月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

乳房予防切除、について思うこと

2013-05-23 01:25:41 | 腹腔鏡下 子宮全摘術




早いもので子宮筋腫の腹腔鏡手術(子宮全摘出)からもうすぐ1年になる。

来月1日には、大阪中央病院でともに院内生活をおくった友人たち6人
(1人は家庭の事情で不参加)と
術後1周年を記念して「同院会」も開催予定。
おいしいフレンチを食べに行くことになっている。
早いものだ。あれから、めまぐるしくお互いの人生や環境は変わった。というようでもあるし、
もう1年か、自分はどれだけ前進できたのだろうか、というようでもある。

実際に体調はどうなのかしら…。
正直にいおう!一番歓喜にみちて快調に思えたのは術後3日目、10日目、もしくは2カ月目かな。
こういえば、えっ~~!とどこかから雄叫びが聞こえてきそうである。

こう書いた理由は、それほどこの時期の体調は一日一日が良好に向かっていて、
回復しているなあ、傷、癒やされているなあと身をもって実感出来たのがその頃だったという意味。
もう生きて、日常を送れていることがうれしくて誰かれ構わずに感謝!したいくらいだった。

もちろん、今も体調的に悪いわけではない。しかしすこぶるスッキリ!
でもないのが私の場合、正直な感想なのである。

まあ新生児ほどの異物(子宮筋腫の瘤)のほか無数に瘤を取り除いて、その結果、時間さえ経過したら身も心も晴れやか!術前・術後で全く何もなかったように忘れて、これまでの私に戻ることができましたよ!
というのとは違うのだ、ということをここであえて告白しておこうと思う。

本当のことを言おう。まず寒いとズキっとうずく。えっ?いやホント。
痛点とは明らかに違う、重たいような、だるいような不思議な違和感が体のなかでざわめいている。主張している。
忘れている時も多々ある。これも事実。全く感じない日もある。
でも一番でっかい筋腫のあったあたりがつっぱる、という感覚は術後3日後くらいから確かにあった。
ないはずのものが、ある時よりもむしろ時に主張なさっているのである。
あまりに主張されるので今度は本格的なガンか、新しいカタの腫瘍でもできたかしら、と錯覚するほど…。

コロンとした何かを体の中に抱いているような。前かがみになっても体が自然と折りたためないほどの
ちょっと変な感じが続いている。日を追うごとに薄れてくるのではなく実はより鮮明になってきている。
こう書けば、え~!怖い!と思う人がいらっしゃると思うが、
勿論人ぞれぞれで個人差があることなんだろうと思う。全くもって私の場合はこうであるが、
人によっては、スッキリ!爽快!真っ新同然であるよ、という方も
いらして不思議はないんだと思う。

ただ私の場合には、あまりに
それが生き物のようにしくしくしたりして、スパッツを一年中はいていないと、そんな感覚がまた少~し倍増するから
たいていの場合に何かその類ものを身につけた状態でいるのだ。

変だよなとも思うけれど。折をみて病院で検査してみようかしら、とも思うけれど。じぶんの一部を取り除くというのはこんなものだと、半ばあきらめに似た気持ちでいるのかもしれない。

精神的にはどうだろうか。

貧血も解消されて、胸の鼓動が早打ちしたり、
階段を上がると呼吸が乱れることもない。また、いつも病院の存在を身近に感じなければならないこともないので、助かっているし、比較的安静なほうだと思う。自分の体調以外のことに十分目をむける余裕もある。

筋腫があった時に比べると、よくなった。うん。

でも、自分の精神にもう少しだけ丁寧に耳を澄ますとしたら、
なんだか感覚が少し鈍くなった気がする…。え~!これも正直なとこ。素晴らしいものをみても、
美しいものや気持ちいいものを感じても、ある薄い1枚のオブラードのようなものを通して感じてから、
ゆっくりと自分の内側に溶けてくる感じ。走りくるような俊敏さというものに欠けてきた。
おっとりしていた私が、困ったことにさらにぼんやりしはじめたということだ。

そんな自分に慣れ、コントロールしつつ日々生きているのである。

おそらく年齢の影響も大きいのだろうな。
いつまでも、5年前、10年前と同じ自分じゃあないということを、
そろそろ正面から受け入れる時期なのかもしれない。

いや、もっと積極思考で考えてみよう。今現在のわたしが最悪の事態ではないということが一番幸せな選択だったことである、
これを一番にいわねばならない。
だから微塵も後悔はしていないけれど。


ただ昨日、今日と新聞に掲載されていた 「乳房予防切除」の記事をみて、
どこか自分の中の何かがピクリ!とうずいたのある。

遺伝性乳がんになる率を防ぐために乳房を事前に切除する手術を受ける人が、
女優・アンジェリーナ・ジョリーさんだけではなく、国内でも希望者が着実に増え始めているようだ。

私の父もガン末期で他界したので、ガンの壮絶な戦いは十分に目にして思春期を過ごしたひとりだ。
ガンはその響き以上にあらゆる感覚をマヒさせ、ダメージをうける病である。
遺伝性乳がんがみつかっての、家族や自分の苦悩を思ったら、それは乳房を自ら切除しても
そのリスクを回避するほうを選択し、シリコーンなどを注入して乳房再建する、という考え方も間違った選択ではない。むしろ、建設的で明るい現代的な考え方だと思う。

事実、遺伝子検査をうけて異変があった場合に、70歳までに乳ガンのリスクは約45~65%とされているというからかなりの確率。大変な葛藤の末に乳房切除という選択をした人を、勇気ある行動だと温かくたたえる
べきだと思う。そんな社会が素晴らしいと思う。

そうわかっていながら一方では、切除してそれでおしまい!ではないという真実もあるということだけは
しっかりといい含めて間違いではないのだと思う。
美容整形と同じ感覚でその行為を行ってはいけない(そんな人は希だと思うけれど)と。
あとで自分を立て直すことができないほどの後悔と感覚が伴うかもしれないということも考えあわせて、天秤にかけ自分の人生を選択してほしいと思うのだ。

もうひとつ最後に告白すれば、
私の母も祖母も、子宮筋腫だった。
彼女らのカラダには子宮は存在しない。そしていまなお元気で生き延びているという幸福がある。

そのあきらかに、明るい未来予想とともに女性にとって子宮や卵巣や乳房、それはとても言葉では説明できないある鋭敏な感覚と
感受性を伴う特別な臓器であるということだけは絶対に忘れないでほしい。
切除して、さばさばと意気揚々と生きているかのような人も、
その内面には、決して人にはいえないような、ある陰を背負って生きることになる、という真実を、
あえてここで捧げたいと思う。
そのうえでより自分らしい選択をされることを節に望むのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿