この「東寺」という記事を書いて以降、
なんだか空海さん周りのお話しが多くなっていますが......
世に「真言(しんごん)」なるモノがありまして。
Wikipediaあたりの説明文を簡略化しつつまとめてみると、
こんな感じでしょうか。
==========================
真言とは、
サンスクリット語のマントラの訳語で
「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」
という意味。
「大日経」などの密教経典に由来し、
浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる
呪術的な語句である。
漢訳経典では「真言」の他に「密言」「呪」
「明呪」等とも訳され、
法華経では呪術的な語句が使用されている。
仏の真実の教えは、
この宇宙の真理(法)や隠された秘密を明らかにするもので、
本来は人間の言葉で表すことはできないが、
方便として世俗の文字や言語を借りて盛り込み、観想し、
心を統一することでその教えに触れ得るようにしたものが
密教における真言であるとされる。
空海は真言について
「真言は不思議なものである。
本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。
わずか一字の中に千理を含む。
この身のままで真理を悟ることができる」
と著書に記している。
仏尊ごとに真言があり、
それぞれ出典となる経典が存在する。
==========================
そんな真言を唱えたり奏上する前に、実は、
以下の「開経偈(かいきょうげ)」なる文句を唱えると、
その効果が大きく変わるなんて感じが僕さんにはありまして。
仏様への言葉の届き方の違いを実感していたりもします。
なのでココにもちょっと記しておこうか......なんて。
ヨケイナお世話なるものっす。
ええ。ええ。
ちなみに「開経偈(かいきょうげ)」とは
仏教各宗で法要などを行う際に、
経典を読む前に奏上する偈(げ=詩句)のことであり、
開経文と呼ぶこともあるようです。
==========================
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
==========================
少々お話は変わりますが、
若かりし空海さんが修行を積んでいた地と伝わる
御厨人窟(みくろど)というところがあります。
高知県は室戸岬にある洞窟で、
「ここで明星が口に飛び込んで来て悟りが開けた、、」
なんていう伝承がある聖地。
洞窟から見える風景は空と海だけで、
ここから「空海」の法名を得たと伝わってもいます。
過去記事ではこの辺りにチロチロと記していましたでしょうか。
「室戸徒然」
「室戸徒然 2」
「室戸徒然 3」
「室戸徒然 4」
「室戸徒然 5」
訪れてみると、
上記した真言に関する空海さんの
「この身のままで真理を悟ることができる」
という言葉そのままのような場所。
そして、少し前に「猫玉」という記事を記した時に、
フト、僕はこの場所のことを思い出していたのです。
訪れた時のスマホ写真を見返していたりして......
空海さんが籠っていたという洞窟の中から
光が飛び込んできたという外の海の方を見てみると......
本当に洞窟の中に光が飛び込んでくるのですけど......
口を開けていたりなんかしたら本当に朝日が......口に......
......で、
入口の形がなんだか猫っぽいのです......
口に飛び込んだという光の玉は!?
猫玉!?
だったのきゃ!?
なーんて......
気のせーかなぁーー......
ピカチュウっぽくもあるしなぁ......
イケメンな神様の顔かなぁぁ......
他の星のおかた?
猫のいる星の?
とりとめのない話しだにゃぁぁーーんんん....
もう寝よぉぉっと......(*´ω`*)
☆関連過去記事☆
「東寺」
「五鈷杵」
「猫玉」
「猫玉 2」
「猫玉 3」
「猫玉 4」
「カメさんとカエルさん」
「きゅうり」
「ツカヘイさんの予告」
「朱の女神」
「朱の女神 2」
「朱の女神 3」
なんだか空海さん周りのお話しが多くなっていますが......
世に「真言(しんごん)」なるモノがありまして。
Wikipediaあたりの説明文を簡略化しつつまとめてみると、
こんな感じでしょうか。
==========================
真言とは、
サンスクリット語のマントラの訳語で
「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」
という意味。
「大日経」などの密教経典に由来し、
浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる
呪術的な語句である。
漢訳経典では「真言」の他に「密言」「呪」
「明呪」等とも訳され、
法華経では呪術的な語句が使用されている。
仏の真実の教えは、
この宇宙の真理(法)や隠された秘密を明らかにするもので、
本来は人間の言葉で表すことはできないが、
方便として世俗の文字や言語を借りて盛り込み、観想し、
心を統一することでその教えに触れ得るようにしたものが
密教における真言であるとされる。
空海は真言について
「真言は不思議なものである。
本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。
わずか一字の中に千理を含む。
この身のままで真理を悟ることができる」
と著書に記している。
仏尊ごとに真言があり、
それぞれ出典となる経典が存在する。
==========================
そんな真言を唱えたり奏上する前に、実は、
以下の「開経偈(かいきょうげ)」なる文句を唱えると、
その効果が大きく変わるなんて感じが僕さんにはありまして。
仏様への言葉の届き方の違いを実感していたりもします。
なのでココにもちょっと記しておこうか......なんて。
ヨケイナお世話なるものっす。
ええ。ええ。
ちなみに「開経偈(かいきょうげ)」とは
仏教各宗で法要などを行う際に、
経典を読む前に奏上する偈(げ=詩句)のことであり、
開経文と呼ぶこともあるようです。
==========================
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
==========================
少々お話は変わりますが、
若かりし空海さんが修行を積んでいた地と伝わる
御厨人窟(みくろど)というところがあります。
高知県は室戸岬にある洞窟で、
「ここで明星が口に飛び込んで来て悟りが開けた、、」
なんていう伝承がある聖地。
洞窟から見える風景は空と海だけで、
ここから「空海」の法名を得たと伝わってもいます。
過去記事ではこの辺りにチロチロと記していましたでしょうか。
「室戸徒然」
「室戸徒然 2」
「室戸徒然 3」
「室戸徒然 4」
「室戸徒然 5」
訪れてみると、
上記した真言に関する空海さんの
「この身のままで真理を悟ることができる」
という言葉そのままのような場所。
そして、少し前に「猫玉」という記事を記した時に、
フト、僕はこの場所のことを思い出していたのです。
訪れた時のスマホ写真を見返していたりして......
空海さんが籠っていたという洞窟の中から
光が飛び込んできたという外の海の方を見てみると......
本当に洞窟の中に光が飛び込んでくるのですけど......
口を開けていたりなんかしたら本当に朝日が......口に......
......で、
入口の形がなんだか猫っぽいのです......
口に飛び込んだという光の玉は!?
猫玉!?
だったのきゃ!?
なーんて......
気のせーかなぁーー......
ピカチュウっぽくもあるしなぁ......
イケメンな神様の顔かなぁぁ......
他の星のおかた?
猫のいる星の?
とりとめのない話しだにゃぁぁーーんんん....
もう寝よぉぉっと......(*´ω`*)
☆関連過去記事☆
「東寺」
「五鈷杵」
「猫玉」
「猫玉 2」
「猫玉 3」
「猫玉 4」
「カメさんとカエルさん」
「きゅうり」
「ツカヘイさんの予告」
「朱の女神」
「朱の女神 2」
「朱の女神 3」
元になるのが有るのに何故わざわざ宗派を創ったのだろう?と常々思っていましたが、色んな星から集まって来ていると考えると・・・。
猫一緒についてきてーーと云ったのは何方でしょうか、画像の微笑んでらっしゃるイケメン神様?
ピノのチョコミント・・・おやすみにゃさぁぁい
(失礼致しました。)
いま、奈良国立博物館で
空海さんの展覧会しています。
1250年も前の方なんですね。
高野山では今も
奥の院におられて、空から
見てらっしゃるんでしょうねぇ。
空海さんといえば
私は風信帖が浮かびます。
詳しくはないですが最澄さんとの
やりとりでしたでしょうか
高校の時(びっくりするほど前です^_^
書道の授業を選択したら
王羲之や空海や
臨書するのが常でした。
過去記事、また
読ませていただきますね。
そうですよねーー。とてもよくわかります。
わかりやすいところで例をあげると、
一神教であるユダヤ教とキリスト教とイスラム教は元は一つの神ですよね。
それが別れている。
別れているのにそれぞれ一神教としている。
しかも、互いに争いや戦争ばかりしている。
このことからハッキリとわかることは、
「宗教的な神とは人が生み出したもの」
といえるかと思えます。
この三つの宗派の聖典を読み解いていくと、
神は一つであり、厳然としたものとされているのに関わらず、
とても人間的に描かれ、
捉えられてもいるという不可思議さがあるということです。
そのことは、つまり、
神とは人間の都合により生まれ、
人間の都合の多様さに合わせて別れ、分岐し、
生まれているようにも思えますよね。
分け隔てをする民族主義的なユダヤの神を原点としたキリスト教は、
分け隔てをしない普遍的神へと変貌しています。
これは、時代と人の都合により変遷させてきた、してきた、、、
ということであるかと思います。
この辺のことは加藤隆さんの「一神教の誕生」という本に詳しいのですが、
もし興味が湧くようであれば一読の価値がある良書かと思いますよー(^^)
このブログの記事達は一つのジグソーパズルの絵のピースとなるように
意識して記していたりもします。
そのピースピースは、また、ダブル、トリプル、、、
と複数の意味や比喩表現を用いていたりもしていますので、
幾度か読んでいただいても楽しめる様に、
新しい発見がある様に、と、
そんな思いで記してもいますでしょうか。
また新しい「何か」「意味」を見つけてもらえたら
とても嬉しいですねー(^^)
不安を煽るつもりありません。自己で判断して守るしかありません。
空海さんは、洞窟の中で相当苦労と天照大御神の独語がうるさかった位に。と。
さて、、苦悩があって敢えて光が見えます。
耐えろと。そんな日々が間も無く来そうですね。
UZMETさんが敢えて何故空海さんの基本に戻ったのかを考えてみたら、ありがとうございます🙇。に辿りつきました。
SNSではどんなことも
「太陽フレアのせい、、」
なんてする冗談もかなり流行ってるみたいですが、、
かなりシビアな状況だと思います。
ま、良き方の影響や力となれば良いのですが。
ええ。ええ。
日曜ともあり、チケット購入で長い行列ができていて改めて空海さんの信望のすごさを感じました。
チケットは事前購入するとスムーズですね。
その後、東寺もお参りしました。
2024.5/25まで五重塔内部が特別公開されている様です。uzmetさん、沢山の過去記事のおかげで感慨深く拝観できました。ありがとうございます(^^)
ごめんなさい。m(__)m
お久しぶりですぅぅ。(^^)嬉しいです。