京都東山の山麓にある「鷲峰山 高台寺」
(じゅぶざん こうだいじ) は
北政所(ねね)が出家して高台院湖月尼と号し、
秀吉の菩提を弔うために1606年に開創した寺院です
「庫裏」
厨房などを整えた建物で重厚な趣が特徴となっています
「方丈」
1912年に再建された建物で前庭に「波心庭」という
枯山水の名園があります
開山堂と書院をつなぐ「楼船廊」
楼船廊中央の小亭「観月台」
檜皮葺きの屋根の三方が唐破風になった珍しい造りで
伏見城の遺構と伝わっています
「勅使門」
「開山堂」
高台寺の基礎を固めたと云われる三江紹益の墓所で質朴とした外観と
比べてその内部は鮮やかな天井画や装飾がされその対比に驚きます
臥龍池越しに観る開山堂
「霊屋」
宝形造り、檜皮葺きで創建当時の1605年に建立された霊屋は
秀吉とねねの木像を安置する霊廟で蒔絵がふんだんに使われていて
豪奢な装飾は桃山時代の華やかさを残しています
霊廟の屋根瓦には豊臣家の家紋が入っています
秀吉が織田信長家臣の中で頭角を現す以前の1561年にねねは12才年上の
藤吉郎に嫁いだ。戦国時代の当時としては政略結婚が一般的な武士社会に
おいて珍しい恋愛結婚であったと云います。自分の意志で秀吉に嫁いだ
ねねは秀吉没後、高台寺を終焉の地と定め禅の尼僧として静かに余生を
送ったと伝わっています。 こんなねねの人柄を偲ばせる高台寺には
ねねの秀吉への想いがいっぱいに詰まっていると感じた参拝でした。