愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

教育を受ける権利を擁護してこそ民主国家だ

2011年12月20日 23時22分13秒 | 教育及び保育

 「しんぶん赤旗」日刊紙の主張欄の引用から始まりますが、少々長いですがとりあえずお読みください。


 来年度予算の概算要求で、高校・大学生むけの給付制奨学金が盛り込まれ、国民のなかで実現への期待が高まっています。ところが、政府内で、これを見送る動きが強まっています。学ぶ権利を保障するために、給付制奨学金はなんとしても実現させるべきです。

世界では常識の制度

 世界では教育を受けることを欠かせない権利と認め、経済的理由で学業をあきらめる若者を一人もださないように給付制奨学金をつくることが常識になっています。

 現にこの制度は、経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国のうち28カ国に広がっています。学生の受給割合は、判明している16カ国で平均4割となっています。大学授業料無償化の国も15カ国です。授業料が無償でないうえに給付制奨学金がないのは日本だけです。

 高学費の日本は、高校と大学に通わせるのに1000万円もかかります。低所得者世帯の負担の限界をこえています。東京大学の小林雅之教授らの調査によると、年収1000万円以上の家庭の高校生の大学進学率が62%に対し、年収400万円以下は31%にとどまっています。卒業後の厳しい雇用状況を目の当たりにして奨学金を借りることを躊躇(ちゅうちょ)する若者も広がっています。現在の貸与制奨学金だけでは、学ぶ権利を保障できないことは明らかです。

 貧困と格差が広がり、卒業後、就職ができなかったり、非正規雇用となったりする若者が増えるなかで、給付制奨学金の実現は、文字通り待ったなしの課題です。被災地からも「返済に不安があるから奨学金を申し込めない」と悲痛な声が寄せられています。大震災からの復興が急がれるもとで、いっそう切実です。

 ところが「予算編成に関する政府・与党会議」の実務者会合は、「無利子奨学金制度を拡充する」ことを口実に給付制奨学金を見送る最終報告をまとめました。これは、貧困と格差が広がる日本の現状を無視し、被災者の切実な願いを踏みにじるものです。最終判断をする野田佳彦首相は、給付制奨学金を予算に盛り込むべきです。

 民主党政権が、貸与制奨学金のローン化をさらに進めようとしていることも重大です。行政刷新会議が、日本学生支援機構の奨学金制度を金融事業として「抜本的な見直しと効率化」を求めるとし、財政制度等審議会では、「貸与時の審査を充実させる」と議論しています。これは、政府の負担を減らすために、奨学金を金融事業とみなして、奨学金の有利子化やブラックリスト化など滞納者へのペナルティーの強化をすすめてきた自公政権の構造改革路線をいっそう進めるものです。

誰もがお金の心配なく

 高学費と奨学金のローン化をすすめてきた自公政権に対し2009年の総選挙で退場の審判が下り、いまやほとんどの政党が給付制奨学金の実現を主張しています。古い政治と決別し、「誰もがお金の心配なく学べる社会」へと前進する一歩として、給付制奨学金の実現、貸与制奨学金の無利子化、返済猶予制度の拡充を強く要求します。

 こうした方向こそ、若者に安心と希望をもたらし、21世紀の日本社会の発展のいしずえとなることは間違いありません。日本共産党は、その実現のために全力をつくす決意です。


【引用元】http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-20/2011122001_05_1.html

 


 上記文章は、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日刊紙の「主張」より引用したものです。

 ある国が民主国家であるのか、あるいはある国の指導者が本気で民主主義の発展をめざしているのかどうかということは、教育政策に関する姿勢を見ればおのずと分かります。なぜならば、民主国家では、その国の人民が政治と社会の形成者として行動することが必要だからです。人民が政治と社会の形成者として相応しい行動をするためには、政治と社会を考えるための基礎的な教育を人民が受ける必要があります。だから、教育政策の問題を考えるとある国が民主国家というに値するのか、その国の指導者が民主主義を本気で発展させようとしているのかということが分かります。

 上記の尺度から考えると、歴代自民党政権(自公政権も同じ)と現在の民主党政権が民主主義の発展をさせようと真剣に考えていないことが明らかになっていきます。

 私は根本的に問いたいです。

 歴代政権は「受益者負担」を口実にして私学助成を切り捨てたり、国連人権規約の漸進的に高等教育無償化条項を国策に合わないという理由でいまだに保留にしていますが、そもそも受益者とは誰(何)ですか。

 彼あるいは彼女が教育を受ければ、本人が利益を確かに受けます。しかし、それだけに解消されることではありません。子どもたち、若者がきちんとした教育を受けて様々な技能を身につければ、彼(彼女)らが教育を受けることによる成果を社会の中でいかしていきます。

 政治、経済、法律など社会諸科学を身につける人が増えれば、より良い国家・社会の制度を制定する政策を立案する力が社会の中に高まっていきます。

 自然諸科学を身につける人が増えれば、現在では治療できない病気を治療できるようになる、あるいは現在では解明されていない自然界の法則を解明して各分野の産業の発達などの社会的力が高まっていきます。

 芸術・文化を身につける人が増えれば、社会に生きる人民全般の精神活動の質が高まっていき文化が発展していきます。このような文化発展は、人民が社会のひずみから生じる退廃的な風潮と戦うための力になります。

 次代を担う子どもたち、若者が基本的な教育を受けて様々な能力を発展させていく、高等教育で若者が思い思いに専門能力を身につけて社会の中で発揮させていけば、本人だけが利益を受けるのではなく国家・社会が利益を受けます。つまり、受益者とは国家・社会であるとさえいます。そう考えれば、子どもたち、若者が教育を受けることを社会全体で支えていくことが道理です。

 とくに貧困と格差が拡大する今日において貧しさのために教育過程から子どもたち、若者が排除されないために給付制奨学金導入はまったなしです。親を選んで生まれる人はこの世で誰一人としていません。この帰結として生まれ育つ家庭環境を選ぶことができる人は誰もいません。本人の責任によらないことがらによって不利益をうけることを放置しておいては民主国家、文明国家とはいえません。

 私は、文教政策に関する問題を考えるときにはいつも思わずにいられないことがあります。私はキューバびいきなところがあります。そのキューバでは、大学まで無償で教育を受けることが誰にも保障されています(試験勉強をさぼって落ちるのは別の問題)。キューバは、長年にわたるアメリカの経済封鎖があいまって非常に貧しい国です。そのキューバでできることがなぜ日本でできないのか、私はこのことをいつも日本社会の不条理として感じます。日本の経済力であれば、大学まで家庭の経済力を心配しなくても進学できる状況をつくることは可能です。国家予算のあり方を次世代の人を育てるように今以上に教育優先にすれば済む話です。政党助成金を全廃する、日米安保条約を解消して思いやり予算など日本国政府が負担しなくても良いような負担をなくす、大企業や大資産家、いわゆる富裕層への増税を行えば様々な人民のための様々な施策を講じるための金銭は捻出できます。

 日本における歴代政権担当者および現在の政権担当者は、いったい誰のための政府をつくっているのでしょうか。

 本当に国民のための政府をつくろうということであれば、若者を大切にする政治を行ってしかるべきです。若者を大切にしない国家には未来がありません。

 率直に申し上げて、学費のことを一つ解決させるためにも政治革新が必要であり、日本共産党が政権を奪取することによって成立する民主連合政府、すなわち社会・政治変革(革命)の政府樹立がもっとも現実的な道筋です。昔から、一貫して日本共産党は学費を下げて無償化することをめざしているのですから。


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