あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

miss diagnosis? miss judgment

2006-08-27 15:51:30 | ちょっといい話、へー
今日は、回診中に解離がきたが、これまた診断の難しい症例であり、上行のLowな部分を解離腔の血栓閉塞とするか、壁内血栓とするか、または単なる壁の肥厚とするか、CTのみでは正確な診断がつけられない症例であったが、症状、所見、そして昼にもう一度CTをとって大きな変化がないことから、3型として保存的に見ていくこととなった。
センター長の言葉を借りれば、解離は診断がつかないときがある、miss diagnosisは許されるがmiss judgmentは許されないと。つまり解離と診断して開胸して違っても許されるが、逆は許されないということである。

午後は駅前に出てマッサージに行った。最近、首から肩の凝りが取れずに困っており、先週初めて全身マッサージを受けたがなかなか良かったので、今日もお姉さんに上に乗ってもらい、気づけばヨダレ、だらーっとたらしながら居眠りしてた。
帰りにラーメンを食べたが、食べすぎだとわかっていながら、2件はしごして2杯食べてしまった。苦しい、でもうまかった。


窒息

2006-08-24 15:51:22 | 飲み、食いもん
先日、見学者の歓迎会があって、2次会で寿司が出たのだが、余った寿司を全部食えと酔っ払ったボスから言われ、さらに酔っ払っていた自分は命令されるまま、いただきますといって、一気に口の中に詰め込んだら、むせるどころか、気道閉塞してしまい、全く呼吸ができず、隣に座っていたボスに背中をたたいてたたいてとジェスチャーで合図したが、最初はみんな酔っていたのか相手にしてくれなかったが、ほんとに苦しんでいると、ようやく背中をたたかれ、口から寿司を発射。
こんなことあるわけないと思っていたが、年寄りがもちをつまらせて死んでいく時はこんな感じなんだろうと思った。やはり人間、呼吸できないのは一番苦しいことなんだろうと実感した。
あの後は寿司は二度と見たくないと思ったが、思ったのはそのときだけで、もう寿司食べたくなってきた。

人生の中で、死を感じたのは何度かある、学生の頃、バイクで高速を180km/hr overで走っていた頃は、快感とともに、もしここでこけたら確実に死ぬだろうと思いながらいつも乗っていた。それから、風速20m/sec、波2-3mという救助艇も出せないような大荒れの中でヨット部の練習をしていた頃は、転覆して流されたらまず助からないだろうなと思いながらやっていた。死にたかなかったけど、それでも、あのころは体力にも自信があったし東医体で優勝するため必死だった

今は絶対無理、日々体力の低下を感じさせられることばかりで、なにか基礎的な運動をやらなくてはいけないなと、思っている、だけ。できない。

ひさしぶりにのんびり

2006-08-24 15:38:26 | のんびりした日
今日は久しぶりに手術がなく、ややのんびりしている。たまにはこういった日も必要である。
昼には銀行に行っていろいろと振り込んで、警察署に行って免許の住所変更と平日の昼間しかできないことをまとめてやってきた。あとは船舶免許の住所変更が残っているけど、これはその辺ではできないので、休みでももらわないと無理かな。
午後はMTが三件入っているので、ちょっと疲れそう。

トルコ再び

2006-08-23 01:12:10 | トルコ視察旅行
不思議とここのところ僕の周りでトルコに行った方が4人ほどいる。
ブームなのか、たまたまか、意外と人気の国なのかもしれない。

トルコといえば、向こうの病院でいくつかお土産をいただいた事を思い出した。
1つはオペ着、これは記念に1枚盗んできたのだが、それからCD、これはオペ室で手術見学している間、僕が気に入って何度もかけてもらっていたCDで、歌っているのはZUZUBABAというグループでdouble orientalという題名、その名の通りオリエンタルムード200%の曲ばかりで、聞いているとその雰囲気に酔ってしまいそうになる。このCDをお土産で買っていくと言っていたら、別れ際にスクラブNSのMevlude(←発音できない)がプレゼントしてくれた。
それからナボールボンジュウという目の絵がかかれた石、これはトルコのお守りらしく各オペ室に貼ってあったが、1つ頂いてきた、「これはこれからあなたの行く先々で、あなたを悪いことから守ってくれるでしょう」と言う様な内容のことを言われたと思う、全然違ったりして、、、。かわりにオペ室には僕のプレゼントした風鈴が飾られていることでしょう。


稀代の天才外科医

2006-08-10 14:11:27 | トルコ視察旅行
先日、トルコのお礼と病院が変わったことの挨拶をと思い、渡邊剛先生にメールを送ったところ、返事が来てた。
やはり、カラゴッツ先生はもうすぐ引退するらしく、良い時期に良いものを見れたと、また、渡邊先生は彼のことを「稀代の天才外科医、coolyの上を行くでしょうね。」って書いていたけど、「稀代」ってなんだ、おいら生まれて初めて聞いたよ、、、とにかくすごいってことなんだろうけど。
最後に「dignityを持ったよい外科医になってください」と言われたが、「dignity」辞書で引いてみると「気品、気高さ、品位」と、まー俺に似使わない単語が載っていたが、、、、。
こないだボスにも、俺達は一流なんだから、自尊心を持ちなさい、オペ室でも靴下をはけと怒られた。
そんなもんなんだろうか、まーここに来たからにはここのルールに染まってみるのも良いのでしょう。
これからは手術室でも靴下を履き気品のある外科医になってみようと思うのである。

カラゴッツの手術見たい人は、トルコに急げ!!

テキサスハート式

2006-08-10 07:15:16 | Weblog
昨日はTAR+CABGであったが、ボスからテキサスハートセンター仕込のSVGの取り方を見せていただいた。ダイナミックでメチャクチャ早かった。世の中SVG1つとってもいろいろなやり方があるものだ。
また、昨日は手術中に解離が二件来て外回りであった僕は双方MTをすることとなったが、一例は84歳で手術待っている間に胸腔穿破となりMTした手前、非常に悔しい思いが残る。もう一例も91歳と超高齢でarchに2こぶの解離であった。解離や破裂は、搬送されてきたときの判断が難しい。緊急性があるかないかの判断をその場で決定しなくてはならない、間違えば命取りとなってしまう。
はて、今日も2件の予定手術である、今週も何とか乗り切らなくてはならないのである。

ボスのねぎらい

2006-08-08 22:17:18 | Weblog
外勤から帰ってくると、なんか今日のボスは疲れていたのか、オペ室を出て行くときに「手術は入れないのに雑用ばかりで悪いな」と、まー、優しいお言葉をかけてくれた。そして来月からカニュレーションだといわれた。
明日は、ここに着てから2本目のSVG採取のチャンスである。きちっと取って認めてもらわなくてはならない。
動脈瘤に合併した冠動脈病変は意外と多い、正中切開の場合はそのままバイパスも追加となることが多く、初CABGのチャンスもそう遠くないのではないかと秘かに思っている。イメトレしないといけません。

CCTライブオペレーター

2006-08-07 23:31:24 | ライブ手術
僕の夢であるCCTライブオペレーターに、今のボスが選ばれた。
中継は豊橋からやることになるらしいが、たぶん俺は留守番だろう。
症例はまだ決まっていないとのことだが、当然、大動脈であることは間違いない。
どうせなら、胸腹部の症例を当ててほしいものだ、TAAは誰でもやってのける時代であるが、胸腹部に関してはたぶんボスが日本一であることは信じてやまない。

ここに来て、早いもので一ヶ月が過ぎた。何がなんだかわからないうちに過ぎてしまい、のんびりでいいじゃないかという思いと、早く仕事を覚えて認めてもらいたいという思いが混在しているのである。

チャレンジャーズライブ決勝

2006-08-06 20:17:12 | チャレンジャーズライブ
7月12日に、心臓外科の甲子園とも言えるチャレンジャーズライブの決勝が須賀川で行われた。
このブログも初めて1年が過ぎましたが、ちょうど最初のころ昨年のチャレンジャーズライブの決勝のことが書かれていて、まさかその舞台に今年は自分が上がれるとは思ってもみなかった。
出場メンバーは4人、東日本からは立川メディカルセンターの飯田先生、立川というからには関東近辺かと思っていたらとんでもない、実は立川というのは創設者の名前で、病院は新潟にあって新潟大学のジッツらしい。彼は異例な人事で東京医大からの出向で現在の病院に来ているとのことであるが、やはり大学に属するもの、数年前の自分と同じように将来の進路についていろいろと悩んでいた。
東日本のもう1人は東邦大学大橋病院の山下先生、なんと私の母校である。
彼はもともと日本医大の所属であったが、ボスに魅力が無いことや100年たっても手術が回ってきそうに無いとの事から、今年、尾崎先生のところへ移ったらしい。
医局を飛び出るのはいいが、また医局とは、とほほ。まー、尾崎先生のところだから、普通の大学病院よりはまともだとは思うが、、、。
そして西日本からは僕と、もう1人は昨年の予選の後一緒に反省会を開いて仲良くなった京都府立の小川先生、お師匠さんである夜久先生に似ている似ているとみんなに言われていたが、一番似ているのは髪の毛の薄さやないか?
若くして、、、。
本番前に南淵先生を中心に顔合わせがあって、順番とかをくじ引きで決めた。
昨年は審査のときに、東上先生がトップバッターのことなんかもう覚えてないなーなんて言っており、トップバッターは不利だというふれこみであったが、いつまでも待っておるのは余計に緊張しそうだったので、僕はあえてみんなの嫌がるトップバッターを選択した。前立ちは、昨年の影の優勝者といわれている角野先生を指名させていただいた。角野先生も同じ大川ファミリーであり、これまでも何度かお相手していただいているし、吻合の方法も全く同じである。機械出しは大和成和の南淵先生の専属ナースである深津さん、大ベテランでありナイスなボケや突込みでリラックスさせてくれた。
さて、結果でありますが、4人中3人は初歩的なミスで敗退となり、無難にこなした山下先生の優勝となった。
僕は、IMAが解離してグラフトが流れずアウト、飯田先生は途中でVfで心停止となりアウト、そして小川先生は対側を引っ掛けており吻合部狭窄でアウト、山下先生は特にトラブルなく、審査員13人全員が山下先生に票をいれて見事に優勝である。
現実は厳しいものである、いくら上手に縫えても、グラフトが流れなきゃ、生かして帰さなきゃ、当然アウトである。
いろいろ反省する点はあるのだろうが、そのまま打ち上げになだれ込み、反省する暇無し、、、、。
IMAの剥離をもっと丁寧にやればよかったのだろうが、まーそれだけでもないんだろうな。要するにこれが今の俺の実力ってことだろう。

打ち上げでは今回は新葛飾の吉田先生とへべれけになるまで飲んだ。行くところなければいつでも来いなんて言ってくれたが、まー社交辞令というやつだろう。
それから、新葛飾にはどういう縁だか、わが母校の医局長である藤井先生が週一回、遊びに来ているとのこと。頑張られているようで、外から母校の復権を祈っております。
今回は、あくまでも、甲子園である、本当の意味での勝負はこれから、毎日なのであろう。
ここに参加したメンバーもそれなりの野心を持ったやつらで、良きライバルとしてきっといつかまたぶつかる日が来るのだと思い、楽しみである。

決勝が終わって、1つの目標が達成された。
そして次の人生の目標が決まった。
次は豚ではなく学会で本物のライブオペレーターになること、これに決めました。
期限は40歳まで、しかしそれまでライブって続くのかなー、ちょっと心配、、、