月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

「愛猫だけが見ていた人気脚本家の涙」(向田邦子)を見て

2014-04-18 00:27:56 | 今日もいい一日




先日、夜10時には仕事を切り上げて、テレビの前へ。
BSプレミアム「愛猫だけが見ていた人気脚本家の涙」という向田邦子さんの記録を偲ぶ番組をみる。



途中、娘のNから「駅に車でお迎えに来てよーー」というメールがあったり、
パパが早めに帰ってきて、「ごはんはまだ…?」というような顔でこちらを何度もみたが、お構いなし。
朝ドラ以外はめったにテレビを見ない私なのだからどうぞ許して…と。無視を決め込み、画面をくいるように見つめて泣いた。

番組では、吾輩は猫であるのごとく、
愛猫の光るまなざしを通して、向田さんが颯爽と駆け抜けた人生が描かれていた。

向田さんに興味をもったのは、30代の半ばである。
編集教室時代の友人Nさんが、奈良の大宇陀を書いた2本目のルポを読んだ時にふと漏らした。
「私、向田邦子さんの文章が好きなんだけど、なんだか判らないけどこれ読んで思い出したわ」
こんな恐れ多い言葉をくれたのがきっかけ。それから、遅ればせながら向田文学を読み漁った。昭和が好きなせいもあって、
「想い出トランプ」をはじめ、いくつかの脚本やエッセイの全てを一気に読んだ。

人間の裏側や弱い部分を、つぶさに観察し、
それらを愛情とユーモアと、執着心をもって1枚1枚のトランプのように「毅然」と静かな文体で描写していく、独得の筆運びに惹かれた。
嫁姑の許されない男女の、ドロドロとしたシーンであっても。
彼女の本には、「生きる覚悟」のようなものが滲み出ていて。
登場人物を愛するがゆえの、あたたかい言葉が胸に迫ってきた。

私は向田さんの強く生きようとする姿勢というか
人生を貪欲に楽しもうとする「覚悟」のようなものにめちゃくちゃ惹かれた。
向田さんの美意識が織り込まれた暮らしぶりにも惹かれた。
彼女の人生、生き方そのものにも。
向田さんの妹さんである和子さんの本や料理本のレシピなども再現してみた。
特に「常夜鍋」は自分のうちでの定番になった。簡単でお財布にやさしくて、ホントにおいしい。

(材料)
豚肉(豚しゃぶ用)
ほうれん草
しょうが
にんにく
日本酒(上等酒のほうがいい)
レモン
大根おろし

(作り方)
土鍋に、日本酒と水を4対6(3対7でも可)で。にんにく1かけ、しょうが1かけを入れて、火にかける。

しょう油に大根おろしをすり、レモンを絞りいれた、たれを用意する。

沸騰したら弱火にして豚肉をいれ、ささっとたれをつけ食べ豚肉を食べきったら、ほうれん草を入れ、たれをつけ食べる。それを繰り返す。



妻子ある(別居中)カメラマンの方との許されぬ恋と突然の恋人の自殺。
(「向田邦子の恋文」。妹の和子さんが書いた本に詳しい)

その後、向田さんはNHKの和田勉ディレクターとの会話のシーンで、
「私はセックスが書きたい!」と言われたそうだ。
「性行為というより、男女のいわく言い難い性を毒を込め、ありのままを描きたいのよ」。
そうして生まれたのが、『阿修羅のごとく』である。

秘めた恋をようやく乗り越えた末に
余命半年といわれた自身の乳ガン手術だ。
術後は手が上がらなくて効かない左手で万年筆を握られる練習をし、本を書いていらした。

病巣の本を何冊も買い込み、ただ一人黙々と読み、家族にまで隠し通してこられたという。
その間、もちろん書くことを決して休まなかった。まさに向田さんの言葉を借りれば、「書き飛ばして」生きてこられたのである。

そして直木賞受賞(50歳で受賞)。
そのたった1年後に、
台湾旅行中での飛行機墜落事故に遭う。
番組では、旅立ちの時は縁起をかついで片付けないのに、その日に限って青山マンションの部屋をきれいに片付けてからスーツケースをもって愛猫のマミオに手を振ったと、描いていた。
向田さんの沢山の涙を、葛藤を、つぶさにみていたのは、このマミオだけだった。

あれほど、颯爽と。あれほど強く。
常に上を向いて、ひたすら明るく真剣に生きながら。
なぜ。そこに居合わせてしまったのか。神様の存在さえも疑いたくなる、ため息をつかずにはいられない。

これほどの才能のある方の命がなぜ、突然に失われ、
向田さん本人は、どんなにやるせない無念な思いだったことか。想像するにあまりある。
あれほど才能があって希望の未来を見つめていらした人があちら側の世界にいってしまわれ、
私達のような遅々したものが今を生きているのだ。ホントに自身のちっぽけな悩みなど虫けらのようで何をあくせくもがいているの、ってなものだろう…。

最後に。わたしが向田邦子さんが素晴らしいと思うのは、どんな哀しみの淵にいながらも、
友達を呼んでは料理を振る舞い、思いやりを忘れず、いつも気丈に明るく振る舞い、書き通してこられたところである。
何があっても俯かずに、自分の人生を貪欲に愉しんでこられた、潔さだ。

向田さんが、「夜中の薔薇」に書いている、こんな一節がある。

以下は著書より抜粋ーーー

この頃になって、格別の才能もなかった私が、物を書いて暮らしていける原点-。
もとは何だろうかと考えてみますと、この20代のあの地団駄にあるのではないかと思います。
あの頃、私なりに本も読みましたし、人にものも習いました。しかし、実ったのはその部分ではなく、焦り、切望し、自分に腹をたて、
やり場のないなにかを、さてどこへぶっつけていいか判らず爪をかんでいた、あのわけのわからないエネルギーではないかと思うのです。

(中略)

私は、どちらかといえば負け犬が好きです。
人も犬も、一度くらい相手に食いつかれ、負けたことのある方が、思いやりがあって好きです。時にしても同じです。
一時間単位、二時間単位で時間を使ったとしても、
それはせいぜい、時計を有効に使ったということにすぎません。
(中略)

若い時の、「ああ、今日一日無駄にしてしまった」という切望は、人生の大時計で計れば、ほんの一秒ほどの、素敵な時間です。
恐れと、むなしさを知らず、得意になって生きるより、それはずっと素晴らしいことに思います。
どんな毎日にも、生きている限り「無駄」はないと思います。
「焦り」、「後悔」も、人間の貴重な栄養です。
いつの日かそれが、「無駄」にならず「こやし」になる日が、
「あか」にならず、「こく」になる日が必ずあると思います。真剣に暮らしてさえいればーーです。

「(1978年 夜中の薔薇より)」



まるであの声で朗読されているようだ。
時々私はベッドの中で、向田邦子さんの朗読や講演の録音を聞きながら寝ることがある。



(追記)
木曜日からはじまった「最後から2番目の恋」の中で、
「とっくにおわっている昭和の恋、あんたは向田邦子か」と小泉今日子にいわせるシーンがあった。
颯爽と駆け抜けた昭和の人の生き方と言葉が、今もって全く色あせていないと思えるのは私だけ……?