さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

空海が初代住職の「神護寺」

2015年09月20日 | 巡拝日記

  弘法大師・空海は唐の国で密教の正統を継いで日本に戻ったが

余りにも早い帰国に天皇をはじめ周囲は空海を認めずにいた。

そんな若き無名でもあった空海を西暦809年に神護寺は初代住職に

迎え入れて日本密教の第一人者への道筋を付けたと云われている

神護寺の山門に辿り着きました!  

神護寺の正門とされる三門(楼門) 

神護寺の寺額の文字は江戸時代初期の覚深法親王

(かくしんほっしんのう)の筆によるものと伝わっています

 門の両脇には持国天と増長天を安置し、内部に輪宝・五鈷杵などの

密教法具の彫刻がされています

 二階建ての入母屋造り、桟瓦葺きの三門は初層に屋根を持たない

楼門形式の門で1629年頃の建立とされています

 高尾の峰に広がる境内の案内図

「勅使門」 

平安京造営の功労者で神護寺の創建者とされる

和気清麻呂公の「霊廟」

 「鐘楼」

吊下がる梵鐘には文人の橘広相の詞書、菅原是善の銘、そして

能書家、藤原敏行の書による銘文が当代一流の三人の文人に

よるものから「三絶の鐘」と呼ばれ国宝に指定された梵鐘です

 

     明王堂の説明    

 弘法大師空海の作と伝わる不動明王像がなんと平将門の乱を

鎮めるために関東に渡り、成田山新勝寺の本尊になっているとか

お堂にかかる「明王堂」の扁額が歌舞伎の七代目市川団十郎の書に

よるものとかで驚きと興味深さを感じました!

 右に「五大堂」 左は「毘沙門堂」

 本堂側から臨む手前に「五大堂」奥に「毘沙門堂」

共に1623年頃、徳川家康によって再建されたと伝わっています

「金堂」

 

神護寺の本尊である国宝の薬師如来像を安置するお堂で1935年に

建立された正面約21m、奥行き約18mの神護寺最大の建物です 

 金堂の説明

 本尊の国宝・薬師如来像は栢の木の一木造りで像高170.6cmあり

写真撮影は禁じられていましたが極、間近で拝観が出来ました

薬壺を持つ右手を左手よりも高く上げている姿は

初めて拝観する珍しいお姿の薬師如来像でした!

 前々から是非、参拝したいと願っていた「神護寺」にやっと

訪れることが出来て大満足の洛西の古刹巡りになりました!

            

本尊の薬師如来像、脇侍の日光、月光菩薩像に十二神将の数々は

見応えがあって、広い境内に建つ伽藍にも目を引きました

更には若き日の最澄や空海がここ神護寺と深く関わっていたとの

説明を聞き、仮に神護寺が存在していなかったら最澄や空海は

無名のままで終り、日本仏教は随分、違ったものになっていた

かも知れないというお話が興味深く印象に残りました!

    

 

コメント
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