日本共産党は、民主集中制という組織原則を採用しております。民主集中制とは何か、といってもそんなに難しいことではありません。ひらたく言うと、党員同士で民主的に議論して決めたことをみんなで守って実践しよう、というのが民主集中制の基本的な考え方です。ですから、例えば消費税を増税することに賛成か反対かということに関しては、中央委員会委員長から一般の党員にいたるまで誰もが「反対」と国民に答えます。ここで例としてあげた消費税増税問題は全国的な問題です。このような全国的問題で、同じ政党の党員で人によって「私は消費税増税に反対です」、「消費税増税に賛成です」とまったく逆のことをそれぞれが勝手に言っているようでは国民にとって一体どれが日本共産党の政党としての見解なのかが分からなくなってしまいます。ですから、民主的に議論して決めたことを全党員が統一して実践にあたることは、公党としての国民に対する責任です。
さて、先日私は自分自身の経験を通じて民主集中制が国民に対する公党としての責任として重要なのかを痛感しました。それは、少々話を蒸し返すようですが先日(1月17日)の平井・小松川9条の会の定例会で感じたことです。定例会では私は所用のために途中参加でしたが、憲法学習の題材として取り上げられていたテレビ番組にはNPOもやい事務局長の湯浅誠さんが出演していてました。湯浅誠さんは財界関係者に不況だからといって寒空にポイ捨てでいいのか、と追求していました。憲法第25条、27条、28条をテーマに平井・小松川9条の会では学習と討論をしました。動機は年末にかけて未曾有の規模で行なわれた派遣切り、期間工切りでした。地元の区議会議員としてはおなじみの瀬端勇(日本共産党)さんと昨年の8月の暑気払いに続いて二度目の参加の滝沢泰子(民主党)さんの二人が参加しました。題材として取り扱われたビデオは日本で貧困の拡大を問題提起する内容でした。現在の日本社会に広がる貧困と格差の拡大には、市場原理を最優先してこれを社会のあらゆるところに広げようという、いわゆる新自由主義政治があります。ですから、憲法第25条、27条、28条の理念を守ろうとすると必然的に新自由主義との戦いが問題にならざるを得ません。ビデオの討論のなかで滝沢泰子さんは年始に派遣村に行ったことや湯浅誠さんが執筆した「反貧困」(岩波新書)を「おすすめです」と発言しました。同時に、滝沢泰子さん自身が民主党のなかに新自由主義寄りの人がいることに関しては議論の中で認めていました。そういう中で私ともう一人のOさんは、民主党が(政権を奪取したとして)日本をどう変えていくのかを明確にすることを要求する発言をしました。私は、討論の中で滝沢泰子さんに対して、民主党が例えば次の選挙で勝利して政権を奪取したら新自由主義から訣別するのか、憲法第9条を守るのかということを問いただしました。というのは、政権党が変わったとしても相変わらず新自由主義政治が行なわれたら、憲法第9条を変えて軍隊を持つ国を作ることをめざす政治が行なわれたとすれば、政権を交代する意味がないからです(民主党の全代表の前原さんや現在の代表の小沢さんは新自由主義者にして改憲論者です。これは懸念するべきことです)。私やもう一人のOさんの発言には、滝沢泰子さんは「私に言われても困るわ」と言いたげな表情で苦笑いしていました。確かに、民主党執行部のことに、区議会議員の滝沢さんが直接権限を持っているわけではないので、そういう意味では少しかわいそうなことをしているかもとは思いましたが、私やOさんがしたことは個人攻撃ではなくあくまでも民主党という政党に対しての国民に対する責任の問題を迫ったわけです。私自身は滝沢泰子さんに恨みがあるわけでもないし、政治的立場はともかくとして人柄には好感を持っています。地元の党員の間でも滝沢さんの人柄への評判は結構いいわけです。それでも、政党の議員、すなわち公人としての責任はあいまいにはできなかったわけです。
結局、滝沢さんは、日本の政治風土を考えると玉虫色でないと政権を取れない面があるという旨を言いました。これでは、民主党が政権党になっても新自由主義からの訣別や憲法第9条を守り抜くことを約束できませんといっているに等しくなってしまいます。おそらく、滝沢さんにしてみれば、例えば民主党が政権党になった後、新自由主義政治が行なわれ、憲法第9条を変えて戦争をする国づくりが行なわれようとしたらできる範囲のことはする、というつもりでしょうけれども、それで済む問題ではありません。政党たるもの、国民に対しては明確な政策と公約を掲げて、これを実現するべく活動をするということを違えてはいけません。政党間の力関係により、公約として掲げた政策などがすぐには実現できなかったり握りつぶされることはあります。しかし、政党が国民に対して公約として掲げた政策とまるで違うことや逆のことを行なうようでは無責任です。しかし、現在の民主党では、民主党の党内の「力関係」によりどのような政策を行なうようになるのかわけがわからないといえます。もっとも、現状の民主党の代表者や執行部の状況などを見る限りは民主党が与党になっても、新自由主義政治や憲法第9条を変えて日本を戦争のできる国にしようという政治が行なわれるだろうと考えざるを得ません。よりマシな政権を作るために民主党と連立政権を作る気が日本共産党にはないのか、という声をきくことがあります。しかし、民主党とではよりマシな政権を一緒に作る条件がない、と日本共産党が考える一端にはここで指摘した問題があります。
日本共産党が掲げている政策のかなりの部分は、日本共産党が政権党になれば速やかに実現できます。また、政策を実現すことにブレがありません。これは、全国的な問題に関して決めたことを全党が統一的に実践することを位置づけた民主集中制によることです。日本共産党が民主集中制を組織原則として掲げていることは、政党として自らの行いに対して国民に責任を持つということを示しています。
さて、先日私は自分自身の経験を通じて民主集中制が国民に対する公党としての責任として重要なのかを痛感しました。それは、少々話を蒸し返すようですが先日(1月17日)の平井・小松川9条の会の定例会で感じたことです。定例会では私は所用のために途中参加でしたが、憲法学習の題材として取り上げられていたテレビ番組にはNPOもやい事務局長の湯浅誠さんが出演していてました。湯浅誠さんは財界関係者に不況だからといって寒空にポイ捨てでいいのか、と追求していました。憲法第25条、27条、28条をテーマに平井・小松川9条の会では学習と討論をしました。動機は年末にかけて未曾有の規模で行なわれた派遣切り、期間工切りでした。地元の区議会議員としてはおなじみの瀬端勇(日本共産党)さんと昨年の8月の暑気払いに続いて二度目の参加の滝沢泰子(民主党)さんの二人が参加しました。題材として取り扱われたビデオは日本で貧困の拡大を問題提起する内容でした。現在の日本社会に広がる貧困と格差の拡大には、市場原理を最優先してこれを社会のあらゆるところに広げようという、いわゆる新自由主義政治があります。ですから、憲法第25条、27条、28条の理念を守ろうとすると必然的に新自由主義との戦いが問題にならざるを得ません。ビデオの討論のなかで滝沢泰子さんは年始に派遣村に行ったことや湯浅誠さんが執筆した「反貧困」(岩波新書)を「おすすめです」と発言しました。同時に、滝沢泰子さん自身が民主党のなかに新自由主義寄りの人がいることに関しては議論の中で認めていました。そういう中で私ともう一人のOさんは、民主党が(政権を奪取したとして)日本をどう変えていくのかを明確にすることを要求する発言をしました。私は、討論の中で滝沢泰子さんに対して、民主党が例えば次の選挙で勝利して政権を奪取したら新自由主義から訣別するのか、憲法第9条を守るのかということを問いただしました。というのは、政権党が変わったとしても相変わらず新自由主義政治が行なわれたら、憲法第9条を変えて軍隊を持つ国を作ることをめざす政治が行なわれたとすれば、政権を交代する意味がないからです(民主党の全代表の前原さんや現在の代表の小沢さんは新自由主義者にして改憲論者です。これは懸念するべきことです)。私やもう一人のOさんの発言には、滝沢泰子さんは「私に言われても困るわ」と言いたげな表情で苦笑いしていました。確かに、民主党執行部のことに、区議会議員の滝沢さんが直接権限を持っているわけではないので、そういう意味では少しかわいそうなことをしているかもとは思いましたが、私やOさんがしたことは個人攻撃ではなくあくまでも民主党という政党に対しての国民に対する責任の問題を迫ったわけです。私自身は滝沢泰子さんに恨みがあるわけでもないし、政治的立場はともかくとして人柄には好感を持っています。地元の党員の間でも滝沢さんの人柄への評判は結構いいわけです。それでも、政党の議員、すなわち公人としての責任はあいまいにはできなかったわけです。
結局、滝沢さんは、日本の政治風土を考えると玉虫色でないと政権を取れない面があるという旨を言いました。これでは、民主党が政権党になっても新自由主義からの訣別や憲法第9条を守り抜くことを約束できませんといっているに等しくなってしまいます。おそらく、滝沢さんにしてみれば、例えば民主党が政権党になった後、新自由主義政治が行なわれ、憲法第9条を変えて戦争をする国づくりが行なわれようとしたらできる範囲のことはする、というつもりでしょうけれども、それで済む問題ではありません。政党たるもの、国民に対しては明確な政策と公約を掲げて、これを実現するべく活動をするということを違えてはいけません。政党間の力関係により、公約として掲げた政策などがすぐには実現できなかったり握りつぶされることはあります。しかし、政党が国民に対して公約として掲げた政策とまるで違うことや逆のことを行なうようでは無責任です。しかし、現在の民主党では、民主党の党内の「力関係」によりどのような政策を行なうようになるのかわけがわからないといえます。もっとも、現状の民主党の代表者や執行部の状況などを見る限りは民主党が与党になっても、新自由主義政治や憲法第9条を変えて日本を戦争のできる国にしようという政治が行なわれるだろうと考えざるを得ません。よりマシな政権を作るために民主党と連立政権を作る気が日本共産党にはないのか、という声をきくことがあります。しかし、民主党とではよりマシな政権を一緒に作る条件がない、と日本共産党が考える一端にはここで指摘した問題があります。
日本共産党が掲げている政策のかなりの部分は、日本共産党が政権党になれば速やかに実現できます。また、政策を実現すことにブレがありません。これは、全国的な問題に関して決めたことを全党が統一的に実践することを位置づけた民主集中制によることです。日本共産党が民主集中制を組織原則として掲げていることは、政党として自らの行いに対して国民に責任を持つということを示しています。
よくいわれる「民主集中制=民主主義的中央集権制」ですが、これは、政党の論理なので何ともいえませんが、やはり個々人の信条や言動を実質的に制限し、不要な「レッテル貼り」をしたりする根拠にもなっている事だけは指摘しておきたいです。
その証拠に、いきなり指令や指導が下りてきて気に入らない人間を追い詰めたり、罵倒や団体からの排除をしたり、結論が事前的に配布されていてそれをただ学習するだけとか…。
私は学生時代に、日本共産党の党員が実質的に運営しているサークルか実行委員会か忘れてしまいましたが、少しだけ関わりましたがやがて意見が違うと判ると、とたんに親身な態度が豹変して冷血な態度を取ったり、集団的無視や中傷をされた記憶があります。
なかでも印象的だったのは、極左団体だとか、精神的におかしいなどといったやり方です!
そういった誹謗中傷を徹底して集団的に行い、結果その人に深刻なトラウマを作ることなど許される問題ではありません。
14年前にハーバライフという「食事」に出会いました、家内の自律神経、僕の高血圧、肥満その他様々な症状がすっかり改善されました。そこでハーバライフの研究チームを提案し再三にわたって意見をあげました、しかし、まじめに取り上げてもらえませんでした。
アメリカのブルジョア政治家でさえ、「現代医学は栄養に盲目な片目の医学」(マクガバンレポート)であるとして改善のための策を講じているのに。
こうした問題は民主集中にはなじみません、支部の範囲をこえてあちこちで主張を繰り返していたら規律違反として除籍になりました。改めて「共産党宣言」「空想から科学・・・」「国家と革命」等々読み返しました。そして、「ソ連社会主義はなぜ崩壊したのか」ー帝国主義の介入とソ連共産党の誤りーという文書にも出会いました。
正しく革命運動を発展させるためには広く自由な討論は必須の条件だと思うようになりました。官僚主義に陥らないためには複数革命党も必要だと思います。