さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

知恩院の名勝「方丈庭園」

2015年08月29日 | 名所史跡

  知恩院の境内の中にある大方丈と小方丈の前庭に

  京都らしい見事な庭園がありました‼ 

方丈庭園の入口 

 方丈庭園は江戸時代の初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって

作庭されたと伝わる池泉回遊式の庭園です

 大方丈の説明 

方丈は住職の居室であるのが一般的ですが、ここ知恩院の

大方丈は将軍の公務のために用いられていたそうです 

左が大方丈。その奥が小方丈になっていて

大方丈が表向きの建物であるのに対して

小方丈は将軍の私的な場所とされていたそうです 

 大方丈前の池泉回遊式の庭園

 

 二十五菩薩の説明 

 小方丈横の二十五菩薩の庭

 臨終を迎えた念仏者を極楽浄土に迎える二十五菩薩の

来迎の姿を石とサツキで表した庭園です

 大方丈、小方丈ともに江戸幕府、三代将軍の徳川家光に

よって1641年に再建されたと伝わっています

徳川家三代の霊を祀る権現堂 

 

 屋根瓦には徳川家を表す「葵の紋」が多く使われていました!

 

 京都洛中随一の名書院とされる大方丈、小方丈の庭園は東山を借景に

茂る樹木を池の水面に映して幽寂な世界を創り出していて

京都らしさを随所に観ることが出来ました‼

   

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法然上人が入寂の「知恩院」

2015年08月28日 | 巡拝日記

 八坂神社の境内から円山公園を通って 

 浄土宗の総本山である「知恩院」に参拝して来ました‼

 「華頂山 知恩教院 大谷寺」

(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)

知恩院は浄土宗の開祖、法然上人が念仏のみを教え広めた後、

入寂されたという遺跡のある由緒ある寺院と云われています

国宝の「三門」

寺院の門としては日本最大級で一階、二階の両方に屋根がある

二重門は格式の高い禅宗様式で建てられています 

 正面50m、高さ24mの壮大な木造二重門は江戸幕府、二代将軍の

徳川秀忠によって1621年に建立されたと伝わっています

 三門とは「三解脱門」の略で、悟りに至るための三つの瞑想

(空門・無相門・無願門)のことを云うそうです

 山号の「華頂山」と書かれた

扁額は霊元天皇の宸筆と伝わっています

 

三門を潜り、御影堂へと続く参道は勾配の急な石段の男坂と

緩やかな勾配の女人坂があります 

「男坂」 

 「女人坂」

 石段が高くてキツイ男坂を登り切ると左手に

「多宝塔」が見えてきます

 その先には知恩院の中心堂宇である御影堂がありますが・・・・

国宝の御影堂は平成31年まで八年間の月日を要して

解体大修理の工事中でした・・・(残念!)

 

「阿弥陀堂」 

御影堂の西側にあってご本尊の阿弥陀如来像を安置する堂は

正面約9m、奥行き約7.2mの入母屋造り、本瓦葺きで西方極楽浄土を

願って西に向かって参拝するようになっています

 堂内の中央には増高2.8mの阿弥陀如来像が安置されています

 

「法然上人御堂」 

国宝・御影堂が修理中なのでその期間、仮本堂になっていました 

御堂の玄関先に白い蓮の花が出迎えてくれました‼ 

 知恩院は徳川家と深い関わりを持つ寺院です

知恩院第25世の超誉存牛上人は家康と血縁があったことや徳川家は

先祖代々、浄土宗徒であったことから庇護されて大伽藍の造営が

家康、秀忠、家光の三代に亘って行われて京都を代表する大寺院に

発展していったそうです。また政治的な意味合いからは京都という

地に立派な伽藍を造営することで徳川家の威信を誇示し、朝廷を

牽制する目的があったという家康の思惑を参拝を機に知り得ました

      

 

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祇園さんと呼ばれる八坂神社

2015年08月27日 | 巡拝日記

  地元、京都では「祇園さん」と呼ばれ

親しまれている「八坂神社」に行って来ました ‼

 「八坂神社」の西楼門

四条通の突き当りに構える西楼門は切妻造りで「夜叉門」とか

「駕篭門」と呼ばれて朱色が鮮やかな門です 

 

 

創祀は色々な説があるものの社伝によると西暦656年と伝えられて

いて平安遷都の794年より以前に祀られたとされています 

 

 「本殿」

ご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で高麗の国の使者が

新羅国の牛頭山に座していた素戔嗚尊のご神霊をこの地に

迎えて社殿を構えたのが始まりとされています

本殿の建築様式は「祇園造り」と呼ばれる特有の建て方で

本殿と拝殿が一つの屋根で覆われています 

 本殿前の「舞殿」

 

 舞殿には祇園らしく沢山のお茶屋さんの提灯が吊り下がり

祇園らしさを醸し出しています

日本三大祭の祇園祭で中心となる八坂神社は京都の

商業発展に大きな役割を果たしているそうです

  

 

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旅立ちの守護神「粟田神社」

2015年08月25日 | 巡拝日記

     京都の七口の一つである粟田口に鎮座する

古社の「粟田神社」を訪ねて来ました !

 平安時代の初期、西暦876年に創建された古社「粟田神社」

 

入口の石鳥居に掛かる扁額は 旧社名で「感神院新宮」

と呼ばれていたそうです

 

10月15日に行われる粟田神社大祭で巡行する剣鉾は

祇園祭の山鉾の原形と云われています    

           

 京の七口の一つである粟田口は東山道、東海道に通じる処にあって

古くから旅立ち守護の神様として崇敬されています

 小高くなった境内からは平安神宮の大鳥居越しに

比叡山や愛宕山を望めることが出来ます  

              

 「本殿」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)を

御祭神に祀り、厄除け・旅立ち守護の神として

広く知られています

「拝殿」 

         

この夏、三度目の京都には夜明けと共に岐阜を旅立ちました

粟田神社の境内は綺麗に、清々しく、掃き清められていて

旅の安全を祈願する参拝には絶好のタイミングでした

    

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山県有朋の別荘「無鄰菴」

2015年08月24日 | 名所史跡

      明治、大正の時代に元老であった山県有朋が

京都に造営した別荘を訪ねてきました!

「無鄰菴」(むりんあん)

山県有朋が山口県に建てた草庵が隣家のない閑寂な場所で

あったことから「無鄰菴」と名付けられたと伝わっています 

 京都の無鄰菴は緩やかな傾斜地に東山を借景として

琵琶湖の水を取り入れて三段の滝、池、芝生を

配した池泉回遊式の庭園です

 この庭園は元老・山県が自ら設計、監督し、造園家の

七代目・小川治兵衛が作庭、明治29年に完成したと伝わっています

            

元老とは、明治中期から昭和初期の間、政界の超憲法的重臣のことで

天皇の下問に答えたり、国家内外の重要政策について政府又は天皇に

意見を述べ、その決定に参与する立場にあった人の事です

 

 明治36年4月21日に元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、

総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の四人がここで

日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」なるものが

開かれたそうです

 

 

無鄰菴の建物は木造2階建ての母屋に茶室、レンガ造りの

洋館2階建ての三つからなっています 

 現在の「無鄰菴」は京都市に寄贈され明治時代の名園として

国の「名勝」に指定されています

 

 琵琶湖の水を引き入れた庭園は国の名勝に相応しく

静寂で自然に溶け込んで心癒される名園でした‼

  

 

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