さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

京都三尾の古刹巡り・高山寺

2015年09月23日 | 巡拝日記

     京都洛西の高雄・槇尾・栂尾の三尾の古刹巡りは  

      神護寺・西明寺と巡って三カ寺目の「高山寺」です

国道162号線(周山街道)の栂尾バス停近くに   

無料の駐車場が完備されていました !   

駐車場から裏参道を通って境内に向かいます! 

 

「栂野山 高山寺」 (とがのおさん こうさんじ)

高山寺は奈良時代の774年、光仁天皇の勅願により創建され、

神護寺の別院であったが、鎌倉時代の1206年に

明恵上人によって再興された古刹で後鳥羽上皇より寺域を賜り

寺の名を「高山寺」と改めたと伝わっています

 境内の案内図 

苔に覆われた石垣と草木の中の

静寂な参道をゆっくりと進み金堂へと向かいます

          高山寺の由来 

 「開山堂」

再興に尽力した明恵上人が晩年を過ごした禅堂院の跡地に

1723年に再建されたお堂は明恵上人の坐像を安置しています

開山堂と金堂との間には「仏足石」が祀られていました  

釈迦の足形をかたどったもので60cm近くの大きな足形は  

    仏像が造られる以前には礼拝の対象になっていたそうです   

 

 「金堂」

本尊の釈迦如来像を安置しています

現在の金堂は寛永年間(1624~1644年)に仁和寺から移築された

もので三間四方の入母屋造り、銅板葺きの簡素な建物です

老杉や巨松に老楓がそびえ立つ境内は自然の佳景に

溢れていて 華厳浄土に相応しい聖域になっていました

その聖域を歩いていると

極、自然に心が鎮まるのが感じられました!

  

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京都三尾の古刹巡り・西明寺

2015年09月22日 | 巡拝日記

   高雄(尾)山の神護寺、栂尾山の高山寺と共に三尾の古刹の

   一つである「槇尾山 西明寺」に巡拝して来ました!

 神護寺の高雄橋から清滝川のせせらぎに沿って豊かな自然を

楽しみながら歩き、およそ10分ぐらいで「西明寺」の

参道入口になる指月橋に着きました!

 指月橋を渡り参道の石段に向かいます!

清滝川の碧く澄んだ川の流れを観ながら石段を上がります! 

 高雄、栂尾、槇尾の三尾は京都市内より気温が3~5度低いと云う

ことなので紅葉の時期は  "市内よりも二週間ほど早いかなぁ~" 

なんてことを思いながら石段を進みました!

「槇尾山 西明寺」 (まきのおさん さいみょうじ) 

「西明寺の表門」 

 西明寺は真言宗大覚寺派の準別格本山で空海の高弟、智泉(ちせん)に

よって天長年間(824~834年)に神護寺の別院として開創されたのが

始まりと伝わっています

 

         西明寺の由来  

西明寺は「平等心王院」という別名もあります

これは正応三年(1290年)に後宇多法皇から賜り

命名されたと伝わっています 

 

 「本堂」

現在の本堂は徳川五代将軍、綱吉の生母である桂昌院によって

元禄13年(1700年)に寄進され建てられたと伝わっています 

 境内には山号の槇尾山に因んでか樹齢700年もの槇の木の

巨木がそびえ立っていました

 

 

鐘楼の周りは楓の木で包まれていて紅葉の時期には

その鮮やかさが目に浮かぶ感じがしました! 

本堂の左横の「客殿」  

苔むした客殿の庭を観ながら裏参道に進み

清滝川にかかる瓘頂橋に向かいます!

清滝川のせせらぎ沿いは関西でも屈指の紅葉の名所ですが

この時期は観光客も疎らで豊かな自然と古刹をゆったりと

 巡ることが出来た一日になりました!

   

 

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空海が初代住職の「神護寺」

2015年09月20日 | 巡拝日記

  弘法大師・空海は唐の国で密教の正統を継いで日本に戻ったが

余りにも早い帰国に天皇をはじめ周囲は空海を認めずにいた。

そんな若き無名でもあった空海を西暦809年に神護寺は初代住職に

迎え入れて日本密教の第一人者への道筋を付けたと云われている

神護寺の山門に辿り着きました!  

神護寺の正門とされる三門(楼門) 

神護寺の寺額の文字は江戸時代初期の覚深法親王

(かくしんほっしんのう)の筆によるものと伝わっています

 門の両脇には持国天と増長天を安置し、内部に輪宝・五鈷杵などの

密教法具の彫刻がされています

 二階建ての入母屋造り、桟瓦葺きの三門は初層に屋根を持たない

楼門形式の門で1629年頃の建立とされています

 高尾の峰に広がる境内の案内図

「勅使門」 

平安京造営の功労者で神護寺の創建者とされる

和気清麻呂公の「霊廟」

 「鐘楼」

吊下がる梵鐘には文人の橘広相の詞書、菅原是善の銘、そして

能書家、藤原敏行の書による銘文が当代一流の三人の文人に

よるものから「三絶の鐘」と呼ばれ国宝に指定された梵鐘です

 

     明王堂の説明    

 弘法大師空海の作と伝わる不動明王像がなんと平将門の乱を

鎮めるために関東に渡り、成田山新勝寺の本尊になっているとか

お堂にかかる「明王堂」の扁額が歌舞伎の七代目市川団十郎の書に

よるものとかで驚きと興味深さを感じました!

 右に「五大堂」 左は「毘沙門堂」

 本堂側から臨む手前に「五大堂」奥に「毘沙門堂」

共に1623年頃、徳川家康によって再建されたと伝わっています

「金堂」

 

神護寺の本尊である国宝の薬師如来像を安置するお堂で1935年に

建立された正面約21m、奥行き約18mの神護寺最大の建物です 

 金堂の説明

 本尊の国宝・薬師如来像は栢の木の一木造りで像高170.6cmあり

写真撮影は禁じられていましたが極、間近で拝観が出来ました

薬壺を持つ右手を左手よりも高く上げている姿は

初めて拝観する珍しいお姿の薬師如来像でした!

 前々から是非、参拝したいと願っていた「神護寺」にやっと

訪れることが出来て大満足の洛西の古刹巡りになりました!

            

本尊の薬師如来像、脇侍の日光、月光菩薩像に十二神将の数々は

見応えがあって、広い境内に建つ伽藍にも目を引きました

更には若き日の最澄や空海がここ神護寺と深く関わっていたとの

説明を聞き、仮に神護寺が存在していなかったら最澄や空海は

無名のままで終り、日本仏教は随分、違ったものになっていた

かも知れないというお話が興味深く印象に残りました!

    

 

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京都三尾の古刹巡り・神護寺

2015年09月19日 | 巡拝日記

       嵯峨野から嵐山高雄パークウエイを走り抜けて

三尾と呼ばれる高雄(高尾)・槇尾・栂尾のそれぞれの峰に

建っている三つの古刹を巡拝して来ました!

 嵐山・清滝口ゲートから入ったパークウエイからの眺望

 右前方に京都駅方面が望めました!

保津狭の眺望です! 

 保津川下りの舟が遠くに見えました!

 旧山陰線のトロッコ列車が走る線路も見えました!

京都で標高が一番高いと云われているドライブウエイからの

眺望を楽しみながら高雄に向かいました  

   

         

 パークウエイの西山高雄駐車場に車を停めて山を下り

「高雄山 神護寺」の参道を徒歩で清滝川に向かいます

清滝川にかかる朱色の高雄橋まで下ってきました!

 紅葉の名所とされる清滝川

一山下ってきて・・・・ 

           次の二山目は逆に上りの石段です   

長い、長~い石段を上ります !  

300段を超える石段が続きます!   

やっと三門が遠くに見えて来ました!   

「高雄山 神護寺」 (たかおさん じんごじ)

 「神護寺」は天応元年(西暦781年)に愛宕五坊の一つに数えられる

高雄山寺として開山されました。 後の824年に平安京造営の

最高責任者であった和気清麻呂公が国家安泰を祈願して河内に

建てられていた神護寺と合併させて「神護国祚真言寺」とした

のが始まりと伝わっている真言宗の古刹です

          

     この続きは明日にします!

 

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京都嵯峨野の「愛宕念仏寺」

2015年09月17日 | 巡拝日記

   

京都嵯峨野に変わった読み方をする念仏寺を訪ねて来ました! 

「等覚山 愛宕院」(とうがくざん おたぎいん) 

通称「愛宕念仏寺」 (おたぎ ねんぶつじ)

 

江戸中期に建てられた「仁王門」

普通は「あたご」と読むのが一般的ですが、昔、この地のことを

山城国愛宕郡(やましろのくに おたぎごうり)と呼んでいたそうです

そして奈良時代の766年には聖武天皇の娘、称徳天皇によって

ここ愛宕の地に最初に建てられたお寺ということから

「愛宕寺」(おたぎじ)と名付けられたと伝わっています

その後の平安時代に鴨川の洪水で全て流され廃寺になってしまい

西暦911年、醍醐天皇の勅願により「千観内供」(せんかんないぐ)

という僧に復興が命ぜられました

千観は生涯、念仏を絶やさなかったので「念仏上人」と称され

寺の名前も「愛宕念仏寺」と云われるようになったと伝わっています

 愛宕念仏寺の縁起 

 仁王門を潜った先には朝日に照らされた

「羅漢」さん達が立ち並んでいました!

 

 「本堂」

 単層の入り母屋造りの本堂は鎌倉中期の和様建築の代表的な

遺構で国の重要文化財になっています

 

 「三宝の鐘」

いろんなお寺で色々な梵鐘を観て来ましたが・・・

三つも吊り下がっているのは初めて観ました!

 仏法僧の三鐘として音律によって仏の心を自然界に   

伝えていると説明がありました! 

「多宝塔」 

 境内の至る所に「羅漢」さんが居ます! 

「ふれ愛観音堂」

直に手で触れて拝むために造られた観音様で触れることによって

人々の心身の痛みを治癒してくれるそうです 

「地蔵堂」 

火除地蔵菩薩坐像が祀られていました

 「千二百羅漢」

 「羅漢」さんはお寺の復興のために1200人の一般参拝者が 

ご自身の手で彫られたそうです!

 表情が豊かで眺めていると思わず微笑んでしまいました!  

凄い数の「千二百羅漢」は1200体以上、在るように思えました‼ 

中央に右手を挙げたボクサーでしょうか? 

グローブを着けた羅漢さんが印象に残りました! 

  

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