今日は、学部2年生に、英語の講義をした。英語だ。
僕は英語の教師ではない。でも、横浜国立大学都市科学部都市基盤学科(平たく言えば、土木の学生たちだ)の2年生のための、英語の科目を一コマだけ請け負ったのだ。請け負ったからには精一杯やる。
どんな講義をしたってよいと言われた。だから僕は自分のベストと思う方法でやる。文科省よ、文句があればかかってこい。というか、私の講義を見るがよい。見ることなくして批判しないでくれたまえ。こちらは命をかけて教育をしている。やり方に文句があるなら俺の講義を現地で見てから批判すべし。
さて、今朝の授業がいかにexciting であったか。
ある女性の英語が堪能な事務職員(英語の教育免許も持っている)にアシスタントとして一緒に講義をしてもらうことを3週間くらい前にお願いした。スーパーアシスタントだ。
私も英語は得意である。彼女はもっと得意である。現在、横国で職員をしておられる。コラボだ。
90分の講義が始まった。もちろん、我々プロフェッショナルは、お互い忙しいが事前に可能な範囲で、時間はなるべく短縮して打ち合わせを行い、アイディアを出し合い、準備をした。顔を合わせての打ち合わせはお茶を飲みながら30分程度。無駄な時間をかけるのはプロではない。
私はコンクリート工学のプロ(自称、ね)だ。題材はコンクリートに関する英文のテキストを選んだ(伝統ある土木学会の100周年記念の発刊物)。Extradosed bridge, 空港舗装PC版の沈下のリフトアップ、自己充てんコンクリート、を選んだ。学生には1週間以上前に配布して、予習してもらった。
講義では、私が、まずはテキストの内容の概要の解説を7~8分程度。
それから、教員二人(一人は英語教育のプロ、もう一人は私)での音読の手本。私自身も前夜に何度も音読の練習をした。
それから、受講生それぞれが音読10分。ここはパートナー(プロの英語教師)の腕の見せ所で、テキスト全体を着席で音読、その後2回目は立って音読、早い人は3回目を再び着席して音読。
その後、3人一組のグループに分かれてもらって、一文ずつ輪読の音読。5分程度。
学生たちが立ったり座ったりしながら一所懸命英文テキストを音読している姿を想像されたし。非常に爽快な、素敵な現場であった。賛同されない方は、現場を見るべし。
その後、テキスト中の使い勝手のある文章(技術者として)を参照した英作文の演習を2題やって、終了。
これが1セットだ。45分。
このセットを2つのトピックで行い、大学の90分の1コマ終了。
楽しかった。
躍動感もあった。
受講生たちも、これが大学の「英語の」勉強だ、と感じてくれたのではないかと期待する。
講義の最後に5分時間を残した。
二人の教師から、英語が上手になるためのメッセージ、アドバイスを時間の限り伝えた。
大学の教師たちよ、メッセージを伝えているか?学生たちは感じているのか?
文句を言うことなど誰にでもできる。
大事なのは現場だよ。
でき得る努力をしよう。
僕はやっぱり教師なんだ。
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