「土木史と技術者倫理」での学生のレポートに,以下のような文章があった。
「『知らなくてもいい。でも知っていると豊かな人生になる。』 本当にその通りだと思います。自分の中に素直に言葉が響いてきました。歴史のことなんか,数学のことなんか,文化のことなんか知らなくても,飯を食って,睡眠をとれば人間は生きていける。でも,そんな受動的な生き方をして,食べ物を消化するだけの管として生きるだけの存在にはなりたくありません。能動的に外に出て,興味のアンテナを張り,引出しを増やし,生き生きと輝いて生きたいです。・・・・・」
知ること,とは物の見方が変わること,です。私の講義を受けた学生は,大都会の満員電車を見た時の感じ方も変わっていると思う。目の前の現象だけを見ると,満員電車の地獄絵図に見えるだろうけど,それが我が国の歴史や現状,国力とどうつながっているのかを知ると,見え方が変わってきます。また,そのような鉄道システムを運行している鉄道会社に対する意識も変わってくると思います。
知ること,も大事なのですが,「知らないこと」も素敵です。知らないから,知ろうとする。知ることの喜びも,知らないから味わえるのです。
そして,知ること,知らないこと,どちらもよく分かる人が,上手に教えることができる。知らない人が,どのような情報に興味を示すか,「知りすぎている人」には分かりません。これが,「専門家」のよろしくないところでしょうか。
私は知ることの喜び,楽しさは知っています。しかし,知らないことを恥ずかしいとは思いません。それなりに一所懸命に生きていますので,知らなくたって仕方ない。本当に大事だと思い,興味があれば,これから勉強すればよい。このような姿勢をストレートに学生に見せています。
実は,土木史を私のような人間が教えている,という横国土木の現状はとても面白いと思っています。他の大学では難しいのではないでしょうか。「素人のお前に教えることなんかできない。」となってしまう気がする。横国土木の柔軟性や可能性を示しているようにも感じます。
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