月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

器とお茶のお話をすこし。

2014-03-22 02:02:32 | 器を買いに



今日も終日デスクに張り付け状態だ。

ガラスの向こうには大きく切りとられた山の風景。
今日の天気はなんだか面白くて、斜め45度に激しく流れる春雪をみたかと思えば、
キラキラと照りつける太陽の日差しが。
そして今は、左から右にのったりと流れていく重たい雲の動きを愉しく見る。



先日から書こうと思っていた器屋さんの話しを、すこし。
友人に誘われて、器と暮らしの道具「フクギドウ」(阪急六甲駅)へ行った。

友人は午前中から出掛けていたが、
私は午後まで仕事して、昼すぎに駆けつけて現地で待ち合わせ。

最寄り「フクギドウ・201号室」では「平山元康展」(~3/2)が始まっていた。







平山元康氏は初めて知る作家さんだった。
ちょうどこの日、ご本人が来店されていたので、お目にかかることができる。
ネクタイを締めブラックのスーツを着られ、
清潔な感じの方で、陶芸職人というよりはアパレル業界で働く
期待の若手エリートという感じにお見受けした。



(正面の方)

それが…。
広いスペースに展示された器を見渡せば、なんとも野趣あふれて
実にのびのびとした、「生物っぽい」作品が多い。
この「生物っぽい」というのは少し言い得ていないとも思うが、
シンプルなのだけど、作品自体がまだ息をしているような、「生っぽい作品」が多かった。

なかでも、私が購入したのは雑草というか、
草っ原をイメージする大皿だ。
丹波の草の匂いをはらんだ風を体現したような素朴な八寸皿。
この皿に合わせて、スープやフルーツを入れるのに適した小ぶりの鉢を4セット購入した。





店主の言葉を借りると、彼のつくるものは、
「時代劇の脇をしめる役者さんのような器」だとか。

一見は目立たないものの、角度に応じて。置く場所によっても。
表情が変わる器。
最初はピンとこなかったのだが、実際に家で何度か使っているうちに
ああ、と納得するところがある。
地味だけど美しい。地味だから美しいのか。
大皿に「蒸し豚」を盛りながら。
「餃子入りの中華スープ」を入れながら。
その独得の野生っぽい器の気分を日々たっぷり愉しませてもらっている。
使うたびに、いいなあと素直に思う。


このあと、「フクギドウ」(本棟)へ移動。





ここで、まず目にとまったのは、熊本の井上尚之さんのスリップウエアだ。
(スリップとは、ヨーロッパなどで見られた、古い時代の陶器の一種。器の表面をスリップと呼ばれる濃度の高い化粧土で装飾する方法が特徴)

それは丹波の陶芸家・柴田雅章さんのような民藝っぽいものではなく、
もう少し若々しく、どこかヨーロッパ的なラインナップのものが多かった。
ほか、青みがかかった白磁の彩色がきれいな崔在皓(チェ・ジェホ)の器や
萩原芳典さんの作品にも出会い、結局3種ほど連れて帰って、うちの食器棚に収まっている。





器探しとはなぜこうも愉しいのでしょうかね…。
考えるに、やはり想像力なのではないかと私は思う。

料理をのせたり、器同士をコーディネートしたり。
手で洗ったり、拭いたり。
その小さな瞬間の至福を思いながら器を見るのは、なんて愉快なことか。
1客ずつの器を手にし、しっかりと対面しながら。
ムクムクと想像力を働かせて。器自身が連れてきた風景を見て。
さらに自分の家のものたちと溶けて、
それらと一緒に膨らませる世界を想像することが、私にとってはとっても愉快。

いい意味で想像を裏切るというのも、たまらないのだ。

一緒に行ってくれた友人もやはり、そんなこだわりのわかる人。
「ホントに仲がいいんですねー」と。
全く一緒にモノをみていないのに、
3度ほどそう言われた。

この「フクギドウ」の店主「表ゆかり」さんもユニークな方だった。
(面識なかったのだが)、
表さんはライターさんでありながら、手仕事を通じて豊かな暮らしへの橋渡しをしていきたいと、造り手からの配り手役を担い、この店をオープンされたと聞く。
そんな生き方もあるのだなーと。彼女の世界感に大いに共感できるものがあった。
著書である「つくり手からつかい手へ、豊かな暮らし」を当日さっそく購入する。
40分くらい、お喋りしたのだろうか。名刺交換とともにFaceBookでお友達になった(今は人と人のつながりがたちまち近づく道具があるのだ)

大好きな器の仕事をしながら、つくり手とつかい手とをつないでいく仕事。
そのひとつひとつを自分の文で書く暮らしとは、どんなものなのだろう。



このあとは、「フクギドウ」さんからすぐの、「お八つとお茶 いろは」でゆるり、お茶時間も。





ここの日本茶がまたおいしかった。
玉露っぽい上品な香りがたって、
今年飲んだお茶のなかで一番といえるほど香りが素晴らしい。



W


「いちじくと小豆のケーキ」「りんごと栗のキャラメルケーキ」。



焼き加減やお砂糖の具合もよく、
本当にゆっくりと日常の雑多を洗い流して、
沢山おしゃべりを愉しんだ。
なんだか家にいるより、もっとゆっくり出来たくらいであった。

モノ。トキ。ヒト。それらの点と点が、
きれいに一つの線でつながった暮らしというのが、こんなに近くにあるのだ。一つ一つの、憧れや愛着や希望や。
それらを目をそらすことなく丁寧に向き合う暮らしがあるのだ。

「フクギドウ」。そして「お八つとお茶 いろは」。
どちらのお店もステキな物語がありました。





最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:料理という作品 (アンデル)
2014-03-25 19:20:33
難しいこと考えるんだね。しろくまさんも、うつわお好きでしたよね。きっとしろくまさんは、しろくまさんらしい器がお好きなんでしょうねー。器も、小物も。好きなものって。じふん探しだよ、って。誰かが書いていたような。私が考えたんだっけ。
返信する
料理という作品 (しろくま)
2014-03-22 07:11:40
こちらもいい感じのお店ですね~!
器は作り手のこだわりや感性までも
その手ざわりや作風からいろいろ想像することができます。
見ているだけでも愉しい時間を過ごせてしまいますね~。
料理を映画という作品に見立てると、
料理は役者、器は舞台美術、
料理をする私たちは演出家といったところでしょうか(^-^)
おもてなしにあった器探し…いいのを見つけると
うれしくなりますね☆☆☆
返信する

コメントを投稿