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日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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新岡崎 駅に鉄路の 影もなし

2023年01月17日 17時48分17秒 | 日記

中遠鉄道・新岡崎駅の記念碑です。

中遠鉄道は鉄道線路工事認可を大正元年9月16日申請。用地買収でトラブルが連発したが大正2年4月7日、ようやく袋井新~新横須賀間6マイル21チェーン(約10.1km)の敷設工事が開始された。平坦な地域だったため工事は順調に進み、約8ヵ月後の同年12月25日に竣工した。そして大正3年1月10日に営業開始許可が下り、翌11日に開通式が行われた。長い紛争で建設が遅れた中遠鉄道は、こうして大正3年1月12日より運輸営業を開始した。開業区間は、袋井新(東海道本線袋井駅とやや離れた地点)・柳原・諸井・芝・浅名・新岡崎・新三輪・七軒町・新横須賀だった。この区間には後の大正4年5月11日に五十岡・石津が、さらに昭和5年12月24日には新川西貨物駅が開業した。以下省略。
ラッキョウ軽便と呼ばれていたそうです。

伝統の孕みの舞やひよんどり  白兎

2023年01月02日 20時15分33秒 | 日記

伝統の孕みの舞やひよんどり  白兎

でんとうのはらみのまひやひよんどり

‟ひよんどり”は新年の季語。子季語に、鵯踊。
静岡県西部から愛知県東部にかけて行われる五穀豊穣を願う踊り。
毎年1月4日、浜松市北区引佐町川名の福満寺薬師堂(通称・八日堂)で『川名ひよんどり』が行なわれる。「火踊り」が訛って「ひよんどり」となったもので五穀豊穣、子孫繁栄を祈願して「火を迎える行事」である。「遠江のひよんどりとおくない」として国の重要無形民俗文化財に指定。
‟ひよんどり”が行われる福満寺薬師堂は、最初の建立は奈良時代末期から平安時代初頭と推定され、何度か消失したが1856(安政3)年建立された堂が平成21年まで残っていた。

本尊である薬師如来は行基作と伝えられていたが焼失。その後1426年に井伊家一門の直貞が願主となって、新しく像を刻んで祀り変えたものが現在の本尊薬師如来。
舞は室町時代に伝わった田楽能を主にした舞いの形。現在残る面は、翁面、三番叟、治部面、女郎面、お姥面、獅子面。
大禰宜、小禰宜、松明献納者、団子積の役、僧の供、若連と役が分担され、若連以外は世襲。
正月4日、川名川上流にある六所神社の神前で猪追いの儀を行い、帰りに若宮三社へ強飯と弓矢を納める。
大禰宜は祭宿で陣笠、鳥追い笠、お鍬様を製作。画像出典:浜松情報BOOK。

冬かもめ風待船を呼ぶごとし

2022年12月24日 08時33分03秒 | 日記


冬かもめ風待船を呼ぶごとし  白兎

ふゆかもめかざまちぶねをよぶごとし

冬鴎(ふゆかもめ)は三冬の季語。

チドリ目カモメ亜科の鳥の総称。鴎、海猫、百合鴎などの種類があり秋渡来する冬鳥である。鴎はみな冬鳥であるからわざわざ冬鴎ということもないのだが、従来無季とされていたので冬鴎とされた。
上掲の句は平成19年2月下田港での吟。日本伝統俳句協会のネット句会で坊城俊樹先生の選を頂きました。画像出典:千鳥観光汽船。

工事場の火種養ふ火吹竹

2022年12月21日 12時53分03秒 | 日記


工事場の火種養ふ火吹竹    白兎

こうじばのひだねやしなふひふきだけ

火吹竹(ひふきだけ)は三冬の季語。
火を熾すときに使用する竹筒のこと。一端に節を残して小さな穴を開け、反対側から息を吹き込むと息が強く吹き出るように作られている。写真の淡竹の火吹竹は私が工事現場で拵えたもので、今でも愛蔵している。

茶の花や照葉樹林文化咲く     白兎

2022年12月03日 11時25分06秒 | 日記


茶の花や照葉樹林文化咲く     白兎
ちやのはなやせいえふじゆりんぶんかさく
茶の花は初冬の季語。
山口県宇部市沖ノ山の古第三紀時代始新世後期(3500万年 ~4500万年前)の地層からチャの葉の化石が発見され、「ウベチャノキ」と命名された。このようなことから、日本種を固有種として位置づける説もあり「日本茶自生論」が提唱されている。
縄文時代晩期の埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡や縄文弥生混合期の徳島県徳島市の徳島浄水池遺跡からチャの実の化石が発見された。九州や四国に、在来(一説には、史前帰化植物)の山茶(ヤマチャ)が自生しているという報告がある。
栄西禅師が著した日本最初の茶の専門書『喫茶養生記』の冒頭には「茶は養生の仙薬、延齢の妙術なり」とあるように、茶が健康と長寿のもとであると説いている。
チャノキは中国南部に自生する灌木で、丈夫な枝、短い茎、細長い葉を持ち、藪や岩だらけの傾斜地などに自生し、0.9~5.5メートルに成長する。インドのアッサム地方に自生するアッサムチャは8~15メートルにも達する高木になる。大きな葉をつけるため茶葉の収量は多い。
現在「茶」の木の原産地は雲南省と四川省に近い山間部とされている。その雲南省の南糯山に「茶樹王」と言われる大木がある。樹齢は八百年、主幹の直径1.08メートル、樹高9メートルといわれている。
後漢から三国の頃に成立した中国の本草書『神農本草経』には、「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」の記述がある。
唐の時代(760年ころ)、陸羽(りくう)の記した『茶経』は「茶者、南方之嘉木也(茶は南方の嘉木なり)」で始まっていることから、初期のお茶は南方で始まったと考えるのが定説である。
民族学者・故、佐々木高明博士は、照葉樹林文化論の主要な提唱者の一人。「照葉樹林帯の食物」文化講演会記録から一部を転載しておく。
《照葉樹林帯を象徴する飲み物としては、やはり茶をあげなければならない。サザンカやツバキの仲間である茶樹は、それ自身が照葉樹林の下生えの一部をなす植物だが、その樹葉を緑茶、紅茶に加工して飲むまでには長い歴史があり、その利用の形態にもいろいろの変遷があった。茶樹の起源地でもある東亜半月弧とその周辺の地域には、今も茶葉を発酵させた「噛み茶」や「食べ茶」など珍しいものが残っている。噛み茶の代表は北タイのミエン、食べ茶の典型例はビルマのラペソーだといえるが、いずれも採取してきた茶葉を蒸し、穴の中や竹籠などの中に入れ、密閉して漬け込んだものである。ミエンは発酵の程度が相対的に弱く、キンマのような嗜好品の一種であるのに対し、ラペソーは十分に発酵させた副食品の一種で、まさに食べる茶として用いられている。 しかも、このラペソーのなかには、発酵後、臼の中でよく搗いたあと型に入れ、乾操させ、一種の固形茶を作る慣行もある。固形茶は小さく砕いて煮出して飲むのである。 これとよく似た食品は 日本でも高知県長岡郡大豊町などの山村地帯に残存しており、碁石茶の名で知られている。このような固形茶が「食べ茶」から「飲み茶」へ展開する際の橋渡しの役割を演じたとみることができるのではなかろうか。このほか、照葉樹林帯に共通する固有の食べ物としては、柑橘、シソ、エゴマ、ニンニク、モヤシなど数えあげればきりがない。そのうえ、この地域の食器としては木の椀があり、箸もある。また飯はジャポニカ・ライスを炊くから粘りがあって高盛り飯にできるし、握り飯もしばしば登場する。となると、これはもう日本食のルーツのひとつがそこにある、といっても過言ではない。 飯があり糯があり熟れ鮨・茶・味噌・酒などがある照葉樹林帯は、日本人の食生活のふるさとそのものだということができるのである。》以上転載。画像出典:竹田武史さんのページ。

香りなき脂粉を化粧ふ白粉婆

2022年11月24日 12時54分14秒 | 日記

香りなき脂粉を化粧ふ白粉婆  白兎

かをりなきしふんをけはふしろこばば

綿虫(わたむし)は初冬の季語。子季語に、大綿、雪蛍、雪婆、白粉婆、雪虫。
晩秋から初冬にかけて、空中を青白く光りながら浮遊する。物に当たると付着する。初雪の頃出現することから、雪虫とよぶ地方もある。明治以降注目されて、詠まれるようになった。
雪虫(ゆきむし)とは、アブラムシ(カメムシ目ヨコバイ亜目アブラムシ上科)のうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称。体長5mm前後の全身が、綿で包まれたようになる。
この虫の呼び名としては、他に綿虫、雪蛍、東京地域のオオワタやシーラッコ、シロコババ、京都地域のゆきんこ、おこまさん、伊勢地域のオナツコジョロ、水戸地域のオユキコジョロがある他、シロバンバといった俗称もある。

井上靖の小説『しろばんば』のタイトルは、この虫に由来する。井上靖は、1907年北海道で生まれ、伊豆・湯ヶ島の戸籍上の祖母のもとで小学校時代を過ごす。京都帝国大学哲学科卒業後、毎日新聞に入社。1950年、「闘牛」で芥川賞を受賞。翌年、新聞社を退社して作家活動に専念する。1976年、文化勲章受賞。1991年没。写真はFBフレンド満森傑さん撮影。

禁欲の止庚申の夜は明けぬ   白兎

2022年11月18日 12時39分20秒 | 日記

禁欲の止庚申の夜は明けぬ   白兎

きんよくのとめこうしんのよはあけぬ

納の庚申(をさめのかうしん)は初冬・仲冬の季語。子季語に、果の庚申、止庚申。
その年最後の庚申の縁日。庚申(かのえさる)は六十日目にめぐってくるので、十一月のこともあれば十二月のこともある。2022年は11月3日でした。各地の帝釈天や庚申堂に多くの人がお参りし、一年の息災を感謝する。東京・葛飾区柴又の帝釈天参りが有名で、前夜は「宵庚申」と呼ばれ、参道に市が立ち賑わう。
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。
庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
この夜、慎ましくして眠らずに過ごすという概念は、比較的よく受け継がれている。また男女同衾せぬとか、結婚を禁ずるとか、この日結ばれてできた子供に盗人の性格があると恐れられたりする因習もある。また地域によっては、同志相寄って催す講も続けられている。それらは互助機関として機能したり、さらには村の常会として利用されたりすることもある。
子供のころの記憶では庚申講の夕飯には牛飯(牛肉の炊き込みご飯)を食べていたことを憶えている。
画像は父祖の菩提寺 亀谷山結成禅寺のご門前にある庚申塔です。


墓どころ茶畝が囲ふ聖一忌     白兎

2022年11月18日 11時54分50秒 | 日記

墓どころ茶畝が囲ふ聖一忌     白兎

はかどころちゃうねがかこふしょういちき

東福寺開山忌(とうふくじかいざんき)は初冬の季語。子季語に、聖一忌、聖一国師忌、弁当納。
十一月十六日、京都市東山区東福寺の開山聖一国師の忌日。駿河国安倍郡栃沢の人。東大寺で受戒。入宗し帰国。弘安三年七十九歳で入寂。当日、国師の木像を安置し、法要を行う。洗玉澗にかかる通天橋は、紅葉の見頃で、参詣人は多い。墓所は静岡市葵区蕨野の医王山回春院にある。

静岡の浅間神社に七不思議

2022年05月25日 13時57分55秒 | 日記


神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)という。

神部神社は第十代崇神天皇の御代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、延喜式内社であり、平安時代には駿河国総社となる。『国内神名帳』には美和明神と記され、『類聚国史』に従一位と記載されており、この地方最古の神社である。

浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、爾来富士新宮として国司の尊崇を受ける。

大歳御祖神社は応神天皇4年(273)今から1700年ほど前に、古代この地方の物流の拠点、商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀され、延喜式内社であり、『国内神名帳』に正二位奈古屋明神と記され、静岡市の地主神である。 
三社とも朝廷をはじめ国司・武将等の崇敬すこぶる篤く、駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されている。

御本社神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに境内には、麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社の四境内社が鎮座している。

この浅間さんには七不思議と言われる言い伝えがある。一つ石、叶馬(かなえうま)、水のみ龍、鳴きうずら、八方にらみの龍、山上の不思議、四方走りの馬が七不思議です。
(1)一の石の不思議
ひょうたん池は、ひょうたんの形に似ているから「ひょうたん池」と呼ばれるようになりました。そのひょうたん池の水を疣(いぼ)につけると、疣が取れるといわれている。疣が取れたら蜆(しじみ)をお供えする。
(2)鳴きうずらの不思議
‟粟穂にうずら”と言う彫刻が、とても生き生きしていることから、そのうずらが夜鳴いたと言われている。これは、本殿に飾られているが、そこにはなかなか入れない。
(3)四方走りの馬の不思議
馬を描いた絵(絵馬)から毎晩抜け出してそこらじゅうを駆け回って田畑を荒らすので、一筆加えてつないでしまったと伝えられています。その絵馬は今、静岡市文化財資料館にあります。
(4)八方睨みの龍の不思議
これは絵で、どこから見ても自分がにらまれているようにみえる。畳六畳ぐらいの大きさで、狩野榮信と言う人が墨で描いた絵。もう一匹四方睨みの龍がいます。
(5)叶え馬の不思議
ここには、昔は2頭いました。しかし、安永の火事よって三保の神社に逃げて、一頭は帰ってきて、もう一頭はそのまま、三保の神社に残っています。石鳥居から入った入り口のすぐ近くにあります。
(6)水のみ龍の不思議
この龍の彫刻は、安永の火事のとき池の水をたくさん口に貯えて、消火を手伝ったと言われている。
(7)山の上の不思議(鳴き石)
石の手前のところを叩くように踏むと鎧のような音がするのだが、今は、どこにあるかが分からない。百段階段をのぼって、麓山神社へいく道のどこかにあるはずだ。

珙桐の花は悲恋の果てに咲く

2022年05月22日 13時37分01秒 | 日記


珙桐の花は悲恋の果てに咲く  白兎

はんかちのはなはひれんのはてにさく

ハンカチの花(はんかちのはな)は初夏の季語。
ハンカチノキ科の落葉高木。中国の固有種で、珙桐(コントン)とよぶ。一属一種。葉は広卵形で、互生する。5~6月に2枚の大きな白い苞をもつ球形の頭状花をつける。中国の四川省・雲南省付近原産。属名のダビディアで呼ばれることも多い。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチの木」や「幽霊の木」「鳩の木」などと呼ばれる。
昔、皇帝の一人娘は農村の青年珙桐と恋仲になった。しかし、青年は、このことを知った皇帝に殺され、樹になる。そして、樹に取りすがって泣いた姫の魂が花になったという、伝説がある。中国名の“コントン”は、その青年の名前だ。