核兵器であろうと原子力発電所であろうとなくしていこうと本気で考えれば“究極的”とうのはありえません。一定の時限的見通しを立ててやめるならやめるという姿勢がなければ話になりません。“核兵器の究極的廃絶”というのは、結局のところ核兵器廃絶を遥か彼方の遠方へ棚上げ、放り投げを意味するものでしかありません。
記者会見の動画を視ると志位委員長は、国際社会においては“(核兵器の)究極的廃絶”が非難を浴びて“究極的”が削除された、つまり、明確に核兵器廃絶を打ち出さなければいけないというのが国際社会の流れだということが明らかです。このようなことをふまえて考えれば、菅首相が言った“究極的廃絶”がアメリカの核の傘に入り続けていくことを客観的に意味するものであって時代の流れに逆行します。
核兵器と人類とは共存できません。原子力発電所との関係でも、少なくとも現在の科学技術の到達点、社会発展の到達点をふまえて考えると現在の人類には原子力エネルギーを利用する資格がないと言わざるを得ません。