さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

越前国一之宮「気比神宮」

2015年10月31日 | 巡拝日記

       久し振りに北陸道を走って敦賀に在る

古社を参拝して来ました!

北陸道総鎮守・越前国一之宮 

 「気比神宮」

北陸道の総鎮守である「気比神宮」は今から2000余年もの昔、

大宝二年(702年)に創建された由緒ある神宮でてす

 気比神宮の由来 

 旧国宝の「大鳥居」

日本三大大鳥居(木造)の一つで奈良の春日大社・安芸の厳島神社と並ぶ

大鳥居は高さ36尺(10.9m)、柱間24尺のムロの木で造営されています

 大鳥居の説明

「参道」

 拝殿前の鳥居

 「外拝殿」

 西暦702年に伊奢沙別命、仲哀天皇、神功皇后が合祀されて

本宮となり、後に日本武尊、応神天皇、玉姫命、武内宿祢命の

「四社之宮」を加えた七柱のご祭神を祀っています

 気比神宮は「七座並名神大社」として朝廷からの崇敬が特に厚く

伊勢神宮と並び四所宗廟の一社に数えられ格式を誇っています

 境内にひと際、大きな木がありました!

 「ユーカリの木」

 昭和11年に陸軍関係者が武運長久を祈願して献木したもので

北陸の寒冷地にこれだけ大きく育っているのには驚きました!

   

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楊谷寺の名勝庭園と奥の院

2015年10月30日 | 名所史跡

  柳谷観音・楊谷寺には名勝庭園と奥の院がありました!

 楊谷寺は映画の撮影にも使われた名所です

 江戸時代の中期に造営された庭園

 浄土宗の寺院に古い庭園があることは大変、珍しく

京都でも類をみないそうです!

 上書院から眺める庭園は気持ちが鎮まり穏やかになれます!

 書院と奥之院は山の斜面に造られた長~いうぐいす張りに

なった回廊で結ばれています

 回廊に掲げられた寺号の扁額

奥之院は中御門天皇ゆかりの子宝寺でもあります 

 江戸時代の113代・東山天皇の皇妃である新崇賢門院は度々、皇子を

出産されたが、それぞれ不幸にも幼くして亡くされていたそうです。

そして楊谷寺の本尊に無事出産を祈願されてお生まれになったのが

後の114代・中御門天皇です。

無事に生誕された中御門天皇が九歳の時、ご両親が崩御されたので

その追善菩提のために奥之院に観音像をお造りになった由来により

子授かり、安産の観音様として広く知られているそうです

奥之院は昭和5年に再建された建物です 

京都西山の山中にある楊谷寺の奥之院には心地よい風が

吹き抜けていて奥之院の御詠歌とされている 

" うららかや 柳も風に なびかれて 仏の御影 うつる谷みず "

と詠まれた歌が印象に残った古寺巡りでした!

   

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京都西山の古寺「楊谷寺」

2015年10月29日 | 巡拝日記

      長岡京の都があった街を走り抜けて

     1200余年の歴史を有する古刹を訪ねて来ました!

 

古刹に向かう途中、こんな綺麗なコスモス畑がありました!  

「立願山 楊谷寺」 (りゅうがんざん ようこくじ)

楊谷寺は別名「柳谷観音」(やなぎだにかんのん)とも呼ばれています

開創は大同元年(806年)と古く、京都清水寺を開山した延鎮僧都が

夢のお告げを聞き、西山の地で柳の生い茂る中に生身の観音様を

見つけられて堂宇を建てたのが寺の始まりと伝わっています 

 柳谷観音・楊谷寺は古来より眼病の平癒祈願所として、天皇家や

公家の方々を初めとして多くの人々の厚い信仰のある古寺です

後の811年には弘法大師・空海が楊谷寺を参詣されていて、その際に

親猿が眼のつぶれた子ザルの眼を懸命に洗って眼が開いたのを見た

弘法大師はその水に御祈祷を施し、眼病で苦しむ人々のために自らの

独鈷で深く掘り広げて霊水に成就されたという伝説が残っています

 楊谷寺の由来 

 「本堂」

 本堂は江戸時代前期の建物で本尊の十一面千手千眼観世音菩薩は

京都府の重要文化財に指定されていて間近で拝観が出来ます

 参拝に訪れた折にはちょうどご住職の読経が始まっていました!

 威風堂々とした瓦葺きの本堂

 眼病で悩む人たちが納経や祈祷をして、独鈷水(おこうずい)を

飲んだり、持ち帰ったりして平癒しているそうです!

 弘法大師の独鈷水(おこうずい)は江戸時代の112代・霊元天皇の

眼病を治癒したことによって明治の世に至るまで天皇家に

献上していたと伝わっています

豊臣秀吉の側室、淀殿も当寺の熱心な信者であったそうで

境内の一角に弁財天として祀られていました 

       

長岡京の山中に "西の清水" と呼ばれて1200余年の歴史が今も

息づいている霊場には数多くの伝説が残る古刹でした!

  

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学問の神様「長岡天満宮」

2015年10月28日 | 巡拝日記

    

京都府長岡京市に鎮座する天満宮に参拝して来ました!

京都郊外には竹林が数多くありました! 

 長岡京市は延歴3年(784年)に桓武天皇が平城京から都を移して

長岡京を造営した所で、

天満宮は都の西南の外れに位置しています

 長岡天満宮のご祭神は「菅原道真公」を祀り、市民からは

「天神さん、長天さん」と呼ばれ親しまれているそうです

 当地は平安時代、菅原道真(すがわらみちざね)の所領で

あったとされ、道真が在原業平らと共に詩歌管弦を

楽しんだ縁の深い処でもあったそうです

 現在の本殿は昭和16年に平安神宮の社殿を拝領移築した建物です

 長岡天満宮の由来 

 

朱塗りの拝殿

 道真公と牛の関係を説明

 牛が道真公の御神使になった由来がここで初めて知りました!

 ここ長岡京も秋本番を迎えていましたよ!

  

 

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親鸞聖人生誕地の「法界寺」

2015年10月27日 | 巡拝日記

      

京都伏見に親鸞聖人の生誕地とされる古刹を訪ねました!

 「東光山 法界寺」(とうこうざん ほうかいじ)

京都市伏見区の住宅街に静然と佇む法界寺は「日野のお薬師さん」と

親しまれ、子授け・安産・授乳へのご利益を授かりに女性の

参拝客が絶えないことで有名な古刹です 

 「法界寺由来」 

 法界寺は親鸞聖人の生誕地であり、藤原氏一族の日野家菩提寺でも

あって、弘仁13年(822年)伝教大師の最澄が自ら彫ったとされる

薬師如来の小像を祀ったのが始まりとされています

 後の1051年に日野資業が薬師如来像を造り、その胎内に最澄自彫の

薬師小像を納めて薬師堂を建立したと伝わっています

こうして安産、授乳の祈願に多くの人が訪れるようになったそうです

 国宝・「阿弥陀堂」

国宝の阿弥陀堂は平安後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及した

時代に建てられたもので堂内には平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像に似た

 高さ2.8mの国宝・阿弥陀如来像が祀られ、日本で一番古いとされる

貴重な天人壁画が描かれています

 「薬師堂」

 内陣の厨子の中には秘仏の胎内仏が納められた

薬師如来像が祀られています

 もみじが色づき始めた境内

今からおよそ800年もの昔、この地で親鸞聖人が誕生されて

九歳になるまで過ごしたという「法界寺」で

毎日、阿弥陀如来像に手を合わせて篤く、信仰していたと

伝わる境内には秋らしさが満ちていました!

   

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