
とりあえずは、一度、心臓外科を捨ててみようと思う。
貯金の許す限り、1,2年ぐらい、臨床からはなれて好きなことをやってみようかと思う。
考えてみれば、同年代も留学や大学院などで1,2年は臨床から離れる時期である。
この先、あと20年30年ある医者生活の中で、1年や2年ぐらい休んでもどうってこと無いだろうと思えるようになった。
一度しかない自分の人生である。
どうなるかわからないが、しばらくの間は、昔に戻って、すこし緩めてすごしてみようと思うのである。