月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

こんな時だからこそ感受性は大事なのよね

2020-04-23 11:54:33 | コロナ禍日記 2020

4月5日(日)晴

 夜中。3時50分。あ!と目覚めて強い不安がよぎる。
 新型コロナウイルスの感染拡大が終息したとしても、モノの価値や人と人との関係、働き方まで大きく変化するに違いない。5Gが暮らしに浸食し、オンライン取材、オンライン飲み会、オンライン会議、オンライン見合い…? これはとんでもない世界がやってくる、その単なるプロローグではないか。
 ウイルスに感染し、蝕まれた世界は、潮が引いた後にも、その負債を返していくだけで人は疲弊するだろう。もしかしたら、ハードル(障害)をポンポン飛ぶみたいに、次なる危機、また危機がつづくのではないかと恐怖が走る。

 そういえば、私。なんだか喉から、肺のあたりがイガイガしている。そうだ。一昨日、買い物をしたが、いくつかは生のものを、そのまま食卓にテーブルに供したわ。お昼のよこわのお造り、レタスとクレソンのサラダも。いまは生のものは控えたほうがいい。それなのに……アマゾンの宅配便できた2冊の本に、私、消毒の霧吹きをかけていない。

 朝と夕方の散歩、おそらく誰にもあわないだろうとマスクをせずに近所の桜並木をみてあるいた。あの時、4人の人とあった。咄嗟に1メートルは放したが、なぜマスクをしていなかったのか。「幸福のラザロ」をみたけれど、DVDをケースから出す時に、消毒液をかけることをしなかったのはなぜ?意識が足りていない。それに仕事……、これから大丈夫だろうか。
 
 ああ。と衝撃的に憂鬱な気持ちになる。
これは自分の潜在意識の中にのこっていた〝負のメモリ〟だと、あらためて気づき、大丈夫、なんとかなると言い聞かせて再び目をとじた。

 7時に目覚めた。喉は痛くない。一昨年と同じ体調、同じ朝がきた。よかったと安堵した。
 ムジカティーからディンブラをいれ、ミルクティーにして30分の読書。水素ガス吸入をしながらソファに座って昨日の日記を記した。
 
 8時。パパさんが起き出したようだ。朝食の準備、片づけ、そして10分の散歩。気持ちを入れ替え、仕事部屋にこもる。12時半まで仕事をした(集中力は散漫だ)。

 ここ数日。新型コロナウイルスに関する政府の措置や方針について、夫婦で話していて、ことごとく意見がくい違い、ついジョークとも嫌みともとれる言葉をなげあい、すれ違い、交錯しあう。いったい日本の感染拡大のピークはいつ?

 パパさんは、安倍首相と同県民ということもあり、いよいよ楽観論だ。
「世界中が英知を競ってワクチンを開発しているんだ。効く薬が固まってきて、ま、夏までにはどうにか消息してるよ。すぐに元の暮らしが返ってくる。それにPCR検査ばかりしてもは仕方ない。僕もかかったら、家で隔離されてるよ」

 男と女の差か。コロナ不協和音が、わが家庭にもじわじわ。

これで「軽症」というのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記 https://forbesjapan.com/articles/detail/33415

山中伸弥氏のホームページhttps://www.covid19-yamanaka.com/index.html をみる。

 新型コロナウイルスに感染した人の記録(手記)というのは、流しっぱなしのニュースや衆院本会議より、人に訴えかける。

 自分の家であって共同合宿のような日々。午後からの仕事が集中できず、Nとラインしてさらにイライラして、寝室で本をよみながらふて寝した。 

 18時。リビングへ足むけると、ん、鼻先にスパイスの香りが。台所で特製カレーをこしらえてくれていた。薄切り肉と、コンビーフたっぷりの、私が仕事が逼迫した時にときどき登場するあのカレーだ。

 夕食後。私は感激して御礼をいう。

「もう一度、桜を見に行って、ついでに買物にいかない? ゴマ油がほんの少しになっちゃってるの。谷崎潤一郎氏は、日本が戦火に見舞われた第二次世界大戦中に、『細雪』をかきあげたのよ。こんなときだからこそ、感受性は大事なの」と、台所で茶碗を洗いながら要望する私に、しぶしぶ「ゴマ油かぁ。なんでこんな時間に」て車を出すパパさん。私はすぐ機嫌がなおった。(ふて寝のあと、本当はすぐになおっていた)


 ぼおっとする青黒い空に、ピンクの花雲をみあげていたら「ほんまにもう、なんで来てしもうたんや……」「あぁ一貫していないのは僕や、一番あかんやつや」とパパさんは反省。なぜか自分を責めまくっていた。

 阪神モダニズムのハイカラ文化を築いた大正生まれの宝塚ホテル。その栄華をいまに受け継ぎ、クラシックホテルの名残をのこす華麗な洋館が2020年の薄ぼんやりと耀く桜の借景に光っている。新生セオリーを抱き、5月オープン。どんな次代が始まるのか。
 
 2020年。みあげた桜は一生記憶に残るだろうと想いながら、もう一度、花をみた。