「追体験はなぜ重要なのか」 天野 雄浩
目次
1 経験は最良の師
2 宗教と自分
3 『呪術廻戦』はフィクションなのだろうか
4 自由律俳句と日本語
5 他者の経験を追体験する意義
1 経験は最良の師
英文のことわざに”Experience is the best teacher.”というものがある。この英文のことわざの意味は、「経験は最良の師。亀の甲より年の劫。」である。この文における「経験」の意味は、机に向かうような勉強から得られる経験ではなく、本人が実際に体験して積み上げていく経験を指しており、後者の方がより多くのことを学べるという文脈になる。自分はこのことわざの意味を理解した上で、前者の必要性も主張したい。つまり、机に向かうような勉強、すなわち他者の経験と直接体験はどちらも重要なことのように考える。なぜなら、前者を理解することで後者の理解はますます深まり、その体験はまた前者に活かされるからだ。つまり、前者と後者は相補関係にあるだろう。
また、経験は様々な方法で得られるものだと私は考える。実際にその場所に訪れて、五感から直接体験するものもあれば、家でタブレットを開いて得られるものもあるだろう。例えば、歴史的な建造物について興味を持ったら、実際にその場所に訪れてみることは大きな実体験といえる一方で、その建造物について本や論文や映像などで情報を得ることもまた大きな実体験だ。一つの実体験を様々な方法で得ることでより客観的な経験となり、自分のために役立つよいものになるだろう。
2 宗教と自分
宗教というものを考えてみると、意外と自分の生活に関わるものであった。自分の中学校や高校がキリスト教の学校であったことを除いて考えたとしても、神社や寺への参拝、お盆やお彼岸、クリスマスなどの宗教行事は幼少の頃から馴染みのあるものであり、また家には知らず知らずのうちにお守りや神棚がある。最近は宗教行事に参加すると、これらの行事の歴史の重みを改めて感じるようになった。確かに、神社や寺、教会などの建物やそこにある道具、ご住職様にあたる人からそのようなものが伝わってくるものだ。しかしながら、作法に従って「右へ倣え」の精神で参加していたのだろう。本講義を受けて日本文化の穢れや怨霊といった概念に触れることで、また宗教に対する見方は変わった。それは、神社や寺が「恨み」を鎮める施設としての機能を持っているという意識が強くなったことだ。現代の日本で生きていると、恨みを持ったままこの世を去り、怨霊として災いをもたらすという場面はあまりないので実感がわきにくい。こうしたことは、本や論文や映像などの情報によってうまく追体験できるとよいだろう。
3 『呪術廻戦』はフィクションなのだろうか
日本で現在大ヒットしているアニメ、映画に『呪術廻戦』という作品がある。『呪術廻戦』は、人間の負の感情から生まれてくる呪霊を呪術で鎮める主人公の空想小説だ。作品中で起こる不吉な出来事、事件のほとんどは現実とかけ離れたものとなっている一方、作品の背景になっているものはまさに日本の宗教観、社会構造ではないだろうかと自分は考えた。「1000年前の両面宿儺、死者の呪い」が作品の軸となっている一方で、現代でもしばしば議論の対象となる「教育組織、縦割り社会の問題」や「血縁に関する問題」についても取り上げられている。こうした様々な現代の問題によって、作品のリアリティはより高まっている。日本が得意とするアニメという形で、日本文化の様々な価値観を追体験できる面白い作品であると自分は考えた。
4 自由律俳句と日本語
種田山頭火の俳句に、「まっすぐな道でさみしい」という作品がある。山頭火が45歳前後の頃、旅の途中に詠んだ句といわれている。僧侶になったものの、俗世の人間らしい考え方を捨てられなかった山頭火の心情がひしひしと追体験できる作品である。自らの残りの目的のない人生を「まっすぐな道」に例えて、行乞しか選択肢が残されていないという山頭火の孤独感が「さみしい」という純粋な表現で伝わってくる。季語や構成といった難しい表現方法は一切使わずに、容易な比喩表現と作者の情報だけで理解できる点が素晴らしいと自分は考えた。また、平仮名表現のやわらかさと漢字の硬さ、情的な平仮名表現から伝わる人生の無常さ、「道」という漢字を中心として対称な構造を持つこの俳句の表現の美しさなど多くの発見も同時あるだろう。この俳句から自分は、実際に体験したことのない視点から人生の奥深さを感じるとともに、言語情報の奥深さ、日本語という母国語の美しさも感じることができた。
5 他者の経験を追体験する意義
個人が直接体験できるものの総量は、時間や環境によって限られている。もちろん直接体験したものは、他者の経験からの追体験で置き換えることができない現実的で極めて重要なものであるから、時間や環境の許す限り増やすべきである。一方で他者の経験は、インフラストラクチャーとしての機能を持った言語情報を通じて、文献、本、論文、映画、アニメなど多様な形で我々に供給されるものだ。その多様さは、個人が得られる直接体験をはるかに上回る量と質であろう。直接体験に加えて他者の体験を追体験する活動を行うことで、前者と後者に相乗効果をもたらし、自分自身に役立つ経験がより豊富になるのではないかと自分は考える。直接体験に加えて他者の体験を追体験する活動も積極的に行い、自分の人生が「まっすぐな道でさみしい」状況にならないように努めたい。
参考文献
・【まっすぐな道でさみしい】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!、俳句の教科書、2019-12-25、2022-1-22閲覧、https://haiku-textbook.com/massugunamichi/#i-2
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