さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

松平家代々の「産湯の井戸」

2015年09月30日 | 名所史跡

  松平家の菩提寺「高月院」のすぐ近くに

    徳川家康を祀る神社がありました!

 鳥居の扁額に「東照宮」と書かれていました!

 1619年に静岡県の久能山東照宮より家康公の分霊を勧請して

合祀し、「松平の権現様」とか「松平東照宮」と呼ばれています

「本殿」

 東照宮の由来 

本殿の右奥に「産湯の井戸」と書かれた案内がありました 

 

井戸を祀るには立派過ぎると思える門がありました! 

 

 「産湯の井戸」の由来

松平家三代の松平信光が出生した際、ここから湧き出る清水を用いて

産湯にしたことから「産湯の祝泉」となったと書かれていました 

そして1542年、松平家九代となる徳川家康が岡崎で誕生した際も

竹筒に詰めて早馬で届けたと云わています

岡崎で生まれた家康の産湯は岡崎城の井戸から汲み上げたと

何かの本で読み、現地の井戸を見た記憶があるのですが・・・

どっちが正しいのでしょう???

多分、両方の水を使ったのでしょう   

 神社の前には遊歩道が造られていました!

夏から秋への季節の移り変りを感じながら、

のんびりゆったりと

山野草や木々を観ながら散策が出来ました!

散策の途中、木立の中にお茶処がありました!

お抹茶に栗きんとんを頂きながら

束の間の秋を楽しめた一時になりました!

   

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松平家発祥の地「高月院」

2015年09月29日 | 名所史跡

    

松平家の菩提寺「高月院」を訪ねて来ました!

愛知県豊田市郊外の山間地、松平郷が松平家の発祥地です

松平家の祖師、松平親氏が1367年に本尊の阿弥陀仏や堂に塔など

寄進して松平家の菩提寺としたのが始まりと伝わっています 

 

 高月院の由来 

 徳川家康は松平家の九代目にあたり、1602年には寺領100石を

寄進して明治維新まで時の将軍によって手厚い保護を受けたと

伝わっています

 「本堂」

 現在の本堂と三門は三代将軍の家光によって1641年に再建され

松平家の歴史に深く関わっている寺院です

 本堂内部には家康の生母、お於の方の像が祀られていました!

 三門の横には家康が植えたとされる枝垂桜もありました!

 高月院に向かう参道の土塀脇には萩が咲いていました!

 

松平郷は山の中にひっそりと佇んでいて江戸末期まで

将軍家の厚い庇護を受けた歴史と威厳さえも感じる

史跡のようでもありました!

   

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花と観音の寺「桂昌寺」

2015年09月27日 | 巡拝日記

       長良川に沿って北上し、

ボタンの花の名所になっている桂昌寺を訪ねました!

 清流・長良川

 美濃市から郡上市に入った付近の長良川

「弥勒山 桂昌寺」(みろくさん けいしょうじ) 

「桂昌寺」は初夏に咲くボタンの花が150品種、2000株もの

花が咲き誇り「郡上のぼたん寺」として知られています 

でも・・・今は参拝客もなくひっそりとしていました!

 この時期の桂昌寺は「芙蓉」の花が咲き揃っていました!

 三門から本堂に続く参道は「芙蓉の花」でいっぱいでした!

桂昌寺は「花と観音の寺」とも呼ばれて四季折々に

いろんな花で楽しませてくれます 

 

 ぼたん園のある裏山に立つ観音像

 

 庭も手入れが行届き、池泉回遊式の池もあります

 その池の周囲には秋の花の「はぎ」が咲いていました!

 

 

夏から秋へと移り変わるこの時期に「芙蓉」と「はぎ」を

同時にじっくりと見ることが出来ました!

    

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曼珠沙華が咲き誇る明星輪寺

2015年09月25日 | 巡拝日記

        岐阜大垣の赤坂町に

曼珠沙華が群生している古刹に行って来ました!

名神高速の大垣ICから国道21号線、417号線を経由し

赤坂町に入ります 

 曼珠沙華の群生する古刹は海抜200mの山の上にあって

濃尾平野が一望できる処にあります

 遠くに建設中の東海環状高速が見えます!

 境内の入口で芙蓉の花が出迎えてくれます!

 「金生山 明星輪寺」 (きんしょうざん みょうじょうりんじ)

  

 仁王門の阿形吽形の金剛力士像

          明星輪寺の由来

 創建は飛鳥時代の686年に持統天皇の勅願により

役小角が伽藍を建立、小角自らが石像の虚空菩薩を彫り

本尊としたのが始まりと伝わっています

「本堂」 

         本堂の説明 

 後の延暦20年(801年)には弘法大師、空海によって諸堂が

再建され、桓武天皇より300石を賜ったと伝わっています

曼珠沙華で覆われた境内 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石仏の近くにも一輪の曼珠沙華が咲いていました!

         

明星輪寺は本尊に虚空菩薩を祀ることから地元では親しげに

虚空蔵さん(こくぞうさん)と呼んでいるそうです

そんな虚空蔵さんで真っ赤に咲き誇る曼珠沙華を

ちょうど良いタイミングで訪ね、観ることが出来ました!

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝「高山寺」は世界遺産!

2015年09月24日 | 名所史跡

   栂尾山 高山寺(とがのおさん こうざんじ)を  

 訪ねたら驚きがいっぱいありました!

高山寺は鳥獣人物戯画や日本最古の茶園として知られています

またデュークエイセスが歌う「女ひとり」の歌詞にも登場し、

川端康成、白洲正子、河合隼雄の著書にも紹介されている名刹でした 

石積みの上には低い白壁が続きます! 

国宝「石水院」

明恵上人が後鳥羽院より学問所として賜った建物と伝わっています  

一歩、足を踏み入れると・・・静寂の中に一木一草をそのまま

大切にして手を入れ過ぎない自然な庭がありました!

 高山寺は1994年に世界文化遺産に

       登録されていました !

                  (見ずらくて済みません)

 「石水院」玄関

 

「石水院」は鎌倉時代初期の寝殿造りの面影を残す

貴重な遺構になっています

 「廂(ひさし)の間」

ここに座り、風を受けていると何もかもが許されて

満たされた気持ちになります!

桁行正面が三間、背面四間、梁間三間の入母屋造りで

蔀戸を上げると庭が一望出来る造りになっています 

 「善財童子象」

善財童子は求道心の旺盛な少年で明恵上人はこの童子像を

敬愛し、常にそばに祀り礼拝していたと伝わっています

 「石水院」と書かれた横額は富岡鉄斎の筆と伝わっています

 

 内部は間仕切りの少ない開放的な作り方になっています

 国宝「鳥獣戯画」

 日本で最も有名な絵巻で墨線のみで動物や人物たちを

躍動的に描いている日本絵画史上屈指の作品とされています

 

 高山寺は明恵上人が厳しい修行を実践したゆかりのお寺で

僧として、俗人としてあるべき姿を貫き通したと云われています

上人の生涯は女性を擁護し、多くの和歌を残し、自らの夢を筆録した

人間味溢れる豊かな人物でそんな明恵上人を慕って

多くの人たちが高山寺に集まったと伝わっています

今の時代に居られるならば、お会いしてお話しを承り、教えを

賜りたいと思った巡拝になりました!

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする