日々是好舌

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ひたすらに願えば叶う五智如来

2020年11月22日 19時49分43秒 | 日記
藤枝市岡部町の旧国道一号線沿いにある五智如来です。私は、この五智如来公園(静岡県藤枝市岡部町岡部29)の隣の町道の拡幅工事を担当しました。合併前のことですからもう10数年前のことです。
五智如来(ごちにょらい)とは、五大如来ともいい、密教で五つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を5体の如来にあてはめたもので金剛界五仏のことです。
岡部町指定文化財である2組の五智如来像。(上の写真、五智如来像の後ろにもう一組あります。)
この五智如来像の一組は、宝永4年(1707)田中城主内藤弌信(かずのぶ)の家老脇田次郎左衛門が寄進したもので、地元の三輪石(安山岩質凝灰岩)で作られている。
この五智如来には、次のような伝説が残っている。

宝永2年(1705)内藤豊前守弌信が陸奥棚倉城(福島県棚倉町)から、田中藩5万石の藩主として転封して来た。内藤家の息女は言語にやや障害があり、殿様と奥方にとって心痛の種であった。
ある時、奥方が府中の宝台院に参詣した折、ちょうど居合わせた徳川家の奥方に悩みを打ち明けたところ、岡部宿のはずれに宝台院の隠居寺(当時誓願寺は宝台院末)の誓願寺がある。その誓願寺の本尊である阿弥陀如来をひたすら拝むように薦められた。
そこで田中城主は家老脇田次郎左衛門を代参役として、奥方ともどもお参りに行くようになった。
毎日のようにお参りを続けていると、不思議なことに姫の口が次第になめらかになって行く。やがて満願の日には普通の人のように話すこともでき、後には大名の許へ輿入れしたとのことである。
この霊験を喜んだ代参役の家老脇田次郎左衛門が宝永4年(1707)五体の五智如来像を寄進した。五智如来像の傍には内藤弌信の法名を記し「現世安穏後世善所」と刻まれた碑文が建っている。
五智如来像は2組あり、後列は田中城主が寄進したもので、前列は明治中期に森川重蔵と藤田権三郎が作ったものです。

元は、誓願寺の境内に安置されていましたが寺が移転した際に、現在の場所に移されました。私が担当した道路拡幅工事と同じ時期に公園として整備され観光案内所が併設されています。


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