あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

トルコ再び

2006-08-23 01:12:10 | トルコ視察旅行
不思議とここのところ僕の周りでトルコに行った方が4人ほどいる。
ブームなのか、たまたまか、意外と人気の国なのかもしれない。

トルコといえば、向こうの病院でいくつかお土産をいただいた事を思い出した。
1つはオペ着、これは記念に1枚盗んできたのだが、それからCD、これはオペ室で手術見学している間、僕が気に入って何度もかけてもらっていたCDで、歌っているのはZUZUBABAというグループでdouble orientalという題名、その名の通りオリエンタルムード200%の曲ばかりで、聞いているとその雰囲気に酔ってしまいそうになる。このCDをお土産で買っていくと言っていたら、別れ際にスクラブNSのMevlude(←発音できない)がプレゼントしてくれた。
それからナボールボンジュウという目の絵がかかれた石、これはトルコのお守りらしく各オペ室に貼ってあったが、1つ頂いてきた、「これはこれからあなたの行く先々で、あなたを悪いことから守ってくれるでしょう」と言う様な内容のことを言われたと思う、全然違ったりして、、、。かわりにオペ室には僕のプレゼントした風鈴が飾られていることでしょう。


稀代の天才外科医

2006-08-10 14:11:27 | トルコ視察旅行
先日、トルコのお礼と病院が変わったことの挨拶をと思い、渡邊剛先生にメールを送ったところ、返事が来てた。
やはり、カラゴッツ先生はもうすぐ引退するらしく、良い時期に良いものを見れたと、また、渡邊先生は彼のことを「稀代の天才外科医、coolyの上を行くでしょうね。」って書いていたけど、「稀代」ってなんだ、おいら生まれて初めて聞いたよ、、、とにかくすごいってことなんだろうけど。
最後に「dignityを持ったよい外科医になってください」と言われたが、「dignity」辞書で引いてみると「気品、気高さ、品位」と、まー俺に似使わない単語が載っていたが、、、、。
こないだボスにも、俺達は一流なんだから、自尊心を持ちなさい、オペ室でも靴下をはけと怒られた。
そんなもんなんだろうか、まーここに来たからにはここのルールに染まってみるのも良いのでしょう。
これからは手術室でも靴下を履き気品のある外科医になってみようと思うのである。

カラゴッツの手術見たい人は、トルコに急げ!!

トルコ紀行10日目(やっぱり和食)

2006-07-17 22:44:37 | トルコ視察旅行
10日目、いよいよ日本へ帰る日、イスタンブール経由で成田へ。
帰りの飛行機の中では久しぶりに日本人に囲まれ、団体ツアーのおばはん、おじさんたちが騒ぎまくっており、やや日本語が耳障りにも感じ、お年寄りのパワーに圧倒された。
なんとか定刻どおり6月30日、成田についた。翌日から新たな病院勤務であったので、もし飛行機遅れたらと、それだけが最後まで心配であった。初日からブッチは、たぶんクビにされただろう。

いままで8カ国ぐらい行ったが、その中でもトルコはメキシコに並んでお勧めの国である。
食べ物はおいしいし、見所はたくさんあるし、観光客目当てのトルコ人を除けばみんな良い人ばかりであり、観光客とわかると下心は無く、親切心で声をかけてくれ、道を案内してくれたり、チャイを振舞ってくれたりする人もたくさんいた。
とくにお勧めは個人旅行、ツアーは向こうに行ってから、気に入ればその場で申し込めばいいしね。

成田に着いて、その場ですぐにそばとカツどんを食ったのは言うまでも無い。

トルコ紀行8~9日目(お別れ、トルコ語はちょっと、、、)

2006-07-17 22:25:37 | トルコ視察旅行
翌日も予定8件、緊急2件と盛りだくさんであったが、karagoz先生は夕方前には帰ってしまい、後半はTaifun先生を中心にすすんだ。
手術始まる前にみんなで軽く朝食を取ったのだが、その時に思い切って聞いてみた。もし希望したら、ここでトレーニングをさせてもらえないかと、、、。
帰ってきた返事は、まずは患者とコミュニケーションをとれないとダメだから、トルコ語を勉強しなきゃダメだと、そしてトルコのライセンスが必要だとのこと。それがクリアできれば可能性はあると。臨床抜きで数ヶ月間、見学という形ならどうか尋ねてみると、それならいつでも大丈夫だろうとのこと。
最後にみんな一人ひとりと写真を撮ってお別れをした。たったの二日間であったが大変充実して、大きな刺激を受けた。最初は言いたいことがうまく伝えられないのではないか、こんな名も無い若造が見学に行っても邪魔扱いされるのではないかとか、いろいろ心配したが、行ってみたら何のこと無い、王者の余裕というかなんと言うか、ほんとに親切にしてもらった。

トルコ紀行8~9日目(welcome to Japan)

2006-07-17 22:07:29 | トルコ視察旅行
これまで、見学に来た日本人はたくさんいるらしく、今回、紹介していただいた渡邊剛先生は2度訪ねられておりKaragoz先生とは大変仲良しであろう。あとは先日、お会いしたときに洞窟ホテルを勧めてくれた岡林先生、Karagoz先生は彼は頭がいいとほめていた。
そういうKaragoz先生も日本へはここのところ年に2回ぐらいのペースで来ているらしく、もう20回ぐらいは来たといっていた。かなりの日本びいきである。今月末も学会で1週間ほど金沢に来て、観光するといっていた。
夜は、みんなで歓迎会をしてくれた、Karagoz先生や上の先生は来なかったけれど、レジデントのIbrahim、Tuba、麻酔科のBeyhan、Selmin、オペナースのEmel、Mevludeとで飲みにいった。トルコの夏は雨が降ることはほとんど無く、乾燥していて蒸し暑い日本に比べればとても快適なのだが、この日は珍しくスコールのような雨がざーと来て、テラスで飲んでいた僕らは飲み物を持って避難するはめになった。日本からのお土産として、扇子と風鈴を持ってきていたのでみんなに配ったら、みんな興味心身で喜んでいただけたようでうれしかった。今頃、オペ室に飾られていると楽しいのだが、、、。

トルコ紀行8~9日目(Karagoz's philosophy)

2006-07-17 21:40:49 | トルコ視察旅行
手術は多くがOFFCABGであったが、使うのはほぼ全例LITA、RA(&RA)と決まっておりcompositも多用していた。最初にレジデントであるIbrahimやTubaがRAを取りだしそのうち、その上のSanserやTaifunらがLITAを取りに入ってくる。グラフト準備ができるまで約30分、そこでKaragoz先生の登場である。吻合は1つ4,5分と早いのは当たり前で、実際に手術に入っている時間は20分かそこら、だから休憩室でコーヒー飲んでる時間のほうが多いように見えたけど、実際そうだと思う。追加縫合なんてまず無いし、驚いたのが、スタビライザーなんてものは当然無く、吻合部位の周囲の心筋にガツっと4箇所、絹糸をかけてそれで吻合部位を固定していた。オクトパスも無いのでフェルト付きの糸をapexのあたりにこれまたガツっとかけて、脱転してくるのである。それでも後から出血しないのである。やはり人種の違いは感じた。そして何よりもすごいのが、やはり術中の血圧である。Karagoz先生は血圧を50まで下げさせる。時には30台になることもしばしば、でも不思議なことに止まらないんですね。あとで質問したら、僕はOFFCABGはこれまで1万6千件ぐらいやっているから、一番良く知っているんだと、血圧を下げることにより後負荷がとれて心筋の酸素需要量は低下し、虚血は起きないというようなことを言っていたと思う。全部は聞き取れなかったが、あとはアクションも小さくなるし、出血も少なくなるのでCO2ブロアも必要なく心筋を冷やして不整脈を引き起こすこともない。お湯で十分視野は取れる。とのことである。すべてがうまくかみ合っている。そしてその究極がAWAKE-OFF-CABGであろう、epi-duraで血圧も脈拍もさげて心臓を楽チンにしてその間に繋いじゃうという。残念ながら今回の見学中にはAWAKEはなくて見ることができなかったが、AWAKEなら日帰り、通常でも4,5日で退院だとのこと。
Karagoz先生は当然、CABGだけではなく何でもこなす、弁はすべて連続縫合であり単弁なら遮断時間20分以内である。

トルコ紀行8~9日目(Karagoz先生との出会い、2分の退室)

2006-07-17 21:37:08 | トルコ視察旅行
8日目、朝8時半に病院のロビーで待ち合わせである。迎えに来てくれたのは34歳の僕より1つ年上のIbrahim先生であった。彼は大変気さくな人で英語もゆっくりでわかりやすく、最初から最後まで面倒を見ていただくことになる。
まず、朝のカンファでKaragoz先生とご対面、昨年、岡山の学会で見たときとは違い、もみ上げからあごひげまでボーボーで、別人かと思った。彼はwelcomeを連発し、ここまできた勇気を尊敬するみたいなことを言われたとおもう。基本的に毎日予定は8例、年間2000例を二つのオペ室、5人のsurgeonでこなしていくと。9時スタートで手術はオペ室の入れ替えや麻酔も含めて約2時間なので夕方には予定手術は終わってしまう。はっきり言って日本では考えられない。この日も、予定以外に2件手術が入り全部で10件、それでも夜8時には手術を終え、麻酔科、オペ室ナース、ICUナースを引きつれみんなで飲みに行くのである。いろいろと驚くことが多すぎて何から書いていいかわからない。思ったのはまず、全体として、スタッフ自体はけして多いわけではないのだけれども、みんなだ役割分担しており、その仕事のエキスパート、それだけを徹底的にやるといった印象を受けた、しかもものすごく仲が良くてアットホームである。まず、麻酔科の先生は各部屋1人でBeyhanとSermin、二人とも若い女性である。導入は外回りのヘルパーさんみたいな方2人ぐらいとで、3人でやって15~20分ぐらいで終わってしまう。そして退室はICUがすぐ隣ということもあるが、あまりにもすばやいので試しに、手術終了から退室までをビデオで撮影してみたら、なんと2分であった。

トルコ紀行7日目(オトビュス)

2006-07-17 13:45:50 | トルコ視察旅行
7日目、いよいよ今回の最終目的地でありメインイベントのアンカラへ出発である。トルコの長距離バス(オトビュス)のすごいところは、バスがベンツか三菱製の新しいもので乗りいごごちは最高であり、しかも添乗員さんが2人ついており、ことあるごとに飲み物と軽食のサービスをしてくれる、そして最後に手にレモン水のようなものをかけてくれ、みんなこれを首や肩に塗るのである。これがさっぱりしていて後も残らずさわやかなのである。アンカラまで約5時間、地下鉄とタクシーを乗り継いで何とかデデマンホテルまで到着。一息ついたあと、まずは病院の下見、目指すアンカラギュィベン病院はホテルから徒歩20分ぐらいのところで、住宅街のど真ん中にあった。後はクズライの駅の周りを探索して昼飯はファーストフードの店に入って、トルコ風お好み焼きであるラフマジュンを食べてアイランを飲んでいると、そこの店長がこの辺では日本人の客は始めてだと、大変珍しがって、いろいろと質問してきた、彼は少し禿げ上がってはいるがジョージクルーニーばりの渋いおやじであり、でも年を聞いたらあんまり変わらなかったので、お互いびっくり。例によってチャイを振舞ってくれて30分ぐらい話がはずんだ。さすがに1週間も海外にいると不思議と自分のへたっぴな英語にも慣れてきて、会話が成立していなくても何でもなんとなく通じるようになるものだ。
夜は、明日に向けてホテルのレストランで飯を食って早く寝た。

トルコ紀行6日目(バルーンツアー)

2006-07-17 13:42:44 | トルコ視察旅行
6日目、早朝3時にカッパドキアバルーンツアーのお迎えがきた。昨日のユキツアーの社長がお勧めしていたので、ついついのりで申し込んでしまったが、やはり最初に上昇していくときにはちょっと足がすくんだし、落ちたら死ぬなーなんておもった。でもパイロットさんがものすごい上手な方で、木や家の屋根や電柱とかのギリギリ上を通ったり、渓谷の狭い間を見事に進んでいったりと、もちろん景色もすごかったが、僕はそのプロフェッショナルとしての見事な運転に感動した。一時間ほど朝日のなかをフライトして着地したが、着地点はその辺の普通の畑であった、ただぎりぎりまで粘って粘って最後は上手にトラックの上に着地させて、みんなで無事に生還できたことをシャンペンでお祝いして、最後に気球をぐるぐる巻きにするのを手伝って終了となった。宿に帰って少し休んでからは、バイクで観光、まずギョレメ野外博物館まで行って洞窟内に作られたいくつもの教会を見学して昼食はギョレメの町でピデと名物のつぼ焼きケバブを食べた。つぼ焼きケバブはつぼで煮込んだケバブ料理で、最後に客の前でつぼをきれいに割って出すというものである。あと、トルコでは食料は豊富な国でずべて自給自足でまかなっているという。だから、どこのレストランに入っても、かならず食べきれないほどのパンが出てくるのだが、このパンが外はカリカリ中はもっちりしていてほんとにおいしい。世界一のパンと呼ばれているらしい。トルコ料理は基本的に日本人の下に合っているのではないかと思われる。ヨーロッパとアジアのミックスした料理であり、なんと言っても世界三大料理の一つなのであった、ちなみにあと二つはフランスと中華であるが。
話は戻って、午後は自然が作り出した不思議な形の、キノコのような岩が立ち並ぶパジャバーに行って、キノコとご対面。その後はバイクを返却して、明日のアンカラまでのバスのチケットを予約しにオトガルまで行って朝9時発の便を選んだ。夜はホテルの夕食をいただいたが、これまたおいしかった。

トルコ紀行5日目(地下都市)

2006-07-17 13:40:57 | トルコ視察旅行
5日目、この日、このツアーに参加したのは一人旅の日本人旅行者とインディア系のアメリカ人の親子2人であった。ガイドは社長であり、社長さん、日本語と英語で交互に説明してくれて、なんか勉強になった。午前中はローズバレーという赤い渓谷をハイキングして、昼食後にお約束の、トルコ石の工場へ行くが何も買わずにチャイだけご馳走になり、とっとと退散。午後はカイマルクの地下都市へ、この地下都市、なんと地下8階まであり2万人が暮らしていたという。もともとはアラブ人から逃れたキリスト教徒たちが、身を潜めるために住んでいたとか、、、。今現在公開されているのはほんの10分の1ぐらいで、まるでありの巣のような迷路になっており、一歩道を間違えると樹海のごとく帰ってこれなくなることもあるとか、、、、、。
その後は、オルタヒサルという城塞に登りカッパドキアの景色を一望して、ツアーの終了である。
夕食は宿の女将に教えていただいたお勧めのLa Padellaというトルコ風レストランでいただいた。

トルコ紀行4日目(洞窟ホテル)

2006-07-17 13:39:44 | トルコ視察旅行
4日目はカッパドキアまでの移動。
イスタンブール朝8時半発のフライトで一時間半、カイセリ空港まで何とかたどり着いたはいいが、そこからカッパドキアの町までの道のりが、ガイドブックにも載っておらず、空港を出たはいいが、イスタンブールのときとは大違いで、ぼったクリのバスもタクシーも、誰も近寄ってこない。しかもタクシー乗り場には、タクシーの姿なし。うろうろしていると、同じくフリーの旅行者っぽい日本人の女の子二人組みが困っており、声をかけると同じくカッパドキアまでの移動手段がわからず困っているともこと。仕方ないので、空港の案内でつたない英語で聞いてみると、ヨーロッパ系のきれいなお姉さんが親切に対応してくれた、一番良いのはバスであることを教えてくれるも、バスはチケットが無いと乗れないとのこと、しかもチケットは町に出ないと購入できないといわれ、困った顔をしていると、お姉さんがいいわ、私のチケットをあげるからとバスのチケットをくれたが、こっちは1人じゃないんです、というとお姉さんも困り、今度はドルムシュという乗り合いバスのようなものを紹介してくれた。ドルムシュは時刻表があるわけではなく同じ目的地までの人がある程度集まれば出発してくれ、一回なんと80円足らずである。
何とかドルムシュに乗ってまずはカイセリの市外へ出て、乗り換えて、そこから今度はカイセリのオトガル(長距離バス乗り場)まできた。トルコの人たちのおもな移動手段はバスなので、このオトガルというのは場所によっては成田空港や東京駅並みににぎわっている。オトガルでその辺に立っているおじさんに行き先を伝えると、数あるバス会社から目的地までのバス会社のカウンターまで案内してくれる。ここからカッパドキアのユルギュップまでの中距離バスに乗って約2時間弱で到着。トルコ紙幣が少なくなったため銀行で両替をしにいくと、ちょうど昼休みらしく入り口の前で待っていると、人の良さそうなガードマンに話しかけられ、話が進み、昼休み中なのに支店長を連れてきてくれて、紹介してくれて、日本人が珍しいのか、周りの店の人も寄ってきて、いつの間にか銀行が開くまで、隣のカーペット屋のまえでチャイをご馳走になることに、、、。またまた押し売りか?と思ったら、やはりイスタンブールが特別なだけで、こちらの人はそういうことはいっさい無く。ほんとに純粋に話し好きなようで日本のことをいろいろと聞かれた。しかも、最後に、今日の宿までの行き方を聞いてみたところ、ここから30kmぐらいあるので、ホテルから迎えにこさせればよいよと、わざわざホテルに電話して迎えの車まで呼んでくれた。その後、無事、銀行で両替を済ませ、GAMIRASU CAVE HOTELに到着。名前の通り洞窟を改良して作ったホテルである。カッパドキアは洞窟やら地下都市などで大変有名なところで、洞窟を用いたホテルがたくさんある。ちょっと前に小倉記念の岡林先生と飲んだが、そん時にカッパドキアの洞窟ホテルをすすめられた。
チェックインを済ませた後、ノゾミさんのアドバイスでバイクを借りることとした。宿の女将にレンタルバイクの話をすると親切にも手配してくれて、丸二日で4000円ぐらいと破格の値段で貸してくれた。しかも国際免許を取ってきていなかったが、そこはさすがトルコのお国柄、日本の免許をチラッと見せるだけでOKでした、パスポートも見せろといわれたが、宿においてきたといったら、返却するときでいいと、なんていい加減な国なんだ。カッパドキアはフリーで回るのもよし、ツアーもよしとのことで、一日はツアー、二日目はバイクでフリーということとして、帰りがけに日本語の話せるユキツアーというツアー会社によった。社長さんが日本語ぺらぺらで冗談も上手なので、明日一日のツアーを申し込んで、この日は移動の疲れか、夕食はとらずに熟睡。

トルコ紀行3日目(トルコアイス、ヘア、風呂)

2006-07-17 13:36:30 | トルコ視察旅行
3日目は、新市街へ出てみた、こちらは昨日の旧市街とは違い、ビジネス街や、若者の町といった感じで特に観光としての名所はあんまない。途中で、昨日から探していたドンドルマといってトルコの延びるアイスにようやく出会えた。パフォーマンスもなかなかのもので、最初にアイスのカップを渡してくれるのだが、アイスをのせたと思うと取られてしまったり、取ろうとするとクルッと回して意地悪されたりとなかなか食べさせてもらえないのである。これもトルコへきたら一度は体験すべし。
午後は、これまた名物、鯖のサンドを買い込んでボラポラス海峡のクルーズへ、黒海の手前まで行って、ちょっと早い夕食を食べて戻ってくる。
帰りに、隣に座った家族からロクムというお菓子をいただき、なんか和菓子のようなものであんま気が進まなかったが食べてみるとメチャクチャうまかった。結局、日本へのお土産はこれになったのだが。
ホテルへ帰ってからは、坊主頭が伸び放題になっていたので、ホテルの散髪屋に行ってトルコ風のヘアスタイルにしてもらった。その後は、いわゆるトルコ風呂に行って汗を流した。トルコ風呂とは要するにサウナのようなところで、その中で体を洗ったりあかすりをしてもらったりするところで、基本的に浴槽はない。

トルコ紀行2日目(ベリーダンス)

2006-07-17 13:35:16 | トルコ視察旅行
二日目はイスタンブールの半日ツアーに参加した。
アヤソフィア博物館やブルーモスクといわれるジャミー、昔の競馬場を見学して、途中、こういうツアーではお約束とも言うべきトルコじゅうたんのお店によって説明を聞くというのが組み込まれていた。興味ないので買わなかったが、話を聞いていると買いたくなってしまう人もいるようだ。最後にグランバザールという市場を見て回ったが、じゅうたんや貴金属の店が何十件も並んで、しつこく勧誘してくるだけで面白くなかった。
このツアーに参加して一番のめっけものはガイドさんのノゾミさん(本名忘れたがトルコ語で望みという意味だといっていた)。
このノゾミさん、なかなか日本語が上手で、なんでも旦那さんは今日本にいるとか。
昼食はついていないツアーであったが、一緒に食べましょうということになりドネルケバブとアイランという塩味のきいたヨウグルトドリンクを体験させてくれた。明日からは自分で自由に観光するのだというと、いろいろとガイドブックには書いていないようなアドバイスをいただき、その後非常に参考になった。しかも、別れ際にもしトルコで何か困ったことあったら、いつでも電話してくれて言いと、自宅と携帯の番号まで教えてくれた。それまでトルコ人は疑いの目で見てしまったが、ノゾミさんは信用できた。それに、ノゾミさんいかにもお嬢様という感じで、お金には困ってなさそうであった。帰りに路面電車に乗ろうということになったのだが、なんとノゾミさん乗るの初めてだという、これは相当なお嬢様だと確信した。この路面電車の中で僕は財布をすられた、しかもすられる瞬間ポケットに手が入ってきたのがわかった、巧妙な手口でアット思ったときには扉が開いてすったやつは降りていってしまった。ただ、10分前にバザーで買った160円の財布で中身は80円しか入っていないのであった。
午後は、これまたくたびれた。地下宮殿を見学した後、出口でこれまたおっさんに捕まり、これからハーレムを見学しに行くのだと話すと、今日は休みだよといわれ皮の工場があるから見にこないかといわれ、わかっていながらついていくと案の定、自分の店へ連れて行っただけであった。まあ、慣れたもんで冷やかしついでに、店をぐるっと回ってほしいもの何もないといって出ようとすると。若い店員さんがまあ、何も買わなくてもいいので話をしようということになり、いろいろ話していると向こうから宗教の話をして来て、日本人は多くの人が無宗教なのだと教えると、非常に不思議がって、では何を信じていきているのか?、死んだ後の世界を知らないのか?と聞かれ、死んだら何もある分けないじゃんと答えると、これまた、日本人は不思議だといわれ、やはり宗教ネタはタブーだなーと思い話を切り上げていた。
おっさんにハーレム休みだといわれたがガイドブックにはそんなこと一言も書いてないので試しにいてみるとやっていた。とほほ。
入り口のところでのどを潤して一休憩しているとまたまた、よってきた、まーこれも英会話の訓練だと思い話を始めると、何でも日本人の婚約者がいると、しかも親父はトルコの日本大使官なのだと、自分はガイドをやっており、そのときその一家を案内して親密になったといっていた。ためしにその大使官の名前を聞いてみると、答えられなかった。
早々に話を切り上げて入場して見学して戻ってくると、なんと2時間近くたって入るのにまだ、入り口のところにいて、わざとらしく今来たんだといい、ずーとついてくる、まあ、うざかったが無料の英会話と思って話していると、どうしても自分の観光事務所に連れて行きたいらしく、どうせ帰り道だったので店の前まで行って、お幸せにといって帰ってきた。
夜はベリーダンスのショウを見に行った。これがなんと食事とアルコール2杯つきで5000円ぐらいとそこそこなのだが、高級クラブだけあって、追加の飲み物は1杯2000円ぐらいしてた。ベリーダンスは一度は見る価値のある踊りであろう、官能的な踊りもあり、一歩間違うと、日本のストリップショウに近いものがある、もちろん全裸にはならないけどね。

トルコ紀行1日目(飛んでイスタンブール)

2006-07-17 13:32:44 | トルコ視察旅行
10日間のトルコ旅行記を掲載しまーす。

初日、成田空港を出て13時間、イスタンブールのアタティルク空港へ降り立った。日本人観光客をだますトルコ人がうようよいるとは聞いていたが、ここまでひどいとは思わなかった。空港からホテルまでは空港のサービスバスと路面電車で行くつもりであったが、空港を出たとたん、笑顔のトルコ人がうようよ寄ってきて、サービスバス乗り場を教えてやると言って来て、これはありがたいと思いついていくと、ついたところはチャーターバスの受付でホテルまで法外な料金を提示してきて、そくUターン。
これがトルコ人のやり方かと思い、もうだまされないぞと思いサービスバスに乗り込み、路面電車の乗り継ぎ場で降りると、バス会社を装ったおっさんが路面電車の駅はここから遠いし、この先はこの時間非常に危険な場所だからタクシーで行ったほうがいいと運賃も2000円ぐらいだと、俺がタクシー拾ってやるからと。そうかなんて親切なおじさんなんだろうと思いタクシーを拾ってもらったら、前払いだといわれ、おっさんにいくらぐらいだと聞くとお札を何枚かもっていかれた。おかしいなと思ったときにはもうタクシーは出発。
2000円ぐらいといったのに、6000円ぐらい持ってかれていた。たぶんおっさんとタクシーの運ちゃんグルになってだましたのだろう、自己嫌悪になるももう渡してしまったものはしょうがないわけであり、初日から腐るのは辞めようとトルコの代表的なお酒ラキを購入し部屋で乾杯した。ラキは、アニスの香りのする50度近いお酒で、水で割ると白く濁るためライオンのミルクと呼ばれている。アニスの独特の香りと甘みが酒好きには病みつきになりそうな味である。